地図の力



子供のころから地図が大好きで、地球儀と世界地図は穴が開いてる。




天気予報とか飛行機の運航状況、最近だとグーグルアース。

「日本列島」の形をあらわす線が青い海の上に引かれた地図を
みると、僕たちは「これが自分たちの国の形だ」と自然に思う。



地図って偉大だ。人間は自分の力では空を飛べない。空から陸地の
形を眺めなくても、「測量」という技術によって紙の上に起して
その形を「見る」ことができる。



でも、地理的な陸地の形を紙の上に起したものをただ「見る」のと
その形を「自分たちの国だ」と認識することには大きな違いがある。



先日、スティーブと酒を飲んだときに、いつもと同じく「日本人は」
とか「日本は」という話になってエキサイトした。スティーブは
インドネシアにもオリジンがあるけれど、誰よりも日本人であることに
誇りを持っていると同時に、この国の在り方に憤っている人の一人。
それはとても立派なことで僕にも共感できる部分がすごくある。
(面と向かって言わなくてごめんね)



そんなときにいつも僕が考えるのは、「なぜ僕たちは自分たちを
日本人だと思うのか」「なぜここを『日本』だと認識するのか」
そして「なぜあの島の形を見て『日本列島=我々の国』だと思う
のか」というような命題。



立ち戻るのはベネディクト・アンダーソンであり、白石隆なのだが
勉強が足りていないので、本を二度読み三度読みするはめになる。
日本の文脈とはまた異なるけれど、東南アジアの「国々」が長い
歴史を経てどうやっていまの「国」「国家」となってきたのか、
ということが大きな視点から分析されている。その上で、いまの
状況を鑑みて、我々が何をなすべきなのかも。



国を愛することや、世界を憂うことはとても大事なことだし、
その熱い気持ちがなければ世の中は決してよくならないと思う。
でも時に矮小なナショナリズムや、あまりに過酷な現実がもたらす恐怖
を克服しようとするための攻撃性が現れそうになったときに、
ふっと息を吐いて、全ての成り立ち」に思いを立ち戻らせるとどうなる
のだろうかと考える。




きっと、この試みはすでに数多の先達が挑んで倒れてきているはずで
そういう意味ではひょっとしてまだ脆弱なのかもしれないが、歴史を
踏まえた、省みた分析と研究が積み重なり、それを眺めて何かを思う
人の数が徐々に増えて「そういうものの考え方もあるよね」という人が
あちこちに出てくると、潮目が変わるときが来るのかなとも思ったりする。




地図は単に地球の上に引かれた線にあらず。
人びとの心に「『自分たち』は何者か」を思い起こさせる。



では地図とは何者か。
地図で引かれた線で規定される「わが国」 とは、「かの国」とは何者か。




さてさて。 渋沢敬三、宮本常一を勉強しようかなと思い始めております。
日本の隅々を調べた人たちの業績を覗くと、この国の形を考える
上で違った視点、考え方が出てくるかもしれない。
そう考えています。

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