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「グローバル人材」ってどんな人?

昨日、「日本版Gap Year勉強会」なるものに出てきました。KBSのBOPプロジェクトでご一緒しているJICA青さんが発起人である関係でお邪魔しました。200人近い人が参加。盛り上がりました。 Gap Yearとは英国やドイツで事例のある社会的な制度。高校卒業後大学入学前、大学在学中、大学卒業後就職前といった時期に「どこかに所属しない」一定期間のGap Yearを設けて旅行やボランティア、インターンなど若者の自発的な行動を促してそれを社会の制度として認知するもの(その期間好きなことをしたからといって就職など社会制度上不利にならない、差別されない、ということ)だそうです。学生時代にドイツにいたころ、そういえばいろんな人がいたことを思い出しました。僕の「友人」だった大学生達は平均年齢が24~5歳。一番仲が良かった友人はいまでも付き合いがありますが、当時僕より6歳上の「大学生」でした。(ドイツの場合はGap Year以外に大学の制度も日本と異なるのですが) 30分ほど遅刻していったので、到着したときにはすでに始まっていました。発起人の一人であるNRI小林さんのプレゼン。100万人が変わったら日本は変わるかもしれない。「人を変える」のではなく「人が変わる」というコンセプトと理解しました。そのあと15人くらいの今をときめく人たちが思いを語るセッション。とても気持ちの良い時間でした。 会場のどこに座っているかはあまり問題ではなく、響いているかどうかが問題。一番前に座って過分に飲まれちゃう子もいれば、一番隅っこで程よく響いているやつもいるかもしれない。「どう伝わったか」までをコントロールしようとすることは野暮だよね。「どう?俺のやっていることすごいでしょ?すごいよね?楽しくない?なんでわかんないかなぁ、もう!」と聞こえちゃうとちっとも粋じゃない。すごいことをやっている人のコトバは淡々と語っているようで力強く、否応なく響くんだよなぁ・・・。というようなことをつらつらと考えながら聞きました。みんなそれぞれ面白い。 近くに座っていた人たちと話をする時間がありました。要点はふたつ。 1.グローバル人材ってどんな人? 2.我々にとって最も大事なことってなんだろう グローバル人材とは「自分の国について語ることが出来る人」 という人。彼は経験に照らして「『あのとき』出来なかった(から今そう思

希望と背中合わせの絶望

NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」を見る。 山谷でホスピスを運営する方を取り上げていた。 山谷は父親が炊き出しに行っていたこともあって伝え話としてどんなところだ、とか少なくとも地名としては知っているけれど、実は一度も自分の足で行ったことはない。最寄り駅がどこかも、実は自信がない。東京人として、とても恥ずかしい。 がん治療が奇跡的に成功し、これから闘病していこうというホスピスの入所者について主人公が洩らした一言が印象的だった。 「もう治らない、助からないと思っていたときのほうが(彼は)さっぱりしていた。助かるかもしれない、治るかもしれないと希望を持ったときから悩みが生まれんじゃないか」(一言一句そのままではありません、但し語意はそのままに) 「坂の上の雲」しかり。 病める正岡子規が晩年に至り搾り出すように「生」にしがみついたのも、創作への希望、己のなすべきと信ずることへの希望が絶ち難いほど湧き出で続けていたからだろう。 苦しいまでの悩みや深い絶望は、果たして生まれた小さな希望の裏側にあるものではなかろうか。 今日の午後、ベテランのタイ研究者と、かの国の政治的混乱の要因はつきつめるところなんであるかということについて話をしていた。 タイの政治的混乱は社会構造、ひいては経済構造の問題であり社会階級間の計り知れない格差が要因である。 都市(主にバンコク)に住まう中間層以上の人々と農村(主に北部、東北部)に住まう低所得者層の人々では生活「様式」が違う、と彼は言った。生活「水準」ではない。「様式」そのものが違うという。私も東北部の農村に赴いたことがあり、そのときの記憶をたどる。まさに。 絶対的に覆りようのない格差は人々に希望をもたらさない。主に農民である彼らが農業労働にのみ従事し、情報インフラも未整備だった時代には、そもそも「違う」ということすら十分に認識されていなかったかもしれない。 タクシンはそんな彼らに「夢」を見せた。希望を与えた。実現しない可能性が極めて高かったのは周知だが、タクシンは彼らに「自分たちも首都に暮らす中間層のような生活が出来るかもしれない」と思わせる政策を掲げて選挙に勝った。そのころ彼らはもはや専業農家ではなく、都市に出稼ぎに出て都会の暮らしを自分の目で見ていたし、農村でも都市の様子をブラウン管の小さいテレビで見て知っていた。 「手が届くかもしれない

欧州雑感③英国編

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寒い。一番寒い。セントパンクラスに着いた瞬間に凍りました。 でも寒いロンドンをさくさく歩いてあちこち行くのが好きなので、、、なんてぬるいこと言ってられないくらい今回は寒い!! オックスフォードに向かいます。 途中レディングで乗り換え。ホームで待ってたらたぶん凍死します。 チョコレートで出来た大学の扉。 歴史を感じさせますねぇ。 いや、ウソですよ。 ノーベル賞級の先生とお話ししたり、アフタヌーンティーディスカッションをしたり、とてもステキな時間でした。Migrationの話はどこでも盛り上がるなぁ。やはり欧州の目下最大の課題のひとつは「移民政策」であります。でもやっぱり総じてイギリスのアカデミアはシニカルですね。良い意味で冷ややか。 駅に帰る途中でちょっと寄り道。 ハリー・ポッターの食堂。 この空の色がとってもイギリスって感じを良く出していると思いませんか? 夕食は駐在の同僚が南インド料理屋を手配してくれました。あっちのビール「コブラ」。しかし彼はインドに無事に転任できるんだろうか。数年前からビザが厳しくなっています。 名前とは裏腹に(?)とてもホップが効いていてロースト香もばっちりで、好みの味でした。 一転して翌日は快晴に。その分さらに寒いんだけど・・・。 午前中アポイントまで少し時間があったので、ホテルから近かったサマセットハウスに絵を見に行きました。 ちょうどセザンヌの企画展をやっていたので飛び入り。 中庭ではティファニーが子ども達のためにスケートリンクをこしらえてました。 ウィーンでも市庁舎前のスケートリンクは恒例だけど、博物館とか美術館でコンサートやセミナーやったり、建物や空間の使い方がほんとうに上手だなぁと改めて実感します。フィレンツェで訪問した大学はウフィツィ美術館のホールでアカデミックセミナーやるって言ってたし。アートとの親和性抜群ですよね。 あとは聞いた話として、ロンドンでLSEとかチャタムハウスがやるセミナーって必ずワインが出てソーシャリゼーションするんですって。「話を聞きに来る」というレベルじゃないってことです。仮に日本でそういうセミナーやろうとすると「誰がワイン代出すの?」とかいうみみっちい話に必ずなる。それから司会者のエンターテイナーぶりがすごいらしい。聴講者を楽しませる、楽しく聴かせる、参加させる、という強いコミットメント。彼らがセミナーを

欧州雑感②フランス編

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パリには20時間ちょっとしかいませんでした。夜の7時過ぎにドゴールについて、翌日の夕方5時には北駅からロンドンへ発ってしまったので。それでもやっぱり冬のパリは、好きです。 フランスだけに限ったことじゃありませんが、お犬さまがふつうに電車に乗れます。 この子はエコールミリテールの駅から出てきたコッカースパニエル。実にお尻がふりふりであります。暖かそうであります。アポイントが終わって出発まで時間があったのでいつも行く7区の食料品店にお土産を買いに行ったのですが、なんと閉店しておりました。居抜きで中華料理店になってた・・・。他の支店に行くまでの時間はなくあえなく断念。やっぱり景気悪いのか。 しょんぼり食べたクロックムッシュは、気分がしょんぼりだったせいか、しょんぼりした味でした。 でもほんとにパリで英語が通じるようになりましたね。嫌な顔されないし。 フランスでは拡大する欧州ということで新たにEUに加盟した(する)国々のことをみんながどう捉えているのか、ということについてTrade, Investment, Migrationというような観点からインタビューしました。統一市場という制度の不完全性、統一通貨という制度のデメリット・・・ヨーロッパは実に面白い。

