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闇鍋

先日のブログで報告しましたとおり( http://44dgeorge-penguinflipper.blogspot.com/2010/06/blog-post_11.html )「朝会」の闇鍋プロセッシングがどのように進んでいったのかをまとめて参りたいと思います。 設定は以下のような感じでした。 鍋=グローバルシティ東京 具1=英語能力 具2=他者包摂のためのエンロールメント能力 具3=高度人材移動 まず鍋の準備はこのような具合。 「グローバルシティ」は東京以外にもニューヨーク、ロンドン、パリをはじめ世界各地に存在。(グローバルシティの定義は http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%96%E7%95%8C%E9%83%BD%E5%B8%82 ) 中でもアジア地域は顕著であり、シンガポール、香港、上海などグローバルシティとしての相対的地位が上昇。 東京は「グローバルシティ」競争ともいえる流れの中で如何に比較優位を確立していくことが出来るか。 いくつか方策が考えられる中で、「東京の魅力を外国人に知ってもらう」取り組みが挙げられる。イベント(映画祭、ファッションショー、モーターショー、など)を通じた発信。 中でも東京の文化がつまった「祭り」を前面に打ち出すという設定はどうだろうか。 次に具の下ごしらえ。 具1=外国人を東京にinviteし、hostする場合、communication toolとしての英語から、文化の持つ価値を「日本語」を理解しない「日本人以外」の受け手の価値観にビビッドに伝え、落とし込むようなある意味での「意訳」「超訳」が求められるのではないか。これはもはや一個人の言語能力に留まらない。 具2=外国人を東京にinviteし、hostする場合、具1で挙げた英語能力に加えて、感動の輪に受け手を巻き込み共感を呼ぶ態度や姿勢(enrollment behavior, attitude)が求められるのではないか。これはもはや一個人の性質や努力に留まらない。 具3=観光目的の外国人を多くinviteし、hostすることは極めて重要。他方で観光人口そのものはフローであるため、東京の魅力を伝えるその先にストックとなる定住型高度人材の誘引が求められるのではないか。 闇鍋とは、グローバルシティ東京の比較優位を高める潮流が中で渦巻いている鍋。

Michael Sandelの「Justice」と本居宣長の「もののあはれ」

ハーバード大学の「名物講義」としてNHKでも放送されているMichael Sandel教授の「Justice」。5人の命を救うために1人を犠牲にすることは許されるか、数千の命を守るために時限爆弾テロの容疑者を拷問することは許容されるか、同性の婚姻を法律で認めるべきか、人間の命の価値は、いったいいくらか・・・。アフガニスタンで潜入作戦展開中にタリバンに通報され戦友を亡くし自らも負傷したネイビーシールズの元兵士は戦友の命を守るために自分たちを目撃した羊飼いを殺すべきだったか。次なるテロを防ぐためとしてグアンタナモで行われているテロ容疑者への拷問は正当化されるか。政府は同性婚を法律で認めるべきか。あなたにとって正しいこととは、なにか。正義とはなにか。ソクラテスから始まりベンサム、カントやミルなどを引きながら、眼前に横たわる判断の付け難い問題をどう捉えるか、聴講者の道徳観に投げかけていく。広く西欧の政治哲学を論拠にしつつ、ケーススタディとしてアメリカが抱える数多の問題に潜む道徳の相克を浮かび上がらせる。 そもそもこれらの問題を引き起こす原因はアメリカという社会そのものに依拠するものではないか(だから自業自得だ)という批判がある。確かにその通りである。国内の問題はいざ知らず、国際問題もアメリカが自ら引き起こしているかに見えるものも多い。だからアメリカでは常にこれらの相克が議論される。宗教右派とジェンダーリベラルは同性婚や堕胎容認について活発に議論するし、テロ容疑者への拷問を止むなしとする国土安全保障上の保守派と人権擁護派の議論はエスカレートする。これらがやがて政策の争点となり、ひいては大統領選挙の趨勢までに影響する。国民、つまりアメリカ人の主要な関心事にまでアジェンダとして昇華するのである。これはSandel教授が提起する「道徳上の問題」はアメリカにおいてはいみじくも顕在化した、乗り越えられるべき問題として社会が認識している、と言い換えることができる。この過程で彼らは、「アメリカにとって、アメリカ人にとって道徳的に(法律解釈からも宗教的価値観からも中立であるが十分に両者を加味した)善きこととはなにか」という命題を追求し続けているのである。平たく言えば(全ての、とは言えないが)少なからず多くの市民が「善きアメリカとはなにか」「善きアメリカ人とは何者か」という命題をそれぞれの立場

