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お通夜

昨日は会社の先輩のお通夜でした。 享年49歳。2歳のお子さんと奥様を遺しての早すぎる死を悼んで、実に多くの人が会葬に訪れました。 鎌倉のはずれにある古刹のこざっぱりした境内の奥に佇む小さな庵のような別院を飾る山のような装花が、故人の人徳を雄弁に物語り、喪主を務めた奥様が気丈にもご挨拶にお越しになったときは、もらい泣きしそうで大変でした。 お清めも済んで、帰りしな。 「最後にお顔を見てお別れをしてあげて下さい。」 葬儀社の人に促されました。でも遺影の笑顔に、在りし日の大柄な体格と温厚な人柄を思うと、とても棺に近づくことが出来ませんでした。少し歳を取って逆に感傷的になったのでしょうか。

カリラ

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カエラじゃありません。カリナでもありません。 CAOL ILAと書いてカリラと読みます、こいつ。 スコットランドは西の果て、北大西洋に浮かぶIsle of Islay、アイラ島の地酒です。お金がない昨今なのですが、ちょっと手を伸ばして買うてみました。店で飲むよりは俄然安い。アルコール度数60度をストレートで飲むと世界が変わります。まじめな話、変わります。 シングルモルトと初めて出会ったのは19歳の冬のこと。(もう時効です・・・許してください)初めて口にしたのはラフロイグという当時の僕からしてみれば、とってもクレイジーな飲み物でした。カリラちゃんの仲間です。もっとも飲みにくい類の種族にビギナーで挑戦してしまったので、その先は言わずもがなの酒びたり人生です。 翌年にはスコットランドを一人で旅するまでにハマったワタシ。10年以上たった今でも、ピートの効いたスコッツ西海岸の地酒を大好物にしております。 エジンバラで想定外のホテルロックアウトに遭い、仕方ないからグラスゴーに行こうとしたら電車を乗り間違えてあわてて降りた隣町のリンリスゴーで宿を探し、見つからずに仕方ないから野宿しようとしたけど3月のあまりの寒さに30分でリタイアしてエジンバラに戻ってインフォメーションに泣きついて、改めてグラスゴーの安宿を紹介してもらってそれから鈍行で1時間ちょっとだったんだと思うけど数時間に感じる車窓から体験。でも外は真っ暗で人っ子ひとりはおろか、羊っ子一匹見えず。途中セルティックのサポーターが絶叫する車内に戦々恐々としながらグラスゴーの駅を出て、それから10数ブロックだったのだと思うけどそのときは数百キロに感じた道のりをほうほうの体でインド人経営のホテルにたどり着いたときのあのかぐわしいスパイスの香りやら、深夜まで玄関を開けてずっと待っていてくれたホテルのおっちゃんの「大変だったな、今日はゆっくり眠りなさい」という暖かい言葉とか、いろいろな若気の至りが思い起こされる不思議な飲み物でもあります。 スコットランドの田舎町に行くと、きっと僕が彼らの目にする初めての(は言いすぎだけど何人目かの)日本人でありアジア人だったりする世界が本当に待っています。中華料理はおろか、南アジア料理屋すら一軒もない町や村がいくつもあります。ところがそんな田舎町にも必ず一本道の目貫通りは

考える葦

休日の丸の内。 早朝の人影もまばらな地下鉄の改札脇で、ごみ箱から古新聞をあさる白髪の男性。髭は無精ではあるが伸び過ぎず。住宅街をジョギングしていたらさりとて不思議にも思わない紳士面のジャージ姿を横目に階段を上がると薄汚れた寝袋と古新聞の束を抱えた無人の台車が主人の戻りを待っている。世をはかなんで路上や公園にいるのだから彼らの勝手だ、と言う向きもあるが、寒い冬の朝にそれでも命をつなぐ古新聞を集めるところにジレンマがある。 馬場先門の静謐清廉な空気の中を進むと竣工なった三菱一号館。角のテナントからジュエル・ロビュションが微笑んでいる。日本の経済発展の象徴、ビジネスディストリクト丸の内。三菱もまた近代日本の富を象徴する存在。その足元の地下道は、路上生活者の小便の臭気に満ちている。別に新発見でもなんでもない。毎日何十万人の人が目にする「日常」風景。 競争とイノベーション、自己責任、格差の必然性。そんな使い古された視点でどうこう言う気はない。どちらかといえば私だって極端な話「競争に勝つこと」の恩恵に浴してきた部類。そんな自分が生きる世の中の仕組みや社会が成長するいまの通説、理屈を根底からひっくりかえすわけでは毛頭ないが、目の前にある現実をどう理解し、どう納得するのか。果たして本当に納得しているのか。見えないものとして心の隅に追いやっていないか。改めて問われたら、どう答えるのか。少なくとも私は、自分の子どもからこう問われたときに「彼らの存在は自業自得故だ。だから君はあのようになってはいけない」とだけしたり顔で答えることはしたくないと、直感的にだが思うのである。 人間は考える葦だ。例え君の思い悩みがいま結論を導かなくても、感じた矛盾を抱えて考えつづけることを止めてはいけない。そう逃げるのが精一杯かな。いやはや実に情けない。でも人間はそうやって疑問や悩み、不思議や矛盾を何千年も考え続けてきて、それが科学であるとすればやはりそれは進歩の礎なんだ、なんて言ってあげられるのかもしれない。