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情報の近さ、遠さ

44D@バンコクです。 23日から25日まで、車で数時間離れたリゾート地で起こっていた政治のイベントとはまったく関係なく、今日から現地入りをしております。思い切り、社内用務です。 当地の新聞を読んでいて、改めて日本での視点と異なる部分に気がつきます。 サミットの焦点は議長声明などよりもカンボジアのフンセン首相が何をしゃべったか、この報道の取り扱いがとても大きいです。タクシン前タイ首相を経済顧問に招聘するとか国境紛争での強硬姿勢といったタイを刺激する一連の発言はあまり日本では取り上げられていませんが、少なくとも僕が読める英字紙ではこの話題がトップ扱いです。 往路の機内で斜め読みしたFTは、トップにADB黒田総裁がEAS(東アジアサミット=ASEAN+6)で発したアジアの通貨安定に向けたコメントがショーアップされており、これは日本人の読者を強く意識したものかなと思いつつ(日本で刷ってるから)搭乗前にチラ見した日本の新聞でも、ASEAN+3か+6か、といった日本と中国、それにインド、豪州あたりの綱引きを予想するといった「マクロな視点」が多いように思います。もちろん当然なんでしょうが、それにしても日本とどこかの国(々)との関係がどうなるのか、どういうイニシアティブが出たのか、という視点に終始します。それに対して相手国が(首脳のリップサービスばかりでなく事務方も含めて)日本をどう見ているか、あるいは第三国同士の関係性というような視点にはニュースバリューはあまりない、ということでしょうかね。なんというか、非公式でも傍証でもなんでもいいのですが、ひとつのissueに対してそんなニュアンスを求めているときはいろいろな国の、違うリソース(新聞、ネットなどなど)を眺めてでもなにかに気がつきたい感じです。 「マクロな視点」の記事や論考は、読者の世界観を広げる効果があるかもしれない反面、読者の想像力の限界を超えて世界観を伝えてしまう危険性があります。つまり読んだ人は+3とか+6とか、なんとなくわかった気になるんだけど、実際言われていることの寸法というか、それでどうなのよ、というところは実は伝わらないような気がとてもするのです。 これが同じサミットを取り扱ったタイの新聞では、引き続き国民的論議を呼んでいる存在のタクシン元首相のカンボジアを巡る動向や国境紛争(?)など、とかく庶民の目線でイメー

3R

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3Rってよく見聞きする言葉だと思います。 Reduce, Reuse, Recyclingの三つのRをとって3R。 廃棄物を減らし、再利用し、リサイクルするという意味だそうです。 僕は専門家でも何でもないのですが仕事上の行きがかりから、日本やASEAN各国を含めたこの3R政策を研究するプロジェクトのお手伝いをするようになって2年目になります。3Rはもとより環境政策の先進国である日本をはじめ熱心なタイやフィリピン、シンガポール、マレーシア、そしてインドネシア、ベトナムといった国々からの専門家でワーキンググループを作っています。僕はさしずめその事務局といったところです。 廃棄物と一口にいっても、種類は家庭ゴミから産業廃棄物、それもhazardous waste(有害廃棄物)まで実に幅広く、国によって処理の仕方や法規制の有無、整備状況もまちまちです。informal sectorと呼ばれる中小の無認可業者がdumping(不法投棄)をした結果、環境破壊を招く事例も多数起きているようで、日本も過去の苦い経験に則って、如何にinformal sectorをformalizeしていくか、業界の法制化と企業育成のための制度作りに向けた提言をすることもこのプロジェクトの目的になっています。また近年注目が高まっているrare metal(希少金属)資源の再利用についても、大きな課題のひとつです。といってもこのプロジェクトで取り扱うのは、レアメタル回収・再生利用の技術的な側面ではなく、なかなか見ることの出来ない再生可能資源流通やそこに関わるステークホルダーの実態を調査し、どのようなルール作りや支援を行えばいいのかを探ることです。環境問題、それも廃棄物処理の問題については、従来は一国内の問題として各国別に取組が行われてきましたが、廃棄物や再生可能資源の国境を越えた取引がde factoで進む一方で、中には当然ながらilegalなものもあることからその規制が求められる、また枠組やルールを統一化することで市場としての価値が高まり、結果として業界が洗練され3Rの効能が高まるという期待をこめて、国の枠組を超え地域全体としてこの問題に取り組む必要性があるとの認識から多国籍のワーキンググループが組織されています。 先週インドネシア・ジャカルタで開催された第一回の会合では、会議室でのミーティングはもち

八ツ場ダムの是非

八ツ場ダムが揺れています。 57年も前からのダム計画に翻弄されてきた地元と、自民党政治からの決別、一度決めた公共事業は「無駄」でもやってしまう体質からの決別の象徴にしたい民主党政権の対決軸が連日報道されています。 「変革と刷新を目指す新生与党」と「国に翻弄されたかわいそうな地元」の構図はとてもわかりやすくていいのですが、その一面だけを報じて「さてさてどうなることか・・・!」と高みの見物を決め込む報道番組が一番変わっていないんじゃないかとイライラします。 民主党はマニフェストに「八ツ場ダムは中止」と書いているから中止すると言いますが、確かにマニフェストには書いてあるけれど、「中止」と書いてあるだけで、ではなぜ中止なのか、建設を続けた場合と止めた場合のコストベネフィットはどうなっているのかといった話には触れていません。大臣が地元に言って理由をいくつか説明したそうですが、ダムの問題は築かれる地元のみならず治水や利水の関係から下流域の自治体も大きく関わる問題であるはずです。利害関係者になりそうな埼玉県や東京都は、今のところ「国と群馬の問題」として静観しているのだと思いますが、この手の話を「地元」に押し付けてタフネゴシエーションの先鋒をやらせ続けるのもいかがなものかと。この先民主党は折れない(折れることが出来ない)でしょうから、そうなると「群馬の問題」として知事や町長といった首長が建設中止に反対する地元住民を、国を背負って説得し始めるマイナススパイラル交渉のような構図になれば、とてもつらいことだと思います。実弾も飛ぶでしょうし、それではなにも変わらないのに。 57年の間、大規模公共事業をやりたい国とダイレクトな恩恵を受けたい地元に加えて、下流域の自治体にしても「水がめ」のオプションを増やしたいという視線を持っていたであろうことは想像に難くありません。 「このダムをこのまま作り続けること」と「この段階で中止すること」の是非に関する情報を、徹底的にオープンにして、「国と群馬」の問題と矮小化せずに議論をすべきだと思います。そして民主党政権の政策変更の象徴であるこの問題についての対処を有権者がどう判断するか。「政治を国民に取り戻す」のであれば、重要なことです。