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6月, 2009の投稿を表示しています

久しぶりに

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草津へ足を延ばしました。 湯畑の足湯でほっこり。

結婚式

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なんとか無事に終わりました。

留め置かまし大和魂

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頭が痛くなる山積みの本たちと格闘する合間に、少し心を休めたり切り替えたりするための文庫を数冊買いました。そのうちの一冊。吉田松陰については幕末マニアの朋友たちと飲むたびに激論になる中で気になる人物のひとり。 身はたとひ 武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし大和魂 彼が亡くなる前日に書いた松下村塾の門下生に宛てた遺書「留魂録」の冒頭にある句です。 『人の人生とは時間的な長さに関わらず、変わらず四季があるように意味深いものだ。長く生きて世に報いる人もいれば早く死んで後に周囲に影響を残す人もいる。人の生き死にとは、それだけのものだ。」という松陰の死生観がよく顕れているそうです。 でも、どちらかというと「永訣書」という家族に宛てた遺書の中にある次の句の方が、若干30歳、「同級生」の青年らしくて、無性に心に沁みるのです。と同時に、同じ30歳として俺はなにが出来ているんだろう、と忸怩たる思いになるわけです。 親思ふ 心にまさる親ごころ けふの音づれなんときくらん 自らの死を目の前にして超越した死生観を示した松陰と、自らの死を知らされる親の気持ちは如何ばかりか、と悲痛なほどの想いを抱く松陰が同じ一人の人間であることに、とても強い感銘を受けるのです。 別に同じ吉田姓だからってわけじゃないけれど、他にも人間味があって熱くて、時にアホじゃないかと思うくらい突っ走って星になった志士は大勢いるんだけど、でもこの人はなんだかインテリジェンスのかたまりだったくせに、、、、と気になる人なのです。 よく、幕末は傑物が多く出た時代、といわれます。松陰然り、橋本佐内、河井継之助、もちろん明治に入っても活躍する人たちが大勢いるわけです。で、それに比べると今の時代は・・・と論調は続くのですが、果たしてそうだろうか、と思ったりします。 維新の時代は、「幕藩体制」の小国に分かれていた日本をひとつの新しい体制に統合していく過程の中、新しい日本という「ひとつの価値観」を追求する中でクローズアップされそれを成し遂げた人物がいま「偉人」とみなされているのだと思います。翻って現代社会は、いちどひとつの新しい体制になった日本が戦争と戦後の復興を経て、少しずつまた「多様化」「細分化」しつつある時代なのかなと思います。これは価値観の多様化ともいえるし、地方分権化の圧力(必要性を問う圧力)ともとれるし、はたまた「国際化」「グロ

額縁

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先日、名所である鎌倉を敢えて外して、神奈川某所に紫陽花見物に行きました。 ふつう紫陽花というと、モコモコしたシルエットが印象的です。 しかしこの品種は額縁紫陽花というものらしく、小さな花の周りに額縁よろしく大きな花弁が包み込むような形をしています。 男30。 花もいいもんだなぁと思える歳になったということでしょうか。

新渡戸国際塾

国際文化会館(アイハウス)が主催する「次世代の『国際的』リーダー」を育成することを目的とした私塾。 2008年の9月から翌2月までの約半年間、お世話になっていました。 http://www.i-house.or.jp/jp/ProgramActivities/nitobejuku/index.htm 僕たちは第一期。当時は塾の名前も「新渡戸塾」。 旧五千円札のおじさん「新渡戸稲造」の生きかたをひとつの象徴として、私たちひとりひとりが今この時間を生きていくことの意味と意義を考える。そんなとても有意義な時間を全部で15人の同期生と一緒に過ごしました。パブリック、プライベートそれぞれのセクターでみんなプロフェッショナルとして活躍している人たち、その中でも自分は若い方から数えて何番目というポジションなので、良い意味で言いたいことを言いたいように言わせてもらって先輩方に辛抱強く聞いてもらって、甘えさせてもらったなーという感想が実はけっこう大きい。 つい先日第二期の募集・選考が終わりました、と事務局の方からご連絡があったのとほぼ同時に、アイハウスの降籏常務理事から一期生にやってほしいことがある、という話を耳にしました。以前から忘年会やら懇親会やらの席上で「一期が終わって来年は君達に何かやってもらいたい」と抽象的なことをおっしゃっていたのを度々拝聴していたのですが、この方いい意味でとてもお考えが深いというか言い方を変えると何を考えていらっしゃるのかいまひとつつかめない類の方だとそのときは思っていたので、敢えて深く聞かないようにしていたというのが本音でしたが、こういうことでした。 「アイハウスが主催するシンポジウムの企画から運営までを一期生に全部任せたい」 一瞬、正気か?と思いました。と同時に「おっさん、やっぱやるな。スゴイ人だ」とも。そう言われて意気に感じてひと肌もふた肌も脱いじゃう人たちの集合体なんです、新渡戸塾一期って。笑 みんなそれぞれの職場ですごく大きな責任を持ってる人たちばかりで、特に「トニセン」層の人たちはある意味でミドルマネジメントど真ん中のアラフォー世代。超多忙なはずですが、脱いじゃう。それで、きっとすごいものが出来ちゃう。 降籏さんはきっとそれをちゃんと見ていて。 だからスゴイ人だなと。 あ、彼のことを書くのがメインテーマじゃなくて、それで僕たちがゼロからシンポ

