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衰えるということ

20数年前。 よちよち歩く僕の手を引いて、日本橋高島屋を闊歩していた祖母。 5階のおもちゃ売り場で、LEGOの箱を小さな両手に抱えた僕の眼の その先にいつも彼女の笑顔はあった。 その髪はモザンビークの黒壇のように艶やかで。 その肌は伊勢の真珠のようになめらかで。 今、御年八十七を数える彼女の髪は絹の糸のように白く、 肌の皺は重ねた年輪というにふさわしく寄り重なる。 そんな祖母を連れて両親の元へ赴く。 数歩先がままならない彼女の年齢的な衰えは、目に見えて明らかだった。 僕は三十。 両親は六十。 今まで当たり前のように元気で、陰日なたなく僕を支え笑顔をくれた 祖父母、両親。彼らの存在が無限でないことを、少なからず思慮せざるを 得ない、そんな想いをふと抱えた。 僕はこれから彼らと迎える有限の時間にどう向き合っていくのだろうか。 これまで彼らの絶大な助力の元に築いてきた自己実現とは、自己の自己に 対するヘゲモニーの確立であると考えてきたけれど、如何に自分が小さな 自分の中で世界を創り上げてきたことか、思い及んだ。 広い世界に自己実現を求め、これからもその方向性に違いはないと思う けれど、僕にとっての基盤となる存在について思慮を巡らすそんな週末の ひとときを過ごした。 自分を育ててくれた家族。 自分がこれから育むであろう家族。 人生は果てしなく広く、されど限りなく近く、そして深い。

世界平和指数

日本語で書くとなにやらダサイ、というか怪しげな。 Global Peace Index http://www.prnewswire.com/cgi-bin/stories.pl?ACCT=104&STORY=/www/story/05-30-2007/0004598231&EDATE 直訳すると世界平和指数なるものが発表されたそうです。 (じゃじゃーん) 121か国を約7,000種類のdataを用いて分析した結果らしく日本は5位。 G8でいちばん。 サミット直前にプレスリリースされたことがなにやらポリティカルだなぁと。 だってアメリカ 96位だし。 そもそも約7,000といっている指標の類がなんなのか明らかに なってないし、 統計学的に正しいと証明する根拠が見えないのですが、結果的には僕たちが 世界の国々に持つイメージをそんなに大きく変えない、 「あぁ、やっぱりね。そんなものね」 という内容のモノなのできっと誰も文句を言わないのでしょう。 タイ、フィリピン、もっとがんばろうよ。 そして最下位イラク、ブービーのスーダン・・・がんばろう。 「作られた指数」だとは思うけど、みんなでがんばろう。

意味

木を切って薪を割る。(キャリア20年) >道具=チェーンソー、斧(大) 草だの竹だのが高さ1mくらい生い茂ってる 荒地を開拓する。 その土地はいずれ米と野菜を生み出す。(キャリア半年くらい) >道具:草刈機(ドイツ製でいかつい) バカでかい羽釜で3升の飯を炊く。(キャリア3回目) >道具:羽釜(直径60cm)、薪、竈 築100年オーバーの古農家を改築して住めるようにする。(初心者) 道具=電ノコ、油圧ジャッキ(4tトラック用)、バール(解体用)、 金尺、電ドリ、木槌(玄能・大)その他たくさん・・・ これが、この連休に僕がやったすべてのこと。 あと飯食って風呂入って酒飲んで若いやつらと少々バカ話して寝る。以上。 たったこれだけ? と思う。ところが、実はこの4つの活動には人間にとって とても大事なアスペクツがこめられていると思う。 それは人間のプライマリーニーズ(生きるために最低限必要な事柄): 食べ物を食べることと、雨風をしのげる場所で眠ること、を満たすことを 目的とした営みだということ。 なんか一転してすごいことをやってたような気がしてきた。 でも色々な疑問が湧く。 スイッチをひねれば火がつくコンロがある時代にあえて薪を割る意味は なんなのか。 スーパーで無洗米なるものが買える時代に草刈から始めて米を作る意味は なんなのか。(そもそもボタンひとつで米が炊ける時代に羽釜で煙モクモク ってなんて不効率な。) 100年も経ってて床下はボロボロに腐ってて、そもそも全体が傾いてる。 土壁ははがれて柱はグラグラ、あらゆる生物がでかい顔をして跋扈して いる。そんな古農家を直して住めるようにするなんて意味があるのか。 (壊して新築したほうがなんぼかマシだろう。) 僕自身、オートロックでシステムキッチンで、全自動湯沸し機能がついた マンションに普段住んでる。 でも生活全体のうち出来たら半分くらいは、「意味」を考えながら生きる スタイルにしていこうかなと思っている。 ハイテクな道具たちとローテクな道具たちに囲まれながらね。 さて、なぜだろう。 人間が太古から営々と続けてきた生きるための活動の軌跡を、「比較的 便利でハイテクな社会」になった現代日本で生きる僕たちは、どうやって 「リアル」に次の世代へ伝えていくのだろうか。 この命題を解くことが「なぜだろう」の答えになるのだと思うし、自分の