朝っぱらから走り始めてます

さて走り始めた「朝会」は、5月最終週の第1回で前回書いたような初期設定を施されました。 http://44dgeorge-penguinflipper.blogspot.com/2010/06/blog-post.html そして2週間後の今週、第2回が開かれました。 メンバーが持ち寄った「気がついたこと」「気になったこと」を各々が発表します。 Aさん「世界に増え続ける大都市との競争に東京は生き残れるか」 Bさん「英語能力は必要条件か、それとも付加価値か」 Cさん「なぜ日本人は「お誘い」が苦手なのか」 私「国際的な労働移動は日本の成長に役立つか」 一見バラバラのテーマですが、きれいに縦糸と横糸が見えました。 各々の発表を受けてみんなで話し合ったところ、みなやはり同じ感想。集まるべき人が集まるべくして集まっています。別に狙ってないのですが結果的に。こういうときに同調性とか共感性を感じるととても嬉しくどんどん物事を前に進めたい気分になります。 「グローバル化する世界」という文脈の上に載せると、全てが繋がって語られるよね。 その上で「東京」というハードインフラに「英語能力」「積極的なコミュニケーション」「国際労働移動」というソフトインフラを載せると、「グローバル化する世界の中で、東京という都市においてこれらのアスペクトがどのように位置づけられているのか、これらはどのように東京という都市の趨勢にインパクトをもたらすのか」というようなテーマになってくるよね。 各々が持ち寄ったアイディアを「東京」というナベの中で一緒に煮てみよう、ということになりました。 はてさてどんな料理が出来るのか。 闇鍋?? かもしれません。 誰かの下宿に集まって闇鍋、ワクワクしたでしょう?

早朝から集まってます。

最近時流に乗って(?)「朝会」という勉強会を始めてみました。「丸の内朝大学」など他の若人(?)もすなるという巷で大流行の早朝勉強会を我もしてみんとしてすなり、と紀貫之チックな心境です。 今週第2回の集まりを開いたのですが、前回までの議論で整理した会の大まかな流れと狙いを忘れないように書いておきます。 (流れ・アプローチ) 「自分たちでアジェンダを決める」「急がない、じっくりゆっくり深く広く」 1.ミーティングは隔週1回。 2.各人が次のミーティングまでの2週間、日常を過ごす中で自分の立場、視線から世の中を見つめていて「気がついたこと」「気になること」を意識的にピックアップして、参考情報などと一緒に持ち寄る。 3.持ち寄った「気がついたこと」「気になること」について報告し合い、その中から次のミーティングで更に深く考えたいものをみんなで選ぶ。 4.次の2週間を使って同じテーマについて自分の立場、視線から調査し、分析し、考察を深めて再度持ち寄り報告し合う。原則2回で一つのテーマについて扱いたいが、メンバーが合意してより深く学びたい、知りたいという場合は当然この限りではない。 (狙い) 「コミュニケーション」「アジェンダメイキング」「エンロールメント」「アクノレッジメント」「サティスファクション」 1.自分たちではない他の誰か(セミナーの主催者とか)がアジェンダを定めるのではなく、参加するメンバーひとりひとりが自分の立場、それぞれの視線から日常を生きる上で「気がついたこと」「気になること」を持ち寄ってアジェンダから一緒に作る。 誰かが作った組織、誰かが考えたアイディアにただ乗っかるのではなく、自分たち自身が発案できるということがインセンティブと感じられれば会の参加に積極性と主体性が生まれ、結果として持続性が高まる。 2.メンバー自身の立場、視線から集めた「気がついたこと」「気になったこと」を元にアジェンダを作ることによって天から降ってきたようなものではない「地に足の着いたテーマ」を設定する。 但し、各論が集積したとしても、それらを包含するマクロ的視点、本質的議論に収斂し共有していかれるようお互い意識し、良い意味で「趣味的」または「蛸壺」にならないようナビゲートし合いたい。(当面僕が縁の下のファシリテーター的な役目を買って出ようと思っていますが、交代でその回のチェアを決めてや