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読書記録 山本正さんが天上からすべてを見ているらしいこと

  米中対立-アメリカの戦略転換と分断される世界 (中公新書)を読みました。日本にいないのでKindleでしたが、今改めてAmazonを見てみたら紙の本は売り切れ出荷待ち?のようで、関心の高さがうかがえます。 内容はことさら私がなにか申し上げることは無いのですが(読める方は絶対読んだ方がいいです)、あとがきで著者の佐橋さんが初めてキッシンジャーに会ったときのいきさつを書かれていました。博士課程の頃に故山本正さんのアシスタントをされていた縁で、とのこと。著者プロフィールを見たら同学年。なるほど、あの頃だと。 佐橋さんと私とは雲泥の差ですが、私が今の仕事をまがいなりにも続けて来られたのは、若かりし頃に山本正さんに掛けてもらった言葉があったから、というのは大袈裟ではないんですよね。「自分がその手に何も持っていなかったとしても、人と人との間に立つチャンスがあるのであれば、君はカタリストになればいい」。まだまだ先行きはながいですし、悩みも迷いもつきないので、つらいときにはいつも立ち戻る「場所」のひとつです。 三極委員会かなにかの会合を特別に見せていただいたときのこと。この本にも再三出てきて、私の世代で国際関係を学んだ人間なら知らない人はいないであろうジョセフ・ナイが「えっ?!そんなところに?」と驚くくらいしれっとそこら辺の椅子に座っているのも驚きでしたが、山本さんが「ヘイ、ジョー!お前もなんか話せよ」かなんかと気さくに声をかけているのを見て、なんともかっちょいいじいさんだなぁ!と。丁々発止っていうんですかね。お歴々を軽々といなしながら議論をリードしていく姿がいまでも目に焼き付いていて、あとがきを読みながら、勝手に親近感を感じつつ、改めて山本さんの偉大さを噛み締めていました。 このしちめんどくさいイスラエル人たちを会議テーブルの向こうに回して、サラッと皿回しができるようになったら、少しは山本さんの言葉に報いることができるかもしれないなとかとか(まったくできるようになる気がしないけども)。

行間や網目の間から感じることは書いておかないとならない

 パレスチナのことは、会社のレポートに書こうとしても基本的にどこにでも出ている陳腐な事実関係以外は東京がビビって出そうとしないのですが、当地で日々景色を眺めている立場から「感じること」ってあるんですよね。 アフガニスタンでは米軍が撤退してパワーバランスが崩れ、タリバンが政権を倒して全土を掌握しました。普通の人は疑問だと思うんですが、なんでアフガニスタンの山岳地帯に隠れていたタリバンがあれだけの武器(質というよりは量)と兵士を集められるのかと。原理主義の御旗があったとしても、日々の食事や消耗品など何千何万の群勢を養うにはカネが掛かりますし、山の中にいる兵士に誰がどこからどうやって武器弾薬を運んでいるのか、という当たり前に素朴な疑問です。そこは、カタールがカネを出し、時には幹部を匿って活動拠点をドーハに与え、パキスタン(情報部)が諸々サポートしている、という説明がなされるので、なるほどと思う方もいらっしゃると思います。 パレスチナも、歴史的経緯はともあれ、今見えている構図はほぼ同じです。これまで米欧と主要アラブ諸国に支えられてきた西岸のPLOファタハ中心の各派閥が持つ自治政府(イスラエルも彼らと交渉)と、カタールとイラン(革命防衛隊)が支えるハマス(およびイスラミックジハードなどの原理主義武装勢力)という形。現にハマスの政治部門のトップを含む複数の幹部は安全なドーハにいて、5月の紛争の時もヤバいガザにはいませんでした。唯一にして最大の違いは、アフガンから米軍は撤退しましたが、ここからイスラエルは絶対に撤退しないということです(だからプレーヤーが変わらない限りは半永久的にデッドロックなゲームなのです)。 陸続きで人っ子ひとりいない国境の山岳地帯が連なるアフガニスタンであれば、カタールのカネとパキスタンの黙認で武器や物資、そして戦士たちが往来することもできます。しかし三方を壁に囲まれ一方は地中海の海岸線で陸地が途絶、壁の二方をイスラエルが、最後の一方をエジプトが厳格に見張っていると言われるガザに、なんでハマスやイスラミックジハードの戦士たちが戦える武器や物資が届くのか。そもそもハマスの幹部たちはどうやって出入りしているのか。よく、地下トンネルからという話を聞きますし、実際そうなんでしょうが、ではそのトンネルの出入り口まで、誰がどこからどうやってモノを運んでくるのか、...