ココロ騒ぐのはなぜ?

フィリピンから帰国して早半月。 なんだろう、このモヤモヤは。 いつもならば陽光うららかなこの季節。 私のココロは青天百里の如く 純々と晴れ渡っているはずなのに。 晴れやかな蒼天をうっすらと覆う 皮膜のような心憎いまでの 得体の知れない感触。 まさか、フィリピンのせいなのか。 これまで実に多くの国を訪ねてきたけれど。 実に多様に複雑で、暑かったり寒かったり辛かったり 臭かったりはしゃいでいたり、もの悲しかったりする 国々を渡り歩いてきたけれど。 フィリピンという国はどうだろう。 華々しく、でもしおらしく、 輝かしく、でもどんよりと。 元気そうなのだけど、元気じゃない。 明るそうでいて、実はナイーブ。 あか抜けているのかと思えば、 意外とシャイだったり。 まるで、なんだかもうひといき会話のかみ合わない、 つかみどころのない女の子とバーのカウンターで2人きり。 上半身をねじりながら相対して 互いのココロの在処を眈々と探っているような。 惹かれているのか、魅惑的なのか。 いやいや引いているのか、懐疑的なのか。 押すのも引くのもままならぬ。 そんな男の絶妙に微妙な心理状態を想起させる。 いまや誠に悩ましい存在なのである。フィリピン。

爺さん・馬・鴎外

うちの爺さん。吉田茂。齢八十六。 正月くらいしか改まって話をする機会のない爺さんとしゃべる。 僕は周りを圧倒してしまうほど機関銃のようにしゃべる人間だが、 つくづくこの爺さんの遺伝子を継いだのだと思い知る。 数年前いとこの結婚式で、孫達の誰よりも早く先陣をきって隣の テーブルの新婦友人と仲良くしゃべっていたのがこの爺さんである。 いい遺伝子だ。 戦中、兵隊で行った満州で馬の世話をしていたと言っていたので この前行った北海道の牧場へ今度一緒に行こうと話を向けてみたら、 爺さんの馬にまつわる逸話がほとばしってしまった。 満州、と言いつつ実は鴨緑江をはさんで北朝鮮にいたことをプロローグに 軍馬「松雪」の想い出をつらつらつら。 ひょっと爺さんが引用した鴎外の「うた日記」にある詩。 ことひ(手偏に賣)騾馬(らば) コトヒラバ 驢馬(ろば)常の馬(つねのうま)ロバツネノウマ ひとつ轅(ながえ)につながれて ヒトツナガエニツナガレテ 引く荷車の軋む(きしむ)音  ヒクニグルマノキシムオト  齢八十六ですが、※注、難漢字を含めて全暗記してます・・・ ※ことひ:優秀な馬の意 騾馬:♂驢馬と♀馬の交配種  常の馬:普通の馬  轅:荷車を引く馬につなぐ馬具 【解説】 鴎外は日露戦争に陸軍軍医局長として従軍したが、彼がみた凍った 大地を荷馬に引かれていく車の様子を歌っている。氷で固くしまった 地面の上で、車輪が軋むギリギリとものすごい音を、40年後の大陸で 爺さんも毎日のように聞いていた。そんな自分の想い出を鴎外の歌を 引き合いにして語る爺さんのインテリジェンスたるやなんたるものか。 爺さん、日本人なら「知性」と言え!などと言いそうなものであるが、おれも もう歳だから「フォロー」してもらわないと、とか外来カタカナ言葉を率先して 使い出す。 なんとも精神的に「ソフィスティケイト」された念頭恒例の『爺さん対決』。 毎年のことだけど、負け続け。 爺さんよ。おれが勝つまで往くなと言いたい。