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12月, 2009の投稿を表示しています

観光庁

観光庁長官に溝畑さん。 http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20091225-OYT1T00385.htm これは期待大です! 溝畑さんは元自治官僚ですが、トリニータをJ1に導いて九石スタジアムを常に一杯にしてきた地域振興の手腕は定評があります。そして「熱い」。確かに平松さんという名知事が大分にいた、ということがあったにせよ、です。県庁にいたのではちゃんと出来ないといって役人を辞めて、チームの経営に献身し、のめり込みすぎて離婚しちゃった、といったエピソードも。泣かせます。 http://doraku.asahi.com/hito/runner2/090818.html 内閣府の木村さんと並んで、地方を変えることができる人が中央の仕事の、それもトップに立つというのは本当に素晴らしいことだと思います。とてもナイスな人事です。 かつて観光業界の末端にいた者として、この世界の出来事にはやはり関心がありますし、日本の観光業界はポテンシャルがすごく高いと思うのでこの先楽しみです。どんなタマが出てくるのか・・・。ワクワクしますね。

最近の読書から

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第二次大戦中にフィリピン戦線に従軍し、「俘虜記」「野火」「レイテ戦記」といった戦記モノで有名な大岡昇平。彼が書いた「ながい旅」という本を最近読みました。戦中に名古屋を中心に本土防衛の軍備と軍需生産を統括していた陸軍中将が、戦後、米軍の降下搭乗員(空襲爆撃機に搭乗していて、撃墜されたりしてパラシュート降下した米軍将兵のこと)に対する処遇を巡って裁かれるB級戦犯裁判を描いたドキュメントです。映画化もされていてそれなりに有名な話なのですが、改めてきちんと読む機会になりました。これも川崎和男さんのブログで紹介されていたおかげです。映画については、主演が藤田まことだったので「なんかイメージが違うなぁ」とそれっきりだった、という話もあるけど・・・。岡田中将、男前です。 http://www.ouzak.co.jp/blog/?p=3543 川崎さんも提起されている「東京裁判とはなんだったのだろうか」という問いかけから、私は改めて「戦争犯罪」とはなんだろうか、と考えはじめました。 今の仕事についてからちょうど一年くらい経ったころに、転職してはじめて海外出張に行くことになりました。行き先はアフリカ。南アとナイジェリアで20日弱くらい、半分修行のようでしたが、このアフリカとの邂逅はとてもとても強烈で、以来しばらく狂ったように「アフリカ熱」に浮かされていたことがありました。在京のアフリカ各国大使が集まるパーティーに顔を出したりもしていました。アフリカと一口に言ってもサブサハラ(サハラ以南のアフリカ)だけでも48の国があり、在京の大使といってもケニアや南ア、ナイジェリアといった「大国」から、ウガンダやルワンダ、エリトリアといった「小国」の大使まで、一堂に会していると実に様々な「人間模様」なわけです。 そんな「大使連中」の中にエミール・ルワマシラボ大使がいました。彼はルワンダの全権大使であり、元々の職業はお医者さん。大学の先生でもあったそうです。94年の虐殺を遠くパリからみて、ルワンダ復興を担うポール・カガメ大統領に請われて大使になった方でした。金銭に清廉で、教育家らしい高潔な人物。日本では虐殺のイメージしかないルワンダを、英国で飛ぶように売れているコーヒー豆の産地であるとか、シルバーバックというとても貴重なゴリラが住む国であるとか、懸命にPRする姿を仲間と一緒に微力ながら応援しました。