ではのかみに申し候うること

 少し前に日本のメディアで、イスラエルは「女性活躍社会」、女性起業家や投資家が大活躍(≒日本も見習うべき的出羽守)という趣旨の記事を見ました。 ちょうど、イスラエルのハイテクエコシステムにおける雇用の多様化を目指す取り組みについて数か月にわたって取材をしていて、ようやく先週原稿を書き終えて東京に出したところでした。多様化というのは一義的には男女の話であり、またイスラエル独自の文脈としてのアラブ人やユダヤ教超正統派、エチオピアやスーダンなどアフリカからの移民といった少数派コミュニティの職場での包摂の話でもあります(そのうちウェブに出たらまたご案内します)。 4人の取材対象者に話を聞きました。とても「先進的」な取り組みを主導する人たちなので、当然かもしれませんが、みなさん女性でした。とても素晴らしい人たちだった。でもその彼女たちが口々に言っていたのはハイテク業界を占有し続けるマチズムであり、イスラエル社会に根深く存在する生活慣習として規定された男女の役割でした(例:子どものお迎えは女の人の仕事)。働く人たちの目線に降りてきて話を聞いたのであれば、イスラエルの働くママたちもまた日本のお母さんたちと同じように家庭と仕事の両立に悩んでいるんだという当たり前の姿が見えたはずです。 ところで、彼女たちとは英語で話をしていました。僕がヘブライ語ができないのでしょうがないのですが、取材からしばらく経ってからふと思ったのは、たまたまハイテク産業で働く人たちとは英語できちんとした文脈まで押さえた深さの会話ができるけれど、近所のスーパーでいつも満面の笑顔で肉を切ってくれるロシア系のナタリヤとは言葉を介しては深く彼女のことを理解できないだろうなということでした。一方で、実は言葉を介して理解できたと思っているのは僕だけで、相手が本当に思っていることをそのとおりに言ってくれていたかどうかは定かではないのかもしれません。逆にナタリヤは、言葉は通じないのだけれど、彼女がいる肉売り場に行くとすごく気分がいいので、他の売り場はショボくて買うものがほとんどないのに、肉を買うためだけにいつもナタリヤのいるスーパーに行ってしまうのです。 言語での理解が理性の範疇だとして、笑顔で心が穏やかになることが感情や感覚の範疇だとすると、感情や感覚が人の行動や交流に与える影響というのは言語というある意味ニュートラ...

5年後の春に

六本木の居酒屋で,有象無象の衆がとっちらかる酒宴の席の片隅で,ふと知り合った酔狂な男がいました。人を一切寄せ付けない振りをして,寂しさを満開にした革ジャンの背中の向こうからクルッと向き直った顔には,鋭く人を刺しそうで,それでいて人の心をつかんで離さない,底なしの優しさを持った目が,酒に酔ってちょこんとすわっていました。 生い立ちも,職業も,女の好みもまるで違う二人でしたが,なにか信ずるものがつながったというか,『けっきょく大事なところはそういうことなんだよね』というところで膝を打てるというか。 半年後に,日本が揺れました。一月あまりが経ち,彼と会いました。彼の奥さんと僕の妻も一緒でした。この一月にお互いの身に起こったこと,考えたこと,とりとめもなく話をしました。フツフツと湯気を立てて煮えるモツ鍋が半分くらいなくなったときに,ふと彼は言いました。 『吉田さんさ,俺,東北に桜をね,植えたらどうかと思うんだ。あれからずっとずっと考えていたんだけど。なにをすべきなのか,なにができるのかって。で,俺は花屋だから。植物の持っている力をどうにかして,人びとの元気につなげられないかと思い至ったのね。たくさんの物語が流されてしまったところで傷ついたけれど,また頑張ろうとしている人たちと一緒にさ,これから未来に向かって育つ樹を植えたらどうかな。どう思う?吉田さん』 モノもカネも情報も,そのときに必要なものがいくらでもあったと思います。まちがいなくそのひとつひとつが尊かった。みんな今日を,明日を生き抜くのに一生懸命だった。未来??桜?それで明日の飯が食えるのか?そんな時代だった。でも僕の目の前には,未来を,人間ひとりの寿命よりもはるかに長い時間を生きて,しかも生きた人間の想いを,ひとりひとりの生きた証である「物語」を,託すことのできる樹木という媒体を活かして未来を見ようとしている男がいました。 樹を植える,樹が育つ,大きく大きく育っていく。10年,20年,50年,100年,彼と,いま彼が話している僕が死んだ後,遥か先の未来にまで届く。ただ,そこには重い重い責任が伴うことも,彼は承知していました。あのときの,初めて会ったときのあの目で,そう言っていました。 『うん,やろう。それはやるべきだ』 5分後くらいに,僕はそう答えていました...

