投稿

2021の投稿を表示しています

ある朝、柔らかで心地の良い声を聞いた時のこと

 朝、オフィスに向かおうと家を出ると、目の前の歩道に置いてあるベンチで、なにやらおじさんが音読している。ヘブライ語でもアラビア語でもない(英語でもフランス語でもない)どこかの言葉で何やら書物を音読している。風体からその言葉を想像するのも失礼極まりないのだけれど、おそらくエチオピアのおじさんで、エチオピアの言葉で読んでいるのだろうと思いながら目の前を通り過ぎる。最初は「音読!?」と瞬時にいぶかしんだのだけれど、聞いているとなんとも柔らかな、これでも少しは肌寒くなった砂漠の国の短い秋の朝の優しい日差しの中に響く心地よい声だった。 彼の故郷(だと思う!)エチオピアも揉めに揉めて首都近郊までティグレの人たちが攻めてきているという話。オフィスの同じ階を共有するエチオピア大使館は表向きいたって平穏なのだけれど、先日エルサレムではエチオピア移民の人たちが、故郷に残された家族や親族、友人の類を呼び寄せさせろとデモをぶちかましていたそうな。 オフィスについてGoogleアラートで送られてくるニュースを読む。現地紙のOpEdのひとつに、イスラエルとパレスチナが今後一国二制度のような方向に進んでいくのでは、と評するものが目に留まる。ここのところの状況を眺めながら、西岸やガザでの大変な生活(基本的な生活インフラが足りない、セットラ―が嫌がらせをしに攻めてくる)を今後も続けていくくらいならば、イスラエルの中で一定の自治を認めてもらうような方向を人びと自らが望むようなことになるのだろうか、そういう人は結構いるかもね、といった話を先日パレスチナのおじさんと話したことを思い出した。 でもふと考えを巻き戻す。確かにイスラエルは専制国家ではないし、言論の自由も封殺されていないし、みんな言いたいことを言い合っている国ではある。だから、生活の保障という意味ではその市民になることで得られるものはあるのだろうと思う。でも、私は何者であるというアイデンティティに封をした中で得られる生活の保障を私たちは取り得るのだろうか(それでも生きるためには、子や孫によりよい生活をと思えば取り得るのかもしれない)と考えると、あまりにも安定した、自分たちのアイデンティティと生活の保障が同時にしかも自動的に担保されていることを疑わないマジョリティの心理に漬かりきって世の中を見ている自分に改めて気が付くのである。 民族自決、国民国家

読書記録 山本正さんが天上からすべてを見ているらしいこと

  米中対立-アメリカの戦略転換と分断される世界 (中公新書)を読みました。日本にいないのでKindleでしたが、今改めてAmazonを見てみたら紙の本は売り切れ出荷待ち?のようで、関心の高さがうかがえます。 内容はことさら私がなにか申し上げることは無いのですが(読める方は絶対読んだ方がいいです)、あとがきで著者の佐橋さんが初めてキッシンジャーに会ったときのいきさつを書かれていました。博士課程の頃に故山本正さんのアシスタントをされていた縁で、とのこと。著者プロフィールを見たら同学年。なるほど、あの頃だと。 佐橋さんと私とは雲泥の差ですが、私が今の仕事をまがいなりにも続けて来られたのは、若かりし頃に山本正さんに掛けてもらった言葉があったから、というのは大袈裟ではないんですよね。「自分がその手に何も持っていなかったとしても、人と人との間に立つチャンスがあるのであれば、君はカタリストになればいい」。まだまだ先行きはながいですし、悩みも迷いもつきないので、つらいときにはいつも立ち戻る「場所」のひとつです。 三極委員会かなにかの会合を特別に見せていただいたときのこと。この本にも再三出てきて、私の世代で国際関係を学んだ人間なら知らない人はいないであろうジョセフ・ナイが「えっ?!そんなところに?」と驚くくらいしれっとそこら辺の椅子に座っているのも驚きでしたが、山本さんが「ヘイ、ジョー!お前もなんか話せよ」かなんかと気さくに声をかけているのを見て、なんともかっちょいいじいさんだなぁ!と。丁々発止っていうんですかね。お歴々を軽々といなしながら議論をリードしていく姿がいまでも目に焼き付いていて、あとがきを読みながら、勝手に親近感を感じつつ、改めて山本さんの偉大さを噛み締めていました。 このしちめんどくさいイスラエル人たちを会議テーブルの向こうに回して、サラッと皿回しができるようになったら、少しは山本さんの言葉に報いることができるかもしれないなとかとか(まったくできるようになる気がしないけども)。