欧州雑感①イタリア編

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今回はローマから入ってフィレンツェ、パリ、ロンドンという、かつての新婚旅行の王道を地でいくようなコースを男性4名で駆け抜けてきました。移動を含めた滞在5日間でインタビューのアポイントは山のよう。実に充実しておりました。 ローマで泊まったホテルはいわゆるリノベーションもののデザイナーズホテルだったのですが、やはりいくところまでいっちゃってます。フロントの上に雲を浮かべる意匠は日本ではちょっとお目にかかれません。 ロビーにはおしゃれな雑誌が並んでいて・・・と思いきやRUNNERS紙が。 イタリアのRUNNERSの表紙はごついお兄ちゃんなんですねー。 日本のランナーズはたいてい見目麗しい女性なんですが・・・。 フィレンツェ郊外まではるばるやってきた欧州の国々が一緒に創った大学。 現役の修道院が一部キャンパスとして使われています。「静寂に包まれます」 柿がなってました。けっこう大ぶりでおいしそう。 新聞の掛け方も、なんだかしゃれています。 一仕事終えて学食でランチ。 昼食を食べるとセガフレードのエスプレッソが無料でいただけます。 トスカーナの荘園領主(?)の邸宅もキャンパスに! 諸々と問題はあるのでしょうが、少なくともこの雰囲気からはアカデミズムに対する高いreputationが感じられます。 今回の出張は欧州の地域統合研究がどのように行われているか、というフレームの話に加えて、統合の深化(非関税障壁をどうするか、とか)について研究者がどうアプローチしているか、ということを探るのが一点。そして、金融危機をはじめとして、各国のナショナルレベルのマクロ経済運営がどう舵取りをしようとしていて、これまた研究者がどんな目で観察し分析しているのか、というのが二点目。いずれもアジアの未来を鑑みる上で大事な視点であります。 イタリア経済は、、、フィアットがセルビアに製造拠点を移しちゃうとかあまり楽観できないみたいですが、なんともこの明るく優しい人びとならなんとか生きて行けちゃうんじゃないか、と幸せな気分になってイタリアを後にしたのでした。 空港に向かうタクシーからみたコロッセオ。やっぱりステキ。塩野七生さんの本読んだことないけどローマ史は好き。特にガリア戦記が好きだったです。

バチカン動物園!

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とっても広いバチカンの「美術館」。 よくよく見るとたくさんの動物が暮らしております。 エジプトの猫さん ギリシャの犬さん 子犬?仔ライオン? えーと、みなさん 偉いライオンさん どなたでしょうか・・・。

すごいぜ三島!!

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由起夫ではなく、静岡県の三島。正確には三島「界隈」。 東名の沼津インターを降りた辺りはどこの地方都市にも見られる幹線道路とロードサイドの家電量販店やファミレス、自販店が立ち並ぶ景色が続くのですが、10分ほど走ると忽然と「柿田川湧水」の看板が見えてきます。 富士山の麓に地下水脈が湧き出すところなのですが、驚くのはその水量と透明度。 写真だと分かりづらいのですが、底の砂が水中に吹き上がるくらいの勢いです。 何でも聞くところによれば「100年前」に富士山に降った雨が湧き出しているとか。 界隈には他にも富士の湧水地がチラホラあるそうです。 これら泉に名を発したかどうか、富士山の裾野「長泉町(ながいずみまち)」にあるのは「クレマチスの丘」。 スルガ銀行が投資した複合型文化施設ということですが、ここ、アタリでした。 いくつかある美術館のうち、今回は「ヴァンジ彫刻美術館」をチョイス。 http://www.vangi-museum.jp 恥ずかしながらジュリアーノ・ヴァンジという彫刻家をよく知らなかったのですが、展示構成が素晴らしくとても楽しめます。自然の中でアートを見せる、というコンセプトが見事にはまった好例ではないでしょうか。月曜日の昼間にも関わらずレストランは満席。年配のグループからお子様連れのママ友ランチまで客層も幅広く利用されているようです。特筆すべきはガーデニング。植物の種類の多さや手入れの行き届いた環境もさることながら、手作りのオーナメントを飾り付けたりと細やかなところに趣向を凝らしていて好感が持てました。 さて、気になったあなたもきっと大歓迎されるはずですよ。 これまで中伊豆、西伊豆方面への通過点でしかなかったこのあたりですが、見るべきものがありますね。

素晴らしいタマゴ

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土曜日、友人の三成(みなり)さんが運営する御宿のマーケットプレイス「牛舎8号」で、朝産みたてのタマゴを分けて頂いたのでさっそく日曜日の朝食に頂きました。これね、たまらないですよ。 牛舎8号 http://takthefool.cocolog-nifty.com/blog/2010/10/post-7b93.html かつて牛小屋だった建屋を改築改装しています。かなりすごい。 さらにパンは、いま中目黒でいちばんおいしいと思うTrasparente http://trasparente.info/ の山切り食パン。食パンの耳が「立っている」感覚、おわかり頂けますでしょうか・・・。食パンの耳が「パリッ」と香ばしい音を立てるんです。 小麦は確か北海道の国産小麦だったように記憶しております。(お店の中に袋が積んであるのを見ました) さて本題の牛舎8号ですが、いつも両親の仕事を手伝ってくれている三成さんが「ゼロ」から立ち上げた「マーケットプレイス」です。地元の産品をはじめ、自然をモチーフにしたアートや世界を見つめた写真展など実にコンテンツ豊か。 オープン前日の準備が慌ただしい最中にお邪魔したのですが、実にたくさんの人が関わってこのマーケットを作り上げていることが分かりました。出入りする人の多いこと。マーケット=市場(いちば)=モノを売り買いする場所、という理解が一般的だと思いますし、日本のそこかしこで町おこしや村おこしに作られた道の駅や直売所はこの思考なのだと思います。つまりサプライヤーである「地元」とコンシューマーである「観光客」が「購買」という「点」でのみ一瞬つながる、そんなイメージです。 牛舎8号がどんな思考を元に設計されたのか詳しく聞いていませんが、一歩足を踏み入れた瞬間に、上に書いた思考とはかけ離れた、いや突き抜けた感覚に包まれました。今思うと外観を見つつ近づいていったときから少し気がついていたのかもしれませんが。 サプライヤーもコンシューマーもない、誰もが持っているものを出し、感じた人がそれを受けることができる、そのリアクションがまた出し手に環流していく・・・。関係性が矢印ではなく渦のように見える「場」。なんだか書いていてワケが分からなくなってきましたが、少しでも気になった方は御宿にお出かけになることをお勧めします。 ふと気がついたことは、なにかをしてやろうと思う

Connect USA

敬愛する友人の @nakannen さんが企画したトークイベントConnect USA「時代を創る二つの作法」に参加した。 http://connectusa.jp/ 中島信也さんの「CM歴史絵巻」のようなプレゼンで会場が暖まり、渡辺謙さんがジョインするころにはあやうく本題を忘れかけそうになっていたけれど、中島さんの巧妙なモデレーションでちゃんと引き戻された。中島さんの話を聞くのは初めてだったけど、この方は天才だと思う。 正直なところを少しだけ言うと「役者やCMディレクターとしての仕事、映画や広告作品を作ること、それに対して真剣に向き合っている姿が本当に立派でした。感激しました。」というコメントだけで #connect USA のタイムラインが埋まってほしくない。 彼らが真剣に向かい合うものの「正体」はなにか。それに気がついている人たちに少なからず出会えた。そしてその行動は彼らだけのものではないということも、そろそろじわじわ広がっていってくれるといい。 まぁでも、そう固いことを言わずに謙さんの一ファンとしてのミーハーっぷりをさらけ出せば、例えば「硫黄島からの手紙」は10回見ました。いつも出張の機内で往復一回ずつ。ひとりでこっそり毛布をかぶって。そしていつも同じところで涙が出るのです。 「私たちがこの島を守る1日には意味がある」 「余は常に諸子の先頭にあり」 「ここはまだ、日本か」 日本とは、なにか。日本人とは、何者か。私は、あなたは、何者か。そして、なにを為すものか。 いやぁ、映画って、いいもんですねぇ。