イギリスについて想うこと (留学準備編①)

「海外研究員」としてイギリスに行くのに、あと三ヶ月となった。「研究員」といえば聞こえは良いが、もとはといえば事務方として研究所に勤めてきた人間としては、自分がその必要性を主張し続けてきたことが結実した結果としての人事であるとはいえ、相当のチャレンジであることは間違いがない。待ち受けている勉学はもちろん、研究者の同僚からどう思われているのか。事務方の後輩からどう見えているのか。後に続く人たちに対して不利になるようなことはできない。日頃自分勝手に、他人の目など気にせず唯我独尊で行こうなどと言っている一方で、その一挙手一投足に向けられる評価を人一倍気にする人間であったりする。 そもそもなぜイギリスに行こうというのか。「公式見解」としては Sussex が開発学で有名だからであり、学びたい分野の第一人者がそこで教えているからである。こんな理由で学校を選んだことはこれまで一度もない。自分で言うのもなんだけれど、実にいい選択をしたと思う。 他方で、一歩下がった下心としては受験勉強をさほどしなくても入れるのではないだろうか、というズルイところもあった 。というのは、アメリカの大学院に行くには GMAT やら GRE やら TOEFL 以外にも、しかも数学の試験をしなければならないらしく、かといって予備校などに行く気はさらさらないという元来のナマケモノ気質である。さらにはアメリカの大学院は学費が高く、かつ 2 年間が基本であり、そんなファイナンスを自腹でするのは耐えられない、という実に生臭い理由もある。要するにイギリスに行くことを選んだ内実は、それほど高邁なものではないというのが偽らざる本音であったと思う。 でも本当にそれだけなのだろうか。それだけの理由しかないのであれば、私は本当にどうしようもない人間である気がしてくる。私がイギリスに対して想う何かがあって、どこか心根の深いところに引っかかっているものがあるような気がして、少し想いを巡らせてみくることにした。 私が生涯で初めて「イギリス」という土地を、国を、もう少し正確には「ロンドン」という街のことを自分の感覚として捉え、認識したのはおそらく小学校 4 年生くらいの頃だったと思う。当時、私は担任の先生に通知表に書かれるくらい、外で友人達と遊ばず、学校の図書室に籠もって本ばかり読んでいることを心配される少年...

この一週間で考えたこと(2)

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日曜日。空港でかなり派手な余震に見送られてハノイへ。 本来であれば今次出張は中止にもなりそうなものでしたが、カイシャの見解は「フライトが飛んでいる以上、コトが起きているのは日本なのだから渡航先たる現地に問題はなく、従って積極的に中止する理由はない」。まぁ確かにおっしゃるとおり。さらに今回は日本からのみならず多くの関係者がASEAN各国から出席し、かつ日本からの我々がオーガナイザーなのでどうしても行く必要があったのです。 翌月曜日はハノイ近郊の某省へ。近郊の町や村の人々がリサイクルを生業にしていて、それが産業として集積しているところを見に行きました。前後でベトナム・グルメもちゃんとフォローしていますがそれはまた別の機会に・・・。 おなじみの現場は、他に違わず放射線こそ出ていないと思いますがダイオキシンやらメタンガスやらなにやらが満載の模様。 写真だと見づらいですが、ヘドロが堆積してガスがぶすぶす出ている池。 かわいい仔犬やお子さまの未来のためにも少しずつきれいにしていかれるといいですね。 村ではおばちゃんたちが往来でなにやら綱引きをしている最中。 セコハンの電線を引き伸ばしているところ。被覆を取って中身の銅線を出してまとめて売るんです。 街中にはこのように御殿が林立しております。リサイクル、特に資源系を値段が上がったときに売れると大変儲かる模様。車もレクサスやアウディがゴロゴロ。 変わったところではこんなものが・・・(いつからころがっているのか・・・) ジェットエンジン。MIG、かな。 なんかもうAKIRAの世界。(続く)

