投稿

7月, 2013の投稿を表示しています

不動産屋、銀行、そしてIKEA(留学渡航編③)

あくる朝、9時30分きっかりに不動産屋へ出向く。泥のように眠り、犬のように目覚めた。寝た気が全くしないのは時差ぼけのせいではない。 不動産屋。出発の前日になっても一向に連絡が来ないため、「到着翌日の朝一番で行くがいいか?」とメールしたところ、「10時15分から別のアポがあるから9時30分に来てくれないと、その後は午後よ?」と、しれっとしたメールが来る。しかも即レスに近い速さで。 不動産屋の担当者はLisaというのですが、まあいい加減です。こういう条項を入れてほしい、というか但し書きでもいいから書いておいて、会社の手続きで必要だから、というようなことを言うとOK!やっときます!!などと言いながら、蓋を開けてみたらば最初のドラフトとなにも変わっていないバージョンが机の上に乗っかって僕の万年筆をかじろうとしている。「あの件、どこにも書いてくれてないよね」というと、「え?この中のどこかに書いてあるんじゃないの?私には分からないけど。」とか平気でのたまう。 「いやいや、あなた、事前に確認したときに追加しておいてね、とお願いして、了解!といったでしょう。それはどうしたんですか?できないならできないって前もって言ってくれないと困るんだけど。」とほとほと嫌になりながらももう一度だけ尋ねる。 ほぼスルー。目の前でスルー。ガン無視。もう厚顔無恥とかそういうのをはるかに通り越してすごいよね、ここまで来ると。 仕方がないので不動産屋は外して後ほど大家と直接話すことに。ここで払う仲介手数料って言うのは何のためのお金なんだろう。それでも日本の相場よりはずっと安いから、やる気でないのも分かるけれども。日本の仲介は本当にぼったくりだなぁ、などと考えているうちに鍵だけは出てきた。 さっそく家に向かう。一度下見に来たときに上った三階の物件。上に行くほどに階段が狭くなるヴィクトリア様式の建物。部屋の中は、まあ当たり前だが、すべてのものがなくなってがらんとしている。窓から差し込む、より正確に表現すれば、素手で殴りこんでくるくらい強烈な日差しだけが、フローリングの床をテカテカと照らしている。 早速当社比1.5倍のトランジットをアパートの前に回して、10個を超える段ボール群を運び上げる。死亡寸前。体を鍛えないと真剣にやばい。これはとても家具は運び上げられないな、と自覚。お金を払って

人生で何番目かに長く濃い一日(留学渡航編②)

旅立ちの朝。 ターミナルへ向かうバスがちょうど出るところだったので、荷物を任せて乗り込む。昨日両親が持ってきた段ボール箱がひとつ追加されているので、事前に運搬されているいまだ出会っていない段ボール群と合わせるとすでに二人の手には余る量の荷物である。これから明らかになることだが、家族連れの赴任に際しては専門業者の引越しサービスを使うことを強くお勧めする。手間と費用をケチって受託荷物の範囲内で持っていこうとしたことを猛省するのである。 さて、バスは三階の出発ターミナルに止まる。僕は、事前に業者に預けた荷物は一階のカウンターまで取りに行かないといけないと思い込んでいた。その全部はとても持ちきれないということがあらかじめわかっていたので、前々日にポーターサービスというものを申し込んでいた。三階ターミナルに入ったとたん、左手の JAL ABC のカウンター横に見慣れたスーツケースと、妻の文字が書かれた例の段ボール群が目に入ってきた。 ポーターサービスは一階から三階まで何も言わなくても荷物を上げておいてくれるサービスのことを言うのか! いとも簡単にチェックインカウンターまで 10 個を超える荷物が運ばれた。マイレージステータスに物を言わせ、グローバルクラブのカウンターをふたつ占領し、グランドホステスを 2 名も従えてのチェックイン作業は 20 分にも及んだが、エクセス 15,000 円で済む。すばらしきかな、日本航空。 一息ついていたところに、羽永太朗氏と奥様、ご子息が見送りに来られる。氏には諸々と本当に感謝である。ランデブーポイントのスターバックスでコーヒーを飲んでお別れする。ラウンジで妻の失業保険給付に必要な書類のコピーなど、ぎりぎりまでなにかに追われながら、 12 時間の空の旅へ。 あっという間にヒースローに着く。入国審査官は被り物をした女性であった。つつがなく審査を終えたと思ったそのとき、思わぬことを口にする。 Confirmation of Acceptance for Study (CAS)  のレターを出せ、と。 CAS レターがないとどうにもならない、入国はできない、などとのたまい始める。は?そんなのいま手元にないよ、預けた荷物に入っているけど。そもそもマニラの大使館の領事部のおたくの同僚に CAS を提出したからビ

いよいよ出国(留学渡航編①)

15 日の出発に向けて、朝はやれ荷物の預け入れや何やらで忙しいだろうからと、空港前泊を選んだ。よって今夜は成田に泊まる。成田前泊はJTB新人時代の見送り以来か。あのときはエアポートホテルだった。今回は日航成田。出世したものだ。 両親と祖父が夕方ホテルに来てくれてお茶。正確には、僕以外はみなアイスクリーム。夕飯も同じレストランでとる。 日本を離れる最後の夜というのが、心のどこかに少なからずあって、何かをしたい気持ちになる。ホテルの最上階にバーがある。 24 時まで営業とのことで、 23 時 10 分に上る。ブラントンの馬のマークが目に留まる。バーボンなどしばらくご無沙汰になるだろう英国生活を考えて、一杯目はブラントンソーダ。のどの渇きにあっという間に吸い込まれる。 次を促されるので、ゴッドファーザーを頼む。もうスコッチに流れた・・・。と、目の前のカウンターの内側を通りがかったバーテンダーが「ウィスキーがすきなんですか?」と声をかけてくる。しばし話す。最後に一杯、なにか忘れたがモルトをストレートで飲み干して階下に下がった。明日は出国。