ageha リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ 8月 22, 2009 庭のデッキでぼけっとしていたら、20センチはあろうかという大きなクロアゲハがゆっくりゆったり飛んでいます。都心のagehaはクラブだけじゃないんだね~。つくづくここは自然を感じます。 リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ コメント
桜と物語 3月 29, 2013 巷は、桜の季節である。 桜は、日本において、ニホンジンにとって、ある意味特別な存在であるといわれる。単に今日的な意味合いだけをとっても、「開花」を心待ちにする「予報」や、全国津々浦々で「花見」という文化がもたらす共通的な認識、理解は、この列島を、生きる人々を大きく包み込んでいる。 歴史的には、「田植桜」「田打ち桜」と呼ばれる、農繁期の始まりを象徴する存在であったことも、いまでは広く知られているし、さらに古く平安の時代よりも前にさかのぼれば、「桜」が今日持つステータスを保持 していたのは「梅」であったことも多くの人に知られていることであろう。 かつて機械化される前の田づくりの仕事は、身体的にとてもとてもつらく厳しかった。大変な仕事をみんなで力を合わせて乗り切ろうと、「花見」という今日的な意味合いではなかったとしても、田楽の囃子にのせて、桜の木の下で茶や弁当をとったかもしれない。時には振る舞い酒も、出たかもしれない。そんな記憶が、今日の「花見」を楽しむ私たちの中に遺っているとしても、不思議ではない。 もちろん私たちの祖先のすべてが土地に縁のある農耕民ではないが、猟民であっても、漁民であっても、狩猟や漁労の行き帰りにふと目を上げた先にあるあざやかな桜の枝ぶりに心が動かされたであろうことは想像に難くない。このように日本において、ニホンジンにとって、桜がある種exclusiveであるかのような認識や言説は、もはや揺るぎのないもののように思える。 *** さて。物語の中で、桜をモチーフにしたストーリーや、桜になにかを投影してコンテクストを描いた作品が多く存在する。いくつもあるそれらの中から、とても印象的で私の好きなものをふたつほど紹介したい。 ひとつは、不朽の名作である「マスターキートン」第15巻第4章「真実の町」である。たかがコミックと侮るなかれ。これはれっきとした「文学作品」である。外国人に、いわゆる日本人的な桜に対する情念を持たせたストーリー、といえなくもないが、きっと外国人も同じような情念を持ちえると思わせるような個人的に大好きな話である。 「マスターキートン」の中では数少ない、日本を舞台にしたチャプターである。長らく考古学者としての就職浪人であるキートンは、日本の大学教員の面接を受けるために一時帰国している。キートンが、空港で何者かに手荷物を取り違えられてしまうところ... 続きを読む
Step back viewing on Gaza 10月 14, 2023 明日にも地上戦か、という報道が過熱している水面下で(イスラエル政府は否定しているけれど)エジプトを介した人質解放交渉を必死に行っていることもあるだろう13日の金曜日。予備役36万人を動員した地上戦突入を後押しするのはイスラエルの国民感情である。であるからこそ、すこしステップバックした視点からイスラエルとパレスチナを眺めておこうと思う。敢えて。他に誰もやっていなそうだから。 国民感情。ここ数日のイスラエル界隈のSNSを眺めているにつけイスラームとユダヤの対立というところから「ハマスの非人道性」を問うレトリックが飛躍的に増えている。「人道に対する罪(ニュルンベルク、東京裁判)」「非人道的なテロに対する戦争(対テロ戦争)」と「非人道性」を訴えることによって、実際にトリガーを引けば膨大な犠牲者が(双方に)出る地上戦を正当化してしまえる、少なくともそう思い込めるためのレトリックである。107が即座にイスラエルにとっての911という言説が飛び交ったのも、そうした流れの中のことであろう。 今回のハマスの行動は間違いなく非人道的であるのは誰も否定できない。同僚や友人の知る人たちも犠牲になったと聞く(同時にパレスチナの友人たちが置かれた状況にも心が痛む)。反面、イスラエルに住んで現地の空気を吸って肌身に感じていた人間からすると、国際合意(=オスロ合意)の履行が(双方の交渉がとん挫したために)なされないままにある中で西岸の入植地を広げ、そこで行われてきたパレスチナ人に対する人権侵害がまるで何もないことのように時間が流れていくテルアビブの日常に少なくない違和感を感じていたものである。ここでいう人権侵害とは、イスラエル治安当局がイスラエルの安全保障のためという大義名分で西岸で行う治安活動が行き過ぎた場合に起こるものと、ユダヤ人入植者がパレスチナ人に対して行う暴力や破壊行為などがある。ハマスがガザを支配してから以降のガザの実質的な封鎖もそうである(ガザの中でハマスが何をしているかは、一義的にはイスラエルのせいではないかもしれないが)。そもそも国際社会の共通認識として「イスラエル領ではない」西岸に入植すること、その入植者たちの法的根拠を、イスラエル国内法を援用して持たせていること、暴力や破壊行為を黙認していることは、イスラエルが国家として行っていることである。そして国際社会もまた口先でそれを批... 続きを読む
スコットランド紀行② 11月 09, 2014 満点の星空の下に広がる漆黒の闇の中に浮かび上がる深緑のラフロイグの倉庫とその向こうに驚くほどの静寂に沈む海を望む部屋で、とてもおだやかな夜を過ごしたあくる朝。キャロルに見送られて宿を発とうとしていると、オランダ人のご一行は夕べ遅かったのか「今起きました」という風体で朝ごはんのトーストを物色している。彼らはまだ今日もこの島にいるのだ。問題はない。僕は、朝一番の船に乗って島を離れ、もと来た半島へ戻らねばならない。悲しいかな、ニッポンジンの旅はいつもせわしないのである。 ラフロイグビュー。いい宿でした。 朝靄が柔らかくたなびくゆるやかな丘陵が海に届く際にはりつくように伸びている道を港に向けて走る。出航時間までにはまだ余裕があるが、すでに何台かの車が並んでいる。来るときに乗った船よりも少し大きい感じがする。船が港を出る。「 Port Ellen」 と白地に黒ペンキで書かれた壁がどんどん小さくなっていく。また、この島に来ることがあるだろうか。いつも初めての土地を訪れたときに思うことであるが、この場所についてのこれまでの想いが尋常ではなかったがゆえにそう思う気持ちの強さもまた格別である。 サヨウナラ、ポートエレン そうして戻ったケナクレイグの港は、前日のまだ夜明け切らぬ時間の記憶しかない僕にとっては、未知の世界にも似た景色であった。なんのことはない、チケットオフィスの建屋を中心とした港湾施設があるだけなのだけれど、港の後ろに見え隠れする丘陵や木々の姿は新鮮である。港から幹線道路に出ると右に曲がる。さらにキンタイヤ半島を南下し、キャンベルタウンへ向かうルートである。 細長い半島の西側を海岸に沿って定規で引いたようにほぼ一直線に延びるこの道を走る。ただ、ひたすらに右手にみえる波の満ち干き、左手に出ては隠れ、隠れては出る草の生い茂る丘の起伏を両目の端に捉えながら走る。 雨が降る。キャンベルタウンでは、いまひとつの憧れであったスプリングバンク蒸留所を訪れる。ツアーの仲間はスウェーデン人数人とオーストラリア人数人。全員おっさん+でかい。狭い建屋の中を2メートル近い大男の集団にひとりだけ比較的小柄なニッポンジンがちょこちょことくっついて歩くというなんともシュールな構図である。おっさんたちはすでにどこかで飲んできてい... 続きを読む
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