欧州雑感③英国編

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寒い。一番寒い。セントパンクラスに着いた瞬間に凍りました。 でも寒いロンドンをさくさく歩いてあちこち行くのが好きなので、、、なんてぬるいこと言ってられないくらい今回は寒い!! オックスフォードに向かいます。 途中レディングで乗り換え。ホームで待ってたらたぶん凍死します。 チョコレートで出来た大学の扉。 歴史を感じさせますねぇ。 いや、ウソですよ。 ノーベル賞級の先生とお話ししたり、アフタヌーンティーディスカッションをしたり、とてもステキな時間でした。Migrationの話はどこでも盛り上がるなぁ。やはり欧州の目下最大の課題のひとつは「移民政策」であります。でもやっぱり総じてイギリスのアカデミアはシニカルですね。良い意味で冷ややか。 駅に帰る途中でちょっと寄り道。 ハリー・ポッターの食堂。 この空の色がとってもイギリスって感じを良く出していると思いませんか? 夕食は駐在の同僚が南インド料理屋を手配してくれました。あっちのビール「コブラ」。しかし彼はインドに無事に転任できるんだろうか。数年前からビザが厳しくなっています。 名前とは裏腹に(?)とてもホップが効いていてロースト香もばっちりで、好みの味でした。 一転して翌日は快晴に。その分さらに寒いんだけど・・・。 午前中アポイントまで少し時間があったので、ホテルから近かったサマセットハウスに絵を見に行きました。 ちょうどセザンヌの企画展をやっていたので飛び入り。 中庭ではティファニーが子ども達のためにスケートリンクをこしらえてました。 ウィーンでも市庁舎前のスケートリンクは恒例だけど、博物館とか美術館でコンサートやセミナーやったり、建物や空間の使い方がほんとうに上手だなぁと改めて実感します。フィレンツェで訪問した大学はウフィツィ美術館のホールでアカデミックセミナーやるって言ってたし。アートとの親和性抜群ですよね。 あとは聞いた話として、ロンドンでLSEとかチャタムハウスがやるセミナーって必ずワインが出てソーシャリゼーションするんですって。「話を聞きに来る」というレベルじゃないってことです。仮に日本でそういうセミナーやろうとすると「誰がワイン代出すの?」とかいうみみっちい話に必ずなる。それから司会者のエンターテイナーぶりがすごいらしい。聴講者を楽しませる、楽しく聴かせる、参加させる、という強いコミットメント。彼らがセミナーを...

欧州雑感②フランス編

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パリには20時間ちょっとしかいませんでした。夜の7時過ぎにドゴールについて、翌日の夕方5時には北駅からロンドンへ発ってしまったので。それでもやっぱり冬のパリは、好きです。 フランスだけに限ったことじゃありませんが、お犬さまがふつうに電車に乗れます。 この子はエコールミリテールの駅から出てきたコッカースパニエル。実にお尻がふりふりであります。暖かそうであります。アポイントが終わって出発まで時間があったのでいつも行く7区の食料品店にお土産を買いに行ったのですが、なんと閉店しておりました。居抜きで中華料理店になってた・・・。他の支店に行くまでの時間はなくあえなく断念。やっぱり景気悪いのか。 しょんぼり食べたクロックムッシュは、気分がしょんぼりだったせいか、しょんぼりした味でした。 でもほんとにパリで英語が通じるようになりましたね。嫌な顔されないし。 フランスでは拡大する欧州ということで新たにEUに加盟した(する)国々のことをみんながどう捉えているのか、ということについてTrade, Investment, Migrationというような観点からインタビューしました。統一市場という制度の不完全性、統一通貨という制度のデメリット・・・ヨーロッパは実に面白い。