アジアB級グルメマップのス〃メ

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クアラルンプールの市街は東南アジアの大都市の中でも格別に緑が多く、歩きやすく、デザイン性豊かな最新設備のビルが立ち並ぶことで有名です。もう好みの問題なのですが、個人的には一番過ごしやすい街だと思っています。 買えないものはなにもありません。「イスラム教の国」として「ハラルビジネス」の一大中心地として目されている反面、外国人やその他の宗教を信じる人にもオープンなので、例えばお酒を飲む我々にとってもまったく不自由がありません。 先日ふらりと入ったスノッブなバーでは、日本でも置いている店はそうはないシングルモルトにお目にかかったり。「もうすぐOECDに入るんじゃないの?」なんて専門家たちの間で必ずしも冗談ではない会話がなされてもいるように「中進国」から「先進国」へのgrowth pathを東南アジアで先頭に立って走っているのはマレーシアかもしれません。そう感じさせるなんとも豊かな空気感があるのです。(もちろん一部の地方ではそうではありませんが) そんな「歩ける街」クアラルンプールで楽しいのはなんといってもきれいなビルの街並みと絶妙なコントラストを織り成す路地裏B級グルメ探訪です。洗練されたレストランで頂く「ニョニャ料理(マレー料理と中華料理のハイブリッド)」も良いのですが、一歩きれいなビル街から足を踏み込むとそこにはこんな景色が広がってます。 近年発展してきた新市街からセントラル駅のある旧市街方面へと向かう、とある裏路地です。 ふらりと路地を抜けると忽然と姿を現す屋台村。 今回はお昼しか行く時間が取れなかったのですが、前回夜に行ったときの雰囲気はこんな感じ。 屋台といえどあなどるなかれ。冷凍冷蔵、超強火力ガスレンジを装備した新鋭屋台から生み出される炒飯は至極の味わい。ここまで旨い炒飯はそうお目にかかっていません。 行けそうな方は、以下の地図をご参考に。屋台村を入って左側の、上記写真にある赤いメニューがぶら下がっている店の、「おばちゃん」が作る炒飯が絶品です。「お兄ちゃん」が作っていたら、残念ながら普通です。このおばちゃん、「炒飯専属」なのでしょうか、ほかの料理はすべてもう一人のおばちゃんが作っていて、そのときは奥のいすに座ってタバコをふかしているのですが、炒飯のオーダーが入るや否やおもむろに腰を上げて劫火の上の鍋を呷るのです。ちなみにこのおばちゃんたちは英語NGなので、簡

稲刈り

先週末は実家で稲を刈っておりました。 何度かこのブログでも紹介した両親のやっている風の谷ファームの「 自然農塾 」のみなさんに、僕や兄弟の友人も何人か加わって丸一日がかりで3枚の田んぼを丸刈りにしました。 通常の田植えでは数本の苗を一緒に植えていくのですが、風の谷ファームでは「一本植え」。同じところに小さな苗が一本しか植えられないので、当初はなんだか寂しい景色でした。 しかし蓋を開けてみるとびっくり。たった一本の苗から見る見るうちに分けつし、刈り取るころには20本近くにまで増殖。一本の稲穂に30以上のお米がついていることから推計すると実に一粒の種籾から600倍もの生産性があることになります。(ほんとか??) また先週の台風でものすごい風雨が吹きすさんだはずで、ふつうなら寝たり倒れたりしてしまうところですが、見渡す限りしゃきっと立って並ぶ稲穂は、刈ってしまうのが少しもったいないほどでした。 刈られた稲は①はざ掛けにされ②脱穀され③ムシロで天日干しされ④水分が指定の割合まで下がったら精米されてようやく食卓に供されるようになります。この間およそ10日から2週間。収穫祭はもう少し先です。 はざを組みながらオヤジがぼそっと「グローバリゼーションがますます進んでいく世界において如何に地域経済の復興していくかは農業と自然環境の再生、そしてそこに集う人間と自然との関わり合いにかかっている」。 そういえば「放射冷却米蔵」は完成し、先日も大原の漁船の船長さんとなにやら「海の森」構想の話をしていたし、またなにか企んでいる模様。 絶叫ブランコは大人気だし、ツリーハウスの土台もできたし。次は一体何をするのか。

ハワイで見たこと考えたこと

4年ぶりにハワイに行ってきました。 ここ数回は友人の結婚式絡みでのハワイ行きだったので ①日程は極力短く ②費用は極力安く ③あちこち見て回るよりひたすら飲む ④帰ってから死ぬ というあまりリゾートらしくもない過ごし方をしていた反面、 今回はふつうに休暇だったのでゆっくりできました。 飛行機はマイルだし、ホテルはエクスペディアでかなり安く 買えたし、レンタカーがオーバーブックだったのだけど逆に アップグレードしてくれていい車に乗れたし(多少?ごねましたが) そして天気がずっと良かったし。 旅行業界にいたころから、ハワイの産業構造は観光業依存って 当たり前のように受け止めてきたし、それは事実なのですが、 経済危機後も観光需要は旺盛なようで、特に今回はLabor Dayに 重なったこともあって日本人だけじゃなくメインランドからの ツーリストも多かったようです。後はアジアのお客さん、中国 韓国、台湾に加えてタイやマレーシアからも来ているみたい。 (道ばたの会話を聞いてguessしているだけですが) 海と山と両方ある自然環境に充実したシティライフがセットされた コンディションはやはりいまでも相当比較優位なんでしょう。 ただもうものすごい混みようで、ノースへ向かうR99が大渋滞という (前例はあるんでしょうが)経験したことのない事態かつ海に出て からのR83(カメハメハハイウェイ)も夏休みの伊豆白浜状態で けっこうゲンナリしました。ちょっと大袈裟ですが、いつもの状態と あまりにギャップがひどくて。 それでもヒッカム手前の倉庫街やダウンタウンの裏道を走ると 閉まったままの倉庫や商店はむしろ以前より増えているような 感じも受けましたし、パールリッジやカハラモールはさらに ひなびた印象を禁じ得ませんでした。ワイキキ(アラモアナ地区 を含む)への一極集中の感が否めない、そんな感じです。 フォーエバー21がロイヤルハワイアンショッピングセンターにもうすぐ オープンするなどファストファッションのテナントがどんどん増えて 存在感を増す中、これら消費財も中米(ニカラグア、メキシコ)から アジア(中国、ベトナム、カンボジア)まで生産地の多様性に目が いきます。Made in Hawaiiのアロハシャツやハワイアンキルトの店は まだまだあるにはありますが、お客の入りも店構えの存在感も今や 完全に