行間や網目の間から感じることは書いておかないとならない

 パレスチナのことは、会社のレポートに書こうとしても基本的にどこにでも出ている陳腐な事実関係以外は東京がビビって出そうとしないのですが、当地で日々景色を眺めている立場から「感じること」ってあるんですよね。 アフガニスタンでは米軍が撤退してパワーバランスが崩れ、タリバンが政権を倒して全土を掌握しました。普通の人は疑問だと思うんですが、なんでアフガニスタンの山岳地帯に隠れていたタリバンがあれだけの武器(質というよりは量)と兵士を集められるのかと。原理主義の御旗があったとしても、日々の食事や消耗品など何千何万の群勢を養うにはカネが掛かりますし、山の中にいる兵士に誰がどこからどうやって武器弾薬を運んでいるのか、という当たり前に素朴な疑問です。そこは、カタールがカネを出し、時には幹部を匿って活動拠点をドーハに与え、パキスタン(情報部)が諸々サポートしている、という説明がなされるので、なるほどと思う方もいらっしゃると思います。 パレスチナも、歴史的経緯はともあれ、今見えている構図はほぼ同じです。これまで米欧と主要アラブ諸国に支えられてきた西岸のPLOファタハ中心の各派閥が持つ自治政府(イスラエルも彼らと交渉)と、カタールとイラン(革命防衛隊)が支えるハマス(およびイスラミックジハードなどの原理主義武装勢力)という形。現にハマスの政治部門のトップを含む複数の幹部は安全なドーハにいて、5月の紛争の時もヤバいガザにはいませんでした。唯一にして最大の違いは、アフガンから米軍は撤退しましたが、ここからイスラエルは絶対に撤退しないということです(だからプレーヤーが変わらない限りは半永久的にデッドロックなゲームなのです)。 陸続きで人っ子ひとりいない国境の山岳地帯が連なるアフガニスタンであれば、カタールのカネとパキスタンの黙認で武器や物資、そして戦士たちが往来することもできます。しかし三方を壁に囲まれ一方は地中海の海岸線で陸地が途絶、壁の二方をイスラエルが、最後の一方をエジプトが厳格に見張っていると言われるガザに、なんでハマスやイスラミックジハードの戦士たちが戦える武器や物資が届くのか。そもそもハマスの幹部たちはどうやって出入りしているのか。よく、地下トンネルからという話を聞きますし、実際そうなんでしょうが、ではそのトンネルの出入り口まで、誰がどこからどうやってモノを運んでくるのか、というこ

ではのかみに申し候うること

 少し前に日本のメディアで、イスラエルは「女性活躍社会」、女性起業家や投資家が大活躍(≒日本も見習うべき的出羽守)という趣旨の記事を見ました。 ちょうど、イスラエルのハイテクエコシステムにおける雇用の多様化を目指す取り組みについて数か月にわたって取材をしていて、ようやく先週原稿を書き終えて東京に出したところでした。多様化というのは一義的には男女の話であり、またイスラエル独自の文脈としてのアラブ人やユダヤ教超正統派、エチオピアやスーダンなどアフリカからの移民といった少数派コミュニティの職場での包摂の話でもあります(そのうちウェブに出たらまたご案内します)。 4人の取材対象者に話を聞きました。とても「先進的」な取り組みを主導する人たちなので、当然かもしれませんが、みなさん女性でした。とても素晴らしい人たちだった。でもその彼女たちが口々に言っていたのはハイテク業界を占有し続けるマチズムであり、イスラエル社会に根深く存在する生活慣習として規定された男女の役割でした(例:子どものお迎えは女の人の仕事)。働く人たちの目線に降りてきて話を聞いたのであれば、イスラエルの働くママたちもまた日本のお母さんたちと同じように家庭と仕事の両立に悩んでいるんだという当たり前の姿が見えたはずです。 ところで、彼女たちとは英語で話をしていました。僕がヘブライ語ができないのでしょうがないのですが、取材からしばらく経ってからふと思ったのは、たまたまハイテク産業で働く人たちとは英語できちんとした文脈まで押さえた深さの会話ができるけれど、近所のスーパーでいつも満面の笑顔で肉を切ってくれるロシア系のナタリヤとは言葉を介しては深く彼女のことを理解できないだろうなということでした。一方で、実は言葉を介して理解できたと思っているのは僕だけで、相手が本当に思っていることをそのとおりに言ってくれていたかどうかは定かではないのかもしれません。逆にナタリヤは、言葉は通じないのだけれど、彼女がいる肉売り場に行くとすごく気分がいいので、他の売り場はショボくて買うものがほとんどないのに、肉を買うためだけにいつもナタリヤのいるスーパーに行ってしまうのです。 言語での理解が理性の範疇だとして、笑顔で心が穏やかになることが感情や感覚の範疇だとすると、感情や感覚が人の行動や交流に与える影響というのは言語というある意味ニュートラルに、記