欧州雑感①イタリア編

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今回はローマから入ってフィレンツェ、パリ、ロンドンという、かつての新婚旅行の王道を地でいくようなコースを男性4名で駆け抜けてきました。移動を含めた滞在5日間でインタビューのアポイントは山のよう。実に充実しておりました。 ローマで泊まったホテルはいわゆるリノベーションもののデザイナーズホテルだったのですが、やはりいくところまでいっちゃってます。フロントの上に雲を浮かべる意匠は日本ではちょっとお目にかかれません。 ロビーにはおしゃれな雑誌が並んでいて・・・と思いきやRUNNERS紙が。 イタリアのRUNNERSの表紙はごついお兄ちゃんなんですねー。 日本のランナーズはたいてい見目麗しい女性なんですが・・・。 フィレンツェ郊外まではるばるやってきた欧州の国々が一緒に創った大学。 現役の修道院が一部キャンパスとして使われています。「静寂に包まれます」 柿がなってました。けっこう大ぶりでおいしそう。 新聞の掛け方も、なんだかしゃれています。 一仕事終えて学食でランチ。 昼食を食べるとセガフレードのエスプレッソが無料でいただけます。 トスカーナの荘園領主(?)の邸宅もキャンパスに! 諸々と問題はあるのでしょうが、少なくともこの雰囲気からはアカデミズムに対する高いreputationが感じられます。 今回の出張は欧州の地域統合研究がどのように行われているか、というフレームの話に加えて、統合の深化(非関税障壁をどうするか、とか)について研究者がどうアプローチしているか、ということを探るのが一点。そして、金融危機をはじめとして、各国のナショナルレベルのマクロ経済運営がどう舵取りをしようとしていて、これまた研究者がどんな目で観察し分析しているのか、というのが二点目。いずれもアジアの未来を鑑みる上で大事な視点であります。 イタリア経済は、、、フィアットがセルビアに製造拠点を移しちゃうとかあまり楽観できないみたいですが、なんともこの明るく優しい人びとならなんとか生きて行けちゃうんじゃないか、と幸せな気分になってイタリアを後にしたのでした。 空港に向かうタクシーからみたコロッセオ。やっぱりステキ。塩野七生さんの本読んだことないけどローマ史は好き。特にガリア戦記が好きだったです。

君のストーリーを描こう。

OB訪問の季節です。 職業柄(?)まじめで「堅い」学生さんが多い。 学生時代はたくさん勉強してきた。 ボランティアやNGOの活動を通じて貴重な経験をしてきた。 勉強や社会活動の経験を活かしてどこどこの部署できっと自分は 活躍できるはずだ。 僕らが就活してたときに、こんな真っ当なこと言ってるやつ いただろうかというくらいまっすぐまじめな子だらけ。 でも逆にちょっと気になるのは、みんな同じように見えるという こと。学部・修士程度(といってワタシは行ってませんが・・・) の学問で「専門」とか言われても蛇の道は蛇だから、いくらでも 上には上がいる。NGOの代表やってましたって、いまそういう 人は珍しくない時代。本人たちは一生懸命やっているのだと思う から、もったいなく感じる。一生懸命だから輝いて見えるのだけど 飛び抜けて見えないのはなぜだろうと考えたら、やっぱり「リベラル アーツ」が足んないんじゃないかという仮説に至った。 勉強もボランティアも「ツール」になっちゃってる感じがすごく 強い。「手段の目的化」というか。同じ大学生でも自分で 団体作って休学して現地に住み込んでプロジェクトを立ち上げて っていうところまでコミットを持っている人はやっぱり飛び抜けて いる。「リベラルアーツ」とは必ずしも哲学とか宗教とか芸術とか そのものをスペシフィックに学ぶだけじゃなくて、スピリット というか彼ないし彼女がその行動を起こす原点になるような魂の 揺さぶり、原体験をどう経験し、それをどう自分の中でconceptualize して「熱源」として収めているか、というようなことでもあると 個人的には思う。学問としてのリベラルアーツは、その「熱源」を 安全に管理・運用するためのやっぱりツールなんじゃないかと。 学問をすることそれ自体が熱を生み出すということではなくて、 熱はなんで熱いのか、そもそもなんで人間は熱を持ってるんだ、 という万象を学問をすることで説明できるようになる、というのが 本当のところではないか。 (熱源がない、というのが別の問題としてあって、コレのほうが いまおそらくマジョリティーの問題だろうけど、別途考えることに します) このconceptualizeの営みが実に大事であって、そこから生まれる ストーリーが彼ないし彼女の今までとこれからの人生を語ってくれる。 そこに「今何がで...