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2016年の冒頭に

実は、こういうものをいままで書いたことがなかったし、正直なところ「年頭にあたり心機を新たにす」というようなことをしたことがなかったのですが、今年はなぜかそんな気持ちになりました。 2015年の前半はイギリスの師匠の下で「研究者」として仕事をさせてもらう中で、いい意味で自分の限界と可能性を思い知ったという意味で、非常に辛く苦しい反面すごく良い時間を過ごしました。限界があるからそれをしないのではなくて、可能性のある方角に向かって限界点をずらしていく、延ばしていくという意味で。ある畑での限界は、隣の畑での限界ではない。 翻って2015年の後半は、日本に戻って、知らず知らずのうちに「組織」に自分をアダプトしようとしている自分にいやというほど気がついていながら、慣れ親しんだ日本の「組織」カルチャーにアダプトすることの安心さに甘えて流されているうちに過ぎてしまった時間でした。イギリスで見た「夢」に感化されていたのか、「組織」をどうしたら変えられるのかとか、土台ひとりの力ではムリだし、そもそも僕個人としてやる意味もないことに年甲斐もなくこだわって非常に苦しい時間を過ごしました。否、分かっていたはずなのにそれを防げなかったのは、やはり分かっていなかったということに尽きます。限界点を延ばしていくはずが、もといた楽なところになにがしかのちっぽけな存在意義を見出そうとするあまり、意味のない葛藤、というか自己保身にはまっていたわけです。 「組織」は簡単に変わらないし、そもそもそれを変えることは(いまの)僕の仕事ではない。僕は自分の力でいけるところで、少なくとも同じ方向を見て進もうとする人たちと仕事の成果が最大になるような努力と貢献をすればいい。言い訳に埋もれる非常につまらん人間になりかける危機をようやく脱したところですが、まずはそこから。 人間いつでも、いつからでもやり直す。