反ユダヤ主義という沼の奥深さについて

 小林賢太郎さんが「反ユダヤ主義」と言われて解任されてしまった件については、一ラーメンズファンとしていろいろと思うところはあります。 そんなユダヤ人の牙城であるイスラエルに住んでいると、そもそも「反ユダヤ主義」ってなんなのよ、もう!という思いに駆られることもしばしば。 たとえばベン&ジェリー。みなさんもよくご存じのアイスクリームメーカーですが、先日「パレスチナにおけるイスラエルの占領地域」ではもうアイスを販売しない、と発表しました。それに対してイスラエルの首相は、「お前らは反ユダヤ主義だ、いずれ相応の報いを受けるぞ」と半ギレ気味に発言、数日後にはアメリカの(社長の名前を見る限りおそらくユダヤ系の)スーパーマーケットチェーンが「そんなん言われたらもうB&J製品を棚から全部下ろしますよ!」という話にまで発展しました(それがB&Jのセールスにどのくらいインパクトがあるのかはわかりませんが)。B&Jの親会社のユニリーバが「いやいや、我々はイスラエルにきちんと残りますよ」とやおら火消しに走ると、B&Jは「お前ら勝手なこと言うなよ、自分たちの会社のことは自分たちで決めていいってM&A契約に書いてあるんだから黙ってろ」と内輪もめになる始末。こういうのを見ていると、この国で商売するのは大変だなーと改めて思うわけです。イスラエル自身がカントリーリスクを助長しているようにも見えるし、企業側も自らリスクを作っているともいえる。 ベン&ジェリーは「占領地でアイスを売らない」のは(人道的に)正しいことだ、商売云々ではないとはっきり言ってしまっているので、イスラエルの首相も売られた喧嘩は買いますよという人なのか知りませんが「お前ら反ユダヤ主義だ!」と言ってしまうのですが、そもそも理由はどうあれ一民間企業がどこで商品を売るかなんてことは、その企業が勝手に決めていいことですよね。それがイスラエル(の占領地)になると途端に「反ユダヤ主義」が首をもたげてくる、というところがなんともなわけです。 ホロコーストを体験した欧州からロシアにかけてのユダヤ人(アシュケナジムといいます)と、彼らが中東に来る前からここに住んでいた中東系のユダヤ人(ミズラヒム)、もともとイベリア半島にいたけれどレコンキスタでアラブ人と一緒に追い出されたスペイン語系のユダヤ人(セファルディム)、

リアル「ランボー怒りのアフガン」戦士はナイスガイだった話

 目抜き通りの大手スポーツ用品店でプレッシャーボールを買ったら、缶が開いていてノンプレッシャーだった。一事が万事そんな国ですよ、イスラエルは。 クルマを持っていないので、ちょっと離れたテニスコートまでタクシーで行こうとしていたところ、アプリでたまたま呼んだタクシーの運転手がやけにフレンドリー。東欧訛りの英語を話しますが、イスラエル人の英語もどっちかというとそっち寄りなので、最初は正直あまり関心もなく「ふーん」と聞いていました(そもそもヘブライ語がイディッシュみたいな感じ)。 曰く、ちょっと前までモントリオールにいて日本人の友達がいた、その前はLAでドライバーだった、もともとはアルメニア出身でね、と。 ほうほう。アルメニアですか。そういえばこの前ちょっと揉めてましたね、隣の国と。と話を向けたところ運ちゃんトークがスパーク(そこに食いつく人あんまりいないと思われ)。私は故郷で18歳で徴兵されてカザフスタンに派遣されたんだよね、ちょうどそのころソ連がアフガニスタンで戦争をしていたから。 なんですと?あなたアフガンに行ってたの??まだアルメニアがソ連のころ???しかもソ連兵として????こちらも俄然スパーク。目の前にソ連の軍隊にいて、あわやアフガンに行かされそうになっていた人がいるなんて。 いや、アフガンには行っていない、行く手前でちょうど戦争が終わったんだ。その後しばらくしてからイスラエルに移民してきた。で、当然イスラエル国防軍にも入る必要があるのよね。だから私は2回、しかも異なる国で軍隊に行っているんだよね。 おお、そ、そうですか。。なんとも波乱にとんだ人生ですね。でも戦地に行かなくてよかったのはラッキーでしたね。私など、しばらくの海外生活以外はなんとも無風な日本でのほほんとやってきましたのでね(汗)。幸か不幸か一家で戦争に行ったことがあるのは100歳超えた爺さんだけなのよ…。 まぁ、考えようによってはエキサイティングな人生かな…。でもラッキーとは思えないんだよね。知っている人がたくさん先に行ってしまったからね。自分だけ帰ってきたという思いはあるのよね…。 そうこうしているうちに河川敷のテニスコートに到着。24/7でタクシーやってるからいつでも電話ちょうだい!と風のように去っていったマラトさん。別にその後営業の電話がかかってくるわけでもなく。なのでまた仕事を頼んでしまっ