闇鍋

先日のブログで報告しましたとおり( http://44dgeorge-penguinflipper.blogspot.com/2010/06/blog-post_11.html )「朝会」の闇鍋プロセッシングがどのように進んでいったのかをまとめて参りたいと思います。 設定は以下のような感じでした。 鍋=グローバルシティ東京 具1=英語能力 具2=他者包摂のためのエンロールメント能力 具3=高度人材移動 まず鍋の準備はこのような具合。 「グローバルシティ」は東京以外にもニューヨーク、ロンドン、パリをはじめ世界各地に存在。(グローバルシティの定義は http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%96%E7%95%8C%E9%83%BD%E5%B8%82 ) 中でもアジア地域は顕著であり、シンガポール、香港、上海などグローバルシティとしての相対的地位が上昇。 東京は「グローバルシティ」競争ともいえる流れの中で如何に比較優位を確立していくことが出来るか。 いくつか方策が考えられる中で、「東京の魅力を外国人に知ってもらう」取り組みが挙げられる。イベント(映画祭、ファッションショー、モーターショー、など)を通じた発信。 中でも東京の文化がつまった「祭り」を前面に打ち出すという設定はどうだろうか。 次に具の下ごしらえ。 具1=外国人を東京にinviteし、hostする場合、communication toolとしての英語から、文化の持つ価値を「日本語」を理解しない「日本人以外」の受け手の価値観にビビッドに伝え、落とし込むようなある意味での「意訳」「超訳」が求められるのではないか。これはもはや一個人の言語能力に留まらない。 具2=外国人を東京にinviteし、hostする場合、具1で挙げた英語能力に加えて、感動の輪に受け手を巻き込み共感を呼ぶ態度や姿勢(enrollment behavior, attitude)が求められるのではないか。これはもはや一個人の性質や努力に留まらない。 具3=観光目的の外国人を多くinviteし、hostすることは極めて重要。他方で観光人口そのものはフローであるため、東京の魅力を伝えるその先にストックとなる定住型高度人材の誘引が求められるのではないか。 闇鍋とは、グローバルシティ東京の比較優位を高める潮流が中で渦巻いている鍋。

Michael Sandelの「Justice」と本居宣長の「もののあはれ」

ハーバード大学の「名物講義」としてNHKでも放送されているMichael Sandel教授の「Justice」。5人の命を救うために1人を犠牲にすることは許されるか、数千の命を守るために時限爆弾テロの容疑者を拷問することは許容されるか、同性の婚姻を法律で認めるべきか、人間の命の価値は、いったいいくらか・・・。アフガニスタンで潜入作戦展開中にタリバンに通報され戦友を亡くし自らも負傷したネイビーシールズの元兵士は戦友の命を守るために自分たちを目撃した羊飼いを殺すべきだったか。次なるテロを防ぐためとしてグアンタナモで行われているテロ容疑者への拷問は正当化されるか。政府は同性婚を法律で認めるべきか。あなたにとって正しいこととは、なにか。正義とはなにか。ソクラテスから始まりベンサム、カントやミルなどを引きながら、眼前に横たわる判断の付け難い問題をどう捉えるか、聴講者の道徳観に投げかけていく。広く西欧の政治哲学を論拠にしつつ、ケーススタディとしてアメリカが抱える数多の問題に潜む道徳の相克を浮かび上がらせる。 そもそもこれらの問題を引き起こす原因はアメリカという社会そのものに依拠するものではないか(だから自業自得だ)という批判がある。確かにその通りである。国内の問題はいざ知らず、国際問題もアメリカが自ら引き起こしているかに見えるものも多い。だからアメリカでは常にこれらの相克が議論される。宗教右派とジェンダーリベラルは同性婚や堕胎容認について活発に議論するし、テロ容疑者への拷問を止むなしとする国土安全保障上の保守派と人権擁護派の議論はエスカレートする。これらがやがて政策の争点となり、ひいては大統領選挙の趨勢までに影響する。国民、つまりアメリカ人の主要な関心事にまでアジェンダとして昇華するのである。これはSandel教授が提起する「道徳上の問題」はアメリカにおいてはいみじくも顕在化した、乗り越えられるべき問題として社会が認識している、と言い換えることができる。この過程で彼らは、「アメリカにとって、アメリカ人にとって道徳的に(法律解釈からも宗教的価値観からも中立であるが十分に両者を加味した)善きこととはなにか」という命題を追求し続けているのである。平たく言えば(全ての、とは言えないが)少なからず多くの市民が「善きアメリカとはなにか」「善きアメリカ人とは何者か」という命題をそれぞれの立場

朝っぱらから走り始めてます

さて走り始めた「朝会」は、5月最終週の第1回で前回書いたような初期設定を施されました。 http://44dgeorge-penguinflipper.blogspot.com/2010/06/blog-post.html そして2週間後の今週、第2回が開かれました。 メンバーが持ち寄った「気がついたこと」「気になったこと」を各々が発表します。 Aさん「世界に増え続ける大都市との競争に東京は生き残れるか」 Bさん「英語能力は必要条件か、それとも付加価値か」 Cさん「なぜ日本人は「お誘い」が苦手なのか」 私「国際的な労働移動は日本の成長に役立つか」 一見バラバラのテーマですが、きれいに縦糸と横糸が見えました。 各々の発表を受けてみんなで話し合ったところ、みなやはり同じ感想。集まるべき人が集まるべくして集まっています。別に狙ってないのですが結果的に。こういうときに同調性とか共感性を感じるととても嬉しくどんどん物事を前に進めたい気分になります。 「グローバル化する世界」という文脈の上に載せると、全てが繋がって語られるよね。 その上で「東京」というハードインフラに「英語能力」「積極的なコミュニケーション」「国際労働移動」というソフトインフラを載せると、「グローバル化する世界の中で、東京という都市においてこれらのアスペクトがどのように位置づけられているのか、これらはどのように東京という都市の趨勢にインパクトをもたらすのか」というようなテーマになってくるよね。 各々が持ち寄ったアイディアを「東京」というナベの中で一緒に煮てみよう、ということになりました。 はてさてどんな料理が出来るのか。 闇鍋?? かもしれません。 誰かの下宿に集まって闇鍋、ワクワクしたでしょう?

早朝から集まってます。

最近時流に乗って(?)「朝会」という勉強会を始めてみました。「丸の内朝大学」など他の若人(?)もすなるという巷で大流行の早朝勉強会を我もしてみんとしてすなり、と紀貫之チックな心境です。 今週第2回の集まりを開いたのですが、前回までの議論で整理した会の大まかな流れと狙いを忘れないように書いておきます。 (流れ・アプローチ) 「自分たちでアジェンダを決める」「急がない、じっくりゆっくり深く広く」 1.ミーティングは隔週1回。 2.各人が次のミーティングまでの2週間、日常を過ごす中で自分の立場、視線から世の中を見つめていて「気がついたこと」「気になること」を意識的にピックアップして、参考情報などと一緒に持ち寄る。 3.持ち寄った「気がついたこと」「気になること」について報告し合い、その中から次のミーティングで更に深く考えたいものをみんなで選ぶ。 4.次の2週間を使って同じテーマについて自分の立場、視線から調査し、分析し、考察を深めて再度持ち寄り報告し合う。原則2回で一つのテーマについて扱いたいが、メンバーが合意してより深く学びたい、知りたいという場合は当然この限りではない。 (狙い) 「コミュニケーション」「アジェンダメイキング」「エンロールメント」「アクノレッジメント」「サティスファクション」 1.自分たちではない他の誰か(セミナーの主催者とか)がアジェンダを定めるのではなく、参加するメンバーひとりひとりが自分の立場、それぞれの視線から日常を生きる上で「気がついたこと」「気になること」を持ち寄ってアジェンダから一緒に作る。 誰かが作った組織、誰かが考えたアイディアにただ乗っかるのではなく、自分たち自身が発案できるということがインセンティブと感じられれば会の参加に積極性と主体性が生まれ、結果として持続性が高まる。 2.メンバー自身の立場、視線から集めた「気がついたこと」「気になったこと」を元にアジェンダを作ることによって天から降ってきたようなものではない「地に足の着いたテーマ」を設定する。 但し、各論が集積したとしても、それらを包含するマクロ的視点、本質的議論に収斂し共有していかれるようお互い意識し、良い意味で「趣味的」または「蛸壺」にならないようナビゲートし合いたい。(当面僕が縁の下のファシリテーター的な役目を買って出ようと思っていますが、交代でその回のチェアを決めてや