TAHITI紀行2

コペンハーゲンで開催されていたCOP15の結末を受けて、温暖化による海面上昇で沈みゆく島嶼国の代表のやるせない表情がニュース番組で盛んに映し出されていました。今に始まったことではなく、前々から言われていることではありますが、ツバルやパラオといった太平洋の独立国は毎年メートル単位の水位上昇により「国土がなくなる」現実に立たされているそうです。仏領ポリネシアではタヒチ島などの枢要な島はみな大きな島で、すぐにどうこうという危機感はないのかもしれませんが、それでも100以上も島があるのですから中には沈没に瀕した有人島があるかもしれません。制限重量一杯の荷物を抱え、大きな体を小さな飛行機の座席に押し込んで、何度も乗り継ぎをしながら渡っていく先の島に住んでいるのであろう人びとと実際にまみえた後では、なんともこの世界規模の会議の行く末も違ったものに見えてくるから不思議です。実際に見ないと想像力が湧かないのでは人間失格ですが、実際に見るのと見ないのとでは大きな違いがあるのも事実です。リゾート地に行ったつもりが、いつものくせで考え事です。 エアタヒチは、前回も少し書きましたが、仏領ポリネシアの域内にある島のうち空港設備がある47の島を結ぶ路線を毎日平均130便運行している航空会社です。所有する機材は全部で(たった)12機。 http://www.airtahiti.aero/articles.php?id=745 これと全く同じ記事が機内誌の記事として掲載されていたものを、離島との往復の間に読んでいました。他の乗客は当然窓の外の景色を見ています。私は悪いくせで考え事が始まったので、碧い海そっちのけで読みふけります。 「晴れている日と雨の日で搭載可能な乗客数が変わる」 「滑走路の端の椰子の木を一本切ると(筆者注:滑走路への進入角度が変わって揚力とか空気抵抗の関係が変わるから?)可能積載数が120㎞増える」 「照明のある滑走路は47路線中10しかないので日没までが離発着の勝負!」 ・・・・ 実に涙ぐましい経営努力に関する記事の数々です。 日本にも離島へのフライトサービスを提供している会社はRACとかORCとかいくつかあります。きっとどこの離島フライトも、離発着回数が多くて機材の整備が大変、赤字運行、悪天候への対処と悩みは似ているのだと思いますが、機内誌やウェブサイトに堂々と書いているのが

TAHITI紀行1

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久しぶりのブログです。 先週土曜日から約一週間、「南太平洋の楽園」タヒチへ旅行しました。 東京からエアタヒチヌイ(タヒチを本拠地とする航空会社  http://www.airtahitinui.co.jp/ ) の直行便で成田からタヒチ本島のパペーテまで約11時間。日付変更線を 超えて、到着するのは現地時間の早朝です。 機内で朝食が出るころには、窓の外は一面の碧い海。直感的に「とんだ ところに来たものだ」と思いましたが、それは当たっていました。 人間を懲らしめるためには、劣悪な環境(極寒の収容所とか劣悪な刑務所 とか)に置いて絶望的な気持ちにさせるのが良いものだと思っていました。 しかし、ここタヒチのように気候は温暖、白い珊瑚の砂浜の下の下まで 透き通るような碧い海、ただひたすら流れる時間と波間にたゆたう我が身、 フランス人の遺した旨い飯と酒、トップレスで泳ぐ隣のコテージの金髪美女・・・ というような環境におかれた方が人間はダメになる、ということを身を もって知りました。 パペーテ到着後、すぐに国内線に乗り換えてさらなる離島へ渡ることに なっていたため、本島の滞在時間がごくごくわずかで黒川先生がブログで 紹介されていたスティーブンソンの灯台は、残念ながら訪れることが 出来ませんでした。 http://www.kiyoshikurokawa.com/en/2009/03/tahiti-4-about.html 敬愛する吉田松陰の縁が、日本から10,000キロも離れた絶海の島にある なんて・・・と思うと、実に残念です。是非またの機会に訪れたいものです。 タヒチはその正式名称をPolynesie Francaise, 仏領ポリネシアといい、 ニューカレドニアなどと並ぶフランスの海外領土のひとつであるポリネシア のいくつかの諸島からなる地域の中心をなす島の名前であり、この地域全体 を指す通称にもなっています。厳密にはタヒチとは仏領ポリネシア「諸島」の 中心にあるひとつの(もっと厳密には大小ふたつの)島ということになります。 仏領ポリネシアを構成する島は、なんと全部で118もあるとか。 国際線であるエアタヒチヌイから、今度は国内線の運行を担うエアタヒチへ 早朝の国内線乗換でアイランドホッピングしまして、到着したのは ボラボラ島。タヒチ島と同じソシエテ諸島に属するリゾートアイラ