ジャケ買い

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しちゃいました。 我が家には、今か今かと読まれるのを待っている本が、待機児童のようにあふれてます。何年か前に自作した木製シェルフはすでに過積載。バングラの人足トラック状態。 そんなわけでIKEAに行くといつも本棚を物色しようとするのですが、嫁さんが目下ワードローブにしか関心を示さず。よってあの本たちの収容はしばらく先の未来になりそうです。 許せ、民たちよ。 さてすでに読んだ方、もしくはサミュエルズの他の本を読んでこういう話だよっていう方、しばらく僕と話さないで下さい。笑

JKSK

18:33海浜幕張発の快速に飛び乗っても新宿に着くのは19:40。 田舎勤務を憂いながら駆け付けたのはJKSK月例会@クリナップ西新宿 ショールームです。 http://www.jksk.jp/j/jksk-report/index.html JKSK(女子教育奨励会)とは、古くは明治の企業家渋沢栄一らが中心 となって「女性の社会参加と国際化」を目指して官民一体となって 設立したものが平成の世にリバイバルしたものだそうです。 主宰者(理事長)はこの方、木全ミツさん。労働省の幹部を務めて 国連公使に。退官後はボディショップジャパンの社長をなさった方。 http://www.jpf.go.jp/jfsc/topics/fr-0606-0075.html 国際文化会館で昨年行った「新渡戸塾」という「次世代のグローバル リーダーを育てる」ことを目的にした私塾に参加させて頂いた時の ご縁でご紹介頂き、先月からお邪魔しています。 新渡戸塾については、たぶん来週くらいに別途書きます。 JKSKの月例会は、理事長である木全ミツさんの手料理で始まります。 毎回招聘して貴重なお話をしてくださる講師のイメージに合わせて? メニューが変わるそう。今回はけっこうピリ辛のものが多かった気が します。といっても2回しか出ていないのですが、今日の講師は確かに ピリ辛だったかも・・・。 講師の西田陽光さんは、東京財団の加藤秀樹さんが主宰する「構想 日本」という政策集団の広報責任者を務めていらっしゃる方。 西田さんのブログはコチラ。 http://blog.livedoor.jp/yohkoh2/ お話の主題は、財政難のわが国において、公共部門にかかる税金と その使途となる事業を見直し、無駄をなくすために構想日本が 自治体や省庁、政党へ働きかけて、「事業仕分け」と呼ばれるプロ ジェクトを行っている、その活動内容を紹介する、というものでした。 ポイントは以下の通り。 ①国・地方に関わらず、行われている事業が公費投入するべきもの なのかどうかを、当事者である自治体・省庁・政党とその事業を分析 出来る実務者・専門家、そして広く一般に開かれた形で点検し クラリファイしていく。 ②予算規模の大きな事業かつ効率性、事業の必要性等を勘案して疑問 がある事業を精査した上で「事業仕分け」を行う。公費支出に値せず と判断

おっちゃん大活躍。

『西村ERIA事務総長 大いに語る』(2009.06.12 ジャカルタ) http://www.jiji.com/jc/zc?key=%EF%BF%BD%C2%BC&k=200906/2009061200632 さて、そろそろ「在日本秘書」の肩書きを返上させて頂けそうです かね。西村さん。

地図の力

子供のころから地図が大好きで、地球儀と世界地図は穴が開いてる。 天気予報とか飛行機の運航状況、最近だとグーグルアース。 「日本列島」の形をあらわす線が青い海の上に引かれた地図を みると、僕たちは「これが自分たちの国の形だ」と自然に思う。 地図って偉大だ。人間は自分の力では空を飛べない。空から陸地の 形を眺めなくても、「測量」という技術によって紙の上に起して その形を「見る」ことができる。 でも、地理的な陸地の形を紙の上に起したものをただ「見る」のと その形を「自分たちの国だ」と認識することには大きな違いがある。 先日、スティーブと酒を飲んだときに、いつもと同じく「日本人は」 とか「日本は」という話になってエキサイトした。スティーブは インドネシアにもオリジンがあるけれど、誰よりも日本人であることに 誇りを持っていると同時に、この国の在り方に憤っている人の一人。 それはとても立派なことで僕にも共感できる部分がすごくある。 (面と向かって言わなくてごめんね) そんなときにいつも僕が考えるのは、「なぜ僕たちは自分たちを 日本人だと思うのか」「なぜここを『日本』だと認識するのか」 そして「なぜあの島の形を見て『日本列島=我々の国』だと思う のか」というような命題。 立ち戻るのはベネディクト・アンダーソンであり、白石隆なのだが 勉強が足りていないので、本を二度読み三度読みするはめになる。 日本の文脈とはまた異なるけれど、東南アジアの「国々」が長い 歴史を経てどうやっていまの「国」「国家」となってきたのか、 ということが大きな視点から分析されている。その上で、いまの 状況を鑑みて、我々が何をなすべきなのかも。 国を愛することや、世界を憂うことはとても大事なことだし、 その熱い気持ちがなければ世の中は決してよくならないと思う。 でも時に矮小なナショナリズムや、あまりに過酷な現実がもたらす恐怖 を克服しようとするための攻撃性が現れそうになったときに、 ふっと息を吐いて、全ての成り立ち」に思いを立ち戻らせるとどうなる のだろうかと考える。 きっと、この試みはすでに数多の先達が挑んで倒れてきているはずで そういう意味ではひょっとしてまだ脆弱なのかもしれないが、歴史を 踏まえた、省みた分析と研究が積み重なり、それを眺めて何かを思う 人の数が徐々に増えて「そういうものの考え方もあるよね」と