今日の三人目

ジャカルタから帰国する直行便は夜しかないので、毎回夕方に市内を出て空港に向かいます。 ラッシュアワーは渋滞がひどいのでいつもかなり早めに出ます。前回は南ジャカルタのクニンガンというところで晩飯を食べてから空港に向かうというアレンジにしたのですが、少々調子に乗りすぎ10時前のフライトに対して7時30分に出発したら到着が9時半近くになりけっこうしびれたので今日は6時にはオフィスを出ました。 ジャカルタ中心部の幹線道路には、朝晩の通勤時間帯に「3 in 1」という規制があります。文字通り1台の車に3人以上乗ってないと違反でとっ捕まえるよ、という意味です。タクシーは例外です。 道端に人差し指を伸ばして手を挙げた老若男女(老男はあまりいません。子供と子連れの女性が多い)が立っていて運転手だけ、もしくは運転手を含めて二人しか乗っていない車に乗って規制をクリアさせてあげる代わりに小銭を稼ぐのです。 ご多分にもれずこちらの会社の社用車だったので運転手と僕しかおらず、今日も「三人目」を乗せました。今日の三人目は小学生くらいの男の子でした。運転手は規制のある幹線道路を走って高速道路の料金所で彼を下ろしました。 運転手が彼に渡した小銭は日本円で数十円程度でしょうか。見ず知らずの人間の車に乗って、規制の途切れる郊外まで連れて行かれ、帰り道は運よく戻る車に乗せられれば良し、運が悪ければひたすら歩いて帰るのです。 激しい渋滞の原因は都市計画上、道路網の設計がひどくまずいところに想定以上の車が流れ込むからです。すべての道路が一箇所のロータリーに集まる、右左折が簡単にできずUターンをしないと逆側にいけない、などなどで頻繁に合流が発生しそのせいで渋滞します。 この合流ポイントには、にわか交通整理係が登場します。交差地点に立って直進の車を止めて、合流の車を列に流し込み、車窓から渡されるこれまた小銭を稼ぎます。やはり一台につき日本円で数十円です。数円かもしれない。 今日は土砂降りの雨でした。同乗する車を人差し指を掲げて待つ人たちも、クラクションが鳴り響く合流をさばく男たちも、ぬれねずみになりながら小銭を稼ぎます。

「鎖国の始まりと終わり」 

昨夜は某私大の副学長と某メガバンクの元役員の方と会食をしました。 新卒のころから面倒を見ていた後輩の人脈です。若いのに立派な人間です。別に僕が育てたわけではないのですが、、、 インフォーマルかつ気軽な懇親会ということで、とてもリーズナブルで感じのいいお店でした。 tete a tete http://homepage2.nifty.com/tete-a-tete/index.html 副学長はタイの歴史がご専門、会食には僕のラオス人の同僚も同席していたので、話題は意識せずとも東南アジアに関する話が中心になりました。ラオスの観光振興の話からカンボジアとの対比、アンコールワットを遺したクメール王朝とタイのアユタヤ王朝の話へと移りました。 そこから日本と東南アジアの関係へと発展しまして、話の主役は山田長政に。彼に代表される近世に生きた日本人には進取の気質があり、彼らの多くが「浪人」(傭兵)と「貿易商」という組み合わせであり、当時同様に東南アジアに進出していたポルトガル人と同じ構造であったそうです。 日本人町では、日本人と混血した末裔が暮らしていたことから、おそらく人びとの顔立ちは「日本人」ではなかったでしょうし、言語もだんだんと現地化していたかもしれませんが、しかし衣服だけは日本の服装を守っていた、と。興味深い点です。 江戸幕府が鎖国政策を導入した動機としては各諸侯(藩)が独断で対外交易をして幕府に対応し得る財政を築くことを抑止するために、一般の日本人の対外渡航を禁じオランダ・中国・朝鮮・アイヌに限って所定の藩を経由して交易を行う管理貿易体制を敷くことで幕府の統治体制を安定化させることなどにあったそうですが、鎖国体制を持続するためには、国内で自給自足の食糧生産が確保され、諸産業が完結し経済が自立していることが前提になるため、以後200年以上続いたことからもこの前提は達成されていたのではないか、とも。「内向き」でもやっていける状況だったということでしょうか。なんとなく今の日本に雰囲気が似ているかも。別に鎖国をしているわけではないですし貿易も活発にしているのですが、国内社会の仕組みや少なからず人びとのマインドは「鎖国状態」に近いのではないだろうかと個人的には思います。 昨今、「鎖国」をやめて「開国」し西洋文明に「開化」していく幕末・明治の時代がクローズアップされ人気です。(昨

4回目の田植え

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両親が千葉県はいすみ市榎沢に就農して4年目。 先週の土曜日に4回目の田植えをしました。 一昨年、昨年は荒天で冷たい風と指先を凍えさせる田の水との戦いでしたが、今年は一転して好天に恵まれて田の水も温み、まるでさながら温水プールの中でホット泥パックをしながら田植えをしている気分でした。 緑のあぜ道に縁取られた田んぼは冬の間湛水されていたため保温され生き物が逃げず滋養たっぷり。カエル(全長30㎝もあるウシガエルを筆頭に・・・)ザリガニ、ドジョウ、ヒル、アメンボ、、、名前も分からない大小様々な両生類や昆虫たち。抜けるような青空とのコントラストが実に気持ちよく、労働の疲れを癒してくれます。 友人を中心に10名近い方々に集まって頂いたおかげで順調に作業は進み、無事に目標としていた田んぼ一枚(25m×40mくらいの広さ)を植え終えることができました。田んぼは全部で5枚あり、我が家だけなら米の自給率は400%を超えます。そのため後述するトラストへの賛同者に還元したり、小ロットながら自主流通する販路を模索しています。 両親のファームでは、完全無農薬で出来る限り自然の理に適った農を実践するための土地保全を目指しています。どうやら田んぼの生き物たちのうち「捕食」をする肉食獣たちは常に田んぼにいるわけではなく、ときどき「山」から出てきて、あるいは空から飛んできて「田んぼレストラン」で食事をするようです。そのため田畑だけではなく後背地である「山」も含めて保全管理したい、そんな土地を求めて移住しました。この山の急斜面から大空に飛び出すように作られた「ブランコ」があります。自然との共存の中に人間らしい楽しみ方を合わせて寄り添っていく生き方です。 先述した「冬期湛水」はその手法のひとつです。ふつうの田んぼは冬場に水を抜いて地肌が露出した状態であるため生き物は田んぼから姿を消すか、地面深く潜ってしまいます。春になって苗を植えるときには田んぼの地表はある程度柔らかくないといけませんので、冬の間にがっちり硬く締まった表土を柔らかくするために鋤起こして撹拌し、水を入れた後に地表を平らにする代掻きという工程を経ます。この工程で機械をいれて土を引っかき回すのでますます生き物が死に、あるいは逃げてしまいます。しかし田んぼに水が張っていることで地表の温度が下がらないため、翌年の春から稲が根を張るであろう深さの地表

あなたは裏切られたらどうする?

「あなたのこと信じてたのに!!」 「裏切るなんて最低っ!!!」 「君の事を裏切るつもりはなかったんだ!」(もしくは) 「騙されるやつが悪いのさ・・・」 火曜サスペンスか金曜ロードショーか(古い??)いずれにしてもドラマチックな台詞回しです。 信じていた恋人に二股かけられていた。ビジネスパートナーに有り金全部持って夜逃げされた。尊敬していた上司が実は自分の昇進を阻んでいた。才能を買っていた部下に手をかまれた・・・。 現実の世界でもあらゆるパターンが考えられます。誰でも一度はあんな経験、こんな体験があるのではないでしょうか。 怒り、悲しみ、焦燥、絶望、、、 「裏切り」という言葉にはこの世でもっともネガティブな意味が込められているといっても、そうじゃないよという人にはあまりお目にかかりません。感情的になるな、というほうが無理、深い人間関係で結ばれていたと思えば思うほど、悔しさやつらさは募るばかりです。なんともやるせない、ひどい話。 ・・・いきおいひどい話なのですが、ほんの一度だけ息を大きく吸い込んで、一度だけ深く吐いて、苦しくてつらいけどこう考えることにします。 「なぜあの人は僕を裏切ったのか」 「最初から体目当てだったのね(ちょっと主語が「僕」だと誤解を生むけど・・・)」「共同出資した金を持ち逃げするのが狙いだったのか」「同期と天秤にかけられて忠誠心を図られていたんだ」「おれの顔色ばかりを伺っていたんだな」 おそらくそうでしょう。僕を裏切った人はそのどれかに当てはまるようなことを考えていたかもしれません。いやきっとそうだったに違いない。もしくはもっとひどいことを考えていたかも。僕はまだ運がよくそれだけの傷で済んだのかも。 ふと、ため息をついたその次の瞬間にひらめいたことがあります。 「裏切られた理由は本当は『どこ』にあるのか」 「僕には裏切られる理由はない、と断言できるか」 「深い信頼で結ばれた人間関係をあの人と本当に築けていたのか」 自分で納得するまでこの問いに向かい合い続けた僕は、人に裏切られることが少し怖くなくなりました。 takeから始まる人間関係では、裏切られることが怖い。 giveから始まる人間関係なら、裏切られることにリスクはない。 あなたは信じたあの人に裏切られたとき、どうしますか?

君のストーリーを描こう。

OB訪問の季節です。 職業柄(?)まじめで「堅い」学生さんが多い。 学生時代はたくさん勉強してきた。 ボランティアやNGOの活動を通じて貴重な経験をしてきた。 勉強や社会活動の経験を活かしてどこどこの部署できっと自分は 活躍できるはずだ。 僕らが就活してたときに、こんな真っ当なこと言ってるやつ いただろうかというくらいまっすぐまじめな子だらけ。 でも逆にちょっと気になるのは、みんな同じように見えるという こと。学部・修士程度(といってワタシは行ってませんが・・・) の学問で「専門」とか言われても蛇の道は蛇だから、いくらでも 上には上がいる。NGOの代表やってましたって、いまそういう 人は珍しくない時代。本人たちは一生懸命やっているのだと思う から、もったいなく感じる。一生懸命だから輝いて見えるのだけど 飛び抜けて見えないのはなぜだろうと考えたら、やっぱり「リベラル アーツ」が足んないんじゃないかという仮説に至った。 勉強もボランティアも「ツール」になっちゃってる感じがすごく 強い。「手段の目的化」というか。同じ大学生でも自分で 団体作って休学して現地に住み込んでプロジェクトを立ち上げて っていうところまでコミットを持っている人はやっぱり飛び抜けて いる。「リベラルアーツ」とは必ずしも哲学とか宗教とか芸術とか そのものをスペシフィックに学ぶだけじゃなくて、スピリット というか彼ないし彼女がその行動を起こす原点になるような魂の 揺さぶり、原体験をどう経験し、それをどう自分の中でconceptualize して「熱源」として収めているか、というようなことでもあると 個人的には思う。学問としてのリベラルアーツは、その「熱源」を 安全に管理・運用するためのやっぱりツールなんじゃないかと。 学問をすることそれ自体が熱を生み出すということではなくて、 熱はなんで熱いのか、そもそもなんで人間は熱を持ってるんだ、 という万象を学問をすることで説明できるようになる、というのが 本当のところではないか。 (熱源がない、というのが別の問題としてあって、コレのほうが いまおそらくマジョリティーの問題だろうけど、別途考えることに します) このconceptualizeの営みが実に大事であって、そこから生まれる ストーリーが彼ないし彼女の今までとこれからの人生を語ってくれる。 そこに「今何がで

新渡戸国際塾第三期募集開始!

第一期でお世話になった新渡戸塾ですが、第三期の募集が始まりました。 ***** (タイトル) ≪新渡戸国際塾:第三期生募集≫ 国際文化会館は、日本ならびに日本人の国際的な存在感が希薄になっている現状に鑑み、次世代を担うリーダー育成のために「新渡戸国際塾」を2008年に開校しました。 異なる文化や価値観が共存する、平和で豊かな社会を実現するために、私たちはどのような貢献ができるのか。講師と塾生が問題意識を共有し、互いに切磋琢磨しあう「知的共同体」での研鑽を通して、広い視野と 公益の精神をもって、さまざまな問題の理解と解決にあたるために必要な「実践力」と「応用力」を養います。 第三期「新渡戸国際塾」では、アジアの知的リーダーや留学生をはじめとする外国人など多様な背景をもつ人々との対話の場をこれまで以上に増やします。 第三期生募集の願書締切は、5月28日(金)です。 * 期 間:2010年7月~2010年12月。 全12回および3回の英語コミュニケーション・スキル養成講座。 原則として土曜日午後1時半~5時半。 * 対 象:国際的な視野からの社会貢献に関心をもち、企業、非営利団体、官公庁、研究機関などで最低3~5年の実務経験がある、40歳までの方。ある程度英語での講義を理解し、英語で議論する意欲のある方。職種ならびに国籍は問いません。 * 定 員:15名程度(書類選考および面接により選考します) * 参加費:70,000円(京都フィールドスタディーなどの実費としていただきます) 講師陣・カリキュラム・募集要項などの詳細はこちらからご覧下さい。 http://www.i-house.or.jp/jp/ProgramActivities/nitobejuku/index.htm 【応募・選考に関するお問い合わせ】 財団法人 国際文化会館 企画部(担当:笹沼、上原) 106-0032 東京都 港区六本木5-11-16 電話 03-3470-3211(祝祭日を除く月曜~金曜 午前9時~午後5時) FAX 03-3470-3170  電子メール:program@i-house.or.jp 新渡戸国際塾ウェブサイト: http://www.i-house.or.jp/jp/ProgramActivities/nitobejuku/index.htm *****

ニーツェ

昨晩は(すでにつぶやいてはいますが)図らずも千鳥ヶ淵の花の宴客に巻き込まれながら、ディスカヴァー21の読書会「超訳 ニーチェの言葉」に参加しました。 著者の白取さんから「ニーチェ」はドイツ語の発音では「ニーツェ」に近いよ、と言われ「そうだよなぁ。Z=ツェットだもんなぁ。」と懐かしのドイチェ(これはチェ)発音を思い出しながらお話を伺い、また座席近くの人びとと輪になっていろいろなお話をさせて頂くことが出来ました。 装丁を担当したデザイナーの方や、印刷会社の担当者の方もゲスト参加。たまたま席が近く後半の「輪になる」セッションでご一緒したので、装丁家が何を考えてカバーをデザインするのか、印刷会社の方が出来上がった書物にどれだけ思い入れがあるのかといったことに触れて、改めて「書物」の持つ価値を見つめ直すこととなりました。kindleやipadは確かに世界を変えてしまうかもしれませんが、少なくとも私は「書物」を目にしたときの装丁の美しさ、手に取ったときに感じる「物理的な重み」や「指でページをめくるときの紙のざらつき」といった「触感」を読書の楽しみの重要な要素だと思っている人間なので、紙の書物を創り続けるお仕事の偉大さを改めて確信した次第です。重い洋書を出張先にまで持っていって、それでも読みたいと思い続けられる人間でいたい、というのが偽らざる本音。 さて「輪」のトークで、「この書物に出会い、『難しい』哲学の象徴だったニーツェに対する認識が変わった」と申し上げたのですが、より正確に表現するならばきっと次のようなことを考えていました。 僕は「哲学そのもの」を難しいと思ったことはありません。「難しい」とは「この解釈はかくあるべしと異なる主観から定義されたものを自らのものとして理解せよ、というコンテクストに違和感がある」と翻訳されるべきものだと考えています。では「難しくない」「違和感のない」哲学とはなにかといえば、それはすなわち「自らが創り出す哲学」に他なりません。 自身のおかれた環境とうまく付き合って生存していく上で必然的に見いだされる「価値観」と、自らの実際の行動とその結果得られる知見からにじみ出てくる「おそらくそうであろう、そうに違いないと考える」物事の本質らしきものは、果たして「真理」なのかどうか(もっと平たく言えば「自分は『正しい』方向を向いているのだろうか」ということ)を、真

プロテスタンティズムの倫理と・・・

今日twitterで少しつぶやきましたが、ある程度まとめておかないといけないと思ってこんな時間ですがblog書いてます。 http://www.yomiuri.co.jp/editorial/column1/news/20100328-OYT1T00853.htm?from=navlc 読売新聞「編集手帳」3月29日付 Ruth Benedictがいうところの「恥の文化」の「恥」という概念について、単に「世間体が悪い」などという表象的な部分だけをもって、私たちの父祖がその倫理観としてきたわけではないのではないか、ということはtwitterにも書きました。その根本には、共同体への責任感、一個の人間として(世間体などといった狭量な話だけでなく)誰がなんと言おうと守るべきものは守るという倫理観があったのだと思います。 翻って「善悪や神への罪悪感を行動規範とする欧米型の『罪の文化』」と引用された「欧米」の倫理観はなるほど宗教的道徳観によって支えられたものであり、また「絶対神を欠くこの国」にはない「キリスト教圏とイスラム教圏」には「罪の文化」が営々と息づいている(のに対して、日本には「世間体」に変わるものさしが果たして生まれるのか)という説き。 まず「欧米」=キリスト教圏、絶対神=キリスト教圏、イスラームというステレオタイプをどうにかしなければならないのはやまやまですが、100歩譲ってむちゃくちゃですが「欧米」=キリスト教圏とカテゴライズした場合、そこに暮らす彼らは今日現在「キリスト教的絶対神信仰」の元に「罪の文化」を体現して倫理観あふれる生き方をしている、と断言できるのでしょうか。あるいはイスラーム圏についてもまた然り。 ロンドンの地下鉄の駅の壁のみならず車両にまでスプレーで落書きをする若者達は宗教に基づく「倫理観」にあふれているのでしょうか。くわえ煙草で携帯をかけながら公共の往来を闊歩するベールを脱いだインドネシアの女性キャリアパーソンは宗教的「倫理観」を遵守しているでしょうか。彼らにとってもまた宗教的「倫理観」はファーストプライオリティではないのです。 マックス・ウェーバーが論じるところでは、当初資本主義、合理主義を支えたカルヴィニズム行動様式がやがて「近代化」に伴い単なる営利を求める行動へと変貌していく様が分析されていますが、この過程での「近代化」とは「脱宗教的過程」

子ども手当に思うこと

先日の日曜日、友人の新築祝いがありました。当日の朝に出張先から帰国することになっていたので最初は行かれないと返事をしていましたが、一週間近く嫁さんを独りにしていたこともあり、どこかへ連れていってあげようと思い立って、寒い日だったので車を借りて横浜の方へドライブがてら、日吉の友人宅へも寄ることにしたのです。 Googleのストリートビューであたりの景色を事前に調べており、かつナビもバッチリだったので、一戸建ての個人宅訪問にも関わらず一発で到着しました。ちなみにハイテクを使いこなすおじいちゃんになるのが人生の目標ですが、嫁さんは一切関心を示しません・・・。車を停めている間に嫁さんが一足先に家の玄関に向かい、後をついて入ろうとすると、家主の友人が玄関先まで迎えに出てくれたのですが妙な顔つきをしています。 家の中に入ると居間のほうからなにやら口論が聞こえます。元々は前職時代の同期の集まりがかれこれ10年以上続いている関係なのですが、一組の夫婦を中心に、何人かが言い合いをしています。僕たち夫婦が落ち着いて座るまもなく、話しの中心にいた夫婦の夫が「もう帰る」といって立ち上がり、2歳になる彼らの息子を連れて出て行ってしまいました。奥さんの方も後を追って出て行きます。車に乗り込む家族を、何も事情を知らずにみんなと見送ったのですが、いったいどうしてこんなことになっているのか皆目分かりませんでした。 話題の中心にいた夫婦が出て行った後、当然ですが何事があったのかを残ったメンバーに尋ねました。旦那は大手流通業で店舗開発に携わっているのですが、長男が生まれてこの方奥さんは育児と主婦業に専念していました。奥さんはもともと総合職でバリバリ仕事をしていた人なので、いつかまた働きたいという思いがあり、長男が2歳になったタイミングで一念発起、「社会復帰」すべく職探しをしてちょうど一週間前から勤め始めたところだったのです。長男は保育園に預けられることになりましたが、いままでずっとお母さんと一緒、朝から晩まで「王様」だったのに、突然知らない環境に放り込まれてしまったため「行きたくない」と一週間泣き通しだったそうです。しかし仕事に行かなければいけない母親が仕方なく息子を叱りつけて保育園に引きずって行く姿を、父親は見るに絶えず「しばらく子供を実家に預けては?」という提案を母親にしたのですが意見が

ボツワナ

書こうと思っている主題についてなかなか煮詰まらないのでちょっと合間に。 黒川先生がボツワナに行かれているようです。 http://www.kiyoshikurokawa.com/jp/2010/02/%E3%83%9C%E3%83%84%E3%83%AF%E3%83%8A%E3%81%8B%E3%82%89.html ボ ツワナ ツワナ人の国。 位置的には南アの北。ヨハネス駐在員だった先輩が 「ボツワナはいいぞ~。(環境がね)」 と言っていたので新婚旅行の候補にもなっておったところです。 (南アで動物、ザンビアで滝、ボツワナでダイヤとカラハリライオンとコイサンハンターに会うという壮大な旅・・・) かつてアパルトヘイト時代はだいぶ南アの工作員がむちゃなことをしたんだろうなと思いますが(モザンビークとかもひどかったらしい)いまはだいぶよくなったことでしょう。 豊富な天然資源とアフリカにはめずらしくグッドガバナンスのある中進国。 天然資源に頼ってガバナンスがめちゃめちゃになるか、ガバナンスの努力をしようとしても資源(社会資本とか、企業資本とか、人材=識字とかも含めて)が足りなくて成長することが出来ずに紛争に逆戻りという国もある中で、どっちも持ってるボツワナ。 この国がこれから先もっと成長するためにはどうしたらいいか、という黒川先生の問い。 おもしろいので電車の中で考えながら、ニトベの226会に行ってきます。 アディオス。

ワガコトとタガタメの境

大塚耕平内閣府副大臣が日経ビジネスオンラインで「日本の『成長戦略』」について持論を展開。 http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20100118/212272/ 原口一博総務大臣がつぶやく。 「頂点の文化?一度、極めたら陥落がない地位?横綱…永世名人…事務次官…」 http://twitter.com/kharaguchi/status/9075892965 全然別のことを別の視点でとらまえているのでつながりはないのですが、この二つを眺めて自分なりに改めて感じたので整理してみる。 1.「最後は誰かがどうにかしてくれる」という雰囲気をみんな持っていないか。 2.「あの横綱はダメだ」とか「権力の権化である事務次官は・・・」と言うがその中ではみんながそれを目指す以外にインセンティブを感じない仕組みになっていないか。 3.その雰囲気と仕組みが、この国を覆っていないか。 誰かがどうにかしてくれて、上だけ見ていればいい環境は、一見ものすごく居心地がいい。でもきっと首が痛くなるよね。 よく国会議員の人は「国民への説明責任」とか「国民の目線で」など「国民」という言葉を言う。この場合の「国民」が僕にはなんとなく「YOU」に聞こえる。市議会とか都議会の議員がどうかは分からないし人にもよるだろうしアンケートなんかとってもみんな否定するだろうが、これはほんとは「WE」に聞こえないといけないんだろうと思う。「政治主導」はいいけど、主導する思考回路が「YOU」だとなにも変わらない。 お上が「YOU」の思考で物事を言って、決めて、指示してくれる、という雰囲気があるから「成長戦略」も「決めてくれない」になっちゃうし、会社のトップも大きいところであればあるほど自分のところの平社員に対して本音の本音で「WE」だと語りかけている人ってそんなにいないんじゃないか。 「WE」で語りだすと、それまでワガコト=「I」のことで自分のことばかり考えて垂直統合のロープを上ることしかインセンティブがなかった人たちが、ワガコト=「WE」のことに価値を見出せるようになる。そうすることでワガコトがタガタメを包摂する瞬間が来る。境目を超えて、ワガコトがタガタメになるのです。

迷路@トーキョー・ステーション

東京駅、といっても東京国際フォーラムの地下にあるJR京葉線のホームから「ほんとの東京駅」に向かう丸の内地下道をご存知ですか? 改札を出ない八重洲側の通路と違って「動く歩道」もなく、延々と続く約1キロのトンネルです。 丸の内線に乗ろうと歩いていると、向こうから大きなバックパックを背負った白人男性が声を掛けてきました。この寒空に半袖の赤ら顔。年の頃は50歳くらいでしょうか。 おじさん曰く「サブウェイはどっちだ?!」 僕「どのサブウェイ?」 おじさん「コウラクエンに行きたい。」 僕「じゃあ丸の内線だからちょうどいいし一緒に行きましょう。」 おじさん「ありがとう。レッドライン、とだけ覚えていて、赤い『丸』を辿ってきたけどどこかで道を間違えたみたいだ。」 僕(赤い丸??) なるほど、彼が迷った理由が分かりました。丸の内線は「メトロの赤い丸」ですが、彼は「JRの赤い丸」、正確には槐色の丸を追って地下道を進んでしまったというわけです。 覚えやすいように、と配慮して色分けされているわけですが、よくよく考えてみれば「色の見え方」も人それぞれ。「赤い」は必ずしも同じように「赤く」見えないかもということか。 それにしてもおじさん、30分も駅の中を歩き回ったらしく、君に聞いてよかった、と疲れた顔が実に印象的でした。聞けばシドニーから志賀高原にスキーに来たとか。なんて羨ましい。 そのあと「文化のローカライゼーションとビジネス」について酒を飲みながら話をしたのですが、この話はしないままでした。

お通夜

昨日は会社の先輩のお通夜でした。 享年49歳。2歳のお子さんと奥様を遺しての早すぎる死を悼んで、実に多くの人が会葬に訪れました。 鎌倉のはずれにある古刹のこざっぱりした境内の奥に佇む小さな庵のような別院を飾る山のような装花が、故人の人徳を雄弁に物語り、喪主を務めた奥様が気丈にもご挨拶にお越しになったときは、もらい泣きしそうで大変でした。 お清めも済んで、帰りしな。 「最後にお顔を見てお別れをしてあげて下さい。」 葬儀社の人に促されました。でも遺影の笑顔に、在りし日の大柄な体格と温厚な人柄を思うと、とても棺に近づくことが出来ませんでした。少し歳を取って逆に感傷的になったのでしょうか。

カリラ

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カエラじゃありません。カリナでもありません。 CAOL ILAと書いてカリラと読みます、こいつ。 スコットランドは西の果て、北大西洋に浮かぶIsle of Islay、アイラ島の地酒です。お金がない昨今なのですが、ちょっと手を伸ばして買うてみました。店で飲むよりは俄然安い。アルコール度数60度をストレートで飲むと世界が変わります。まじめな話、変わります。 シングルモルトと初めて出会ったのは19歳の冬のこと。(もう時効です・・・許してください)初めて口にしたのはラフロイグという当時の僕からしてみれば、とってもクレイジーな飲み物でした。カリラちゃんの仲間です。もっとも飲みにくい類の種族にビギナーで挑戦してしまったので、その先は言わずもがなの酒びたり人生です。 翌年にはスコットランドを一人で旅するまでにハマったワタシ。10年以上たった今でも、ピートの効いたスコッツ西海岸の地酒を大好物にしております。 エジンバラで想定外のホテルロックアウトに遭い、仕方ないからグラスゴーに行こうとしたら電車を乗り間違えてあわてて降りた隣町のリンリスゴーで宿を探し、見つからずに仕方ないから野宿しようとしたけど3月のあまりの寒さに30分でリタイアしてエジンバラに戻ってインフォメーションに泣きついて、改めてグラスゴーの安宿を紹介してもらってそれから鈍行で1時間ちょっとだったんだと思うけど数時間に感じる車窓から体験。でも外は真っ暗で人っ子ひとりはおろか、羊っ子一匹見えず。途中セルティックのサポーターが絶叫する車内に戦々恐々としながらグラスゴーの駅を出て、それから10数ブロックだったのだと思うけどそのときは数百キロに感じた道のりをほうほうの体でインド人経営のホテルにたどり着いたときのあのかぐわしいスパイスの香りやら、深夜まで玄関を開けてずっと待っていてくれたホテルのおっちゃんの「大変だったな、今日はゆっくり眠りなさい」という暖かい言葉とか、いろいろな若気の至りが思い起こされる不思議な飲み物でもあります。 スコットランドの田舎町に行くと、きっと僕が彼らの目にする初めての(は言いすぎだけど何人目かの)日本人でありアジア人だったりする世界が本当に待っています。中華料理はおろか、南アジア料理屋すら一軒もない町や村がいくつもあります。ところがそんな田舎町にも必ず一本道の目貫通りは

考える葦

休日の丸の内。 早朝の人影もまばらな地下鉄の改札脇で、ごみ箱から古新聞をあさる白髪の男性。髭は無精ではあるが伸び過ぎず。住宅街をジョギングしていたらさりとて不思議にも思わない紳士面のジャージ姿を横目に階段を上がると薄汚れた寝袋と古新聞の束を抱えた無人の台車が主人の戻りを待っている。世をはかなんで路上や公園にいるのだから彼らの勝手だ、と言う向きもあるが、寒い冬の朝にそれでも命をつなぐ古新聞を集めるところにジレンマがある。 馬場先門の静謐清廉な空気の中を進むと竣工なった三菱一号館。角のテナントからジュエル・ロビュションが微笑んでいる。日本の経済発展の象徴、ビジネスディストリクト丸の内。三菱もまた近代日本の富を象徴する存在。その足元の地下道は、路上生活者の小便の臭気に満ちている。別に新発見でもなんでもない。毎日何十万人の人が目にする「日常」風景。 競争とイノベーション、自己責任、格差の必然性。そんな使い古された視点でどうこう言う気はない。どちらかといえば私だって極端な話「競争に勝つこと」の恩恵に浴してきた部類。そんな自分が生きる世の中の仕組みや社会が成長するいまの通説、理屈を根底からひっくりかえすわけでは毛頭ないが、目の前にある現実をどう理解し、どう納得するのか。果たして本当に納得しているのか。見えないものとして心の隅に追いやっていないか。改めて問われたら、どう答えるのか。少なくとも私は、自分の子どもからこう問われたときに「彼らの存在は自業自得故だ。だから君はあのようになってはいけない」とだけしたり顔で答えることはしたくないと、直感的にだが思うのである。 人間は考える葦だ。例え君の思い悩みがいま結論を導かなくても、感じた矛盾を抱えて考えつづけることを止めてはいけない。そう逃げるのが精一杯かな。いやはや実に情けない。でも人間はそうやって疑問や悩み、不思議や矛盾を何千年も考え続けてきて、それが科学であるとすればやはりそれは進歩の礎なんだ、なんて言ってあげられるのかもしれない。