「鎖国の始まりと終わり」 

昨夜は某私大の副学長と某メガバンクの元役員の方と会食をしました。

新卒のころから面倒を見ていた後輩の人脈です。若いのに立派な人間です。別に僕が育てたわけではないのですが、、、

インフォーマルかつ気軽な懇親会ということで、とてもリーズナブルで感じのいいお店でした。

tete a tete

http://homepage2.nifty.com/tete-a-tete/index.html


副学長はタイの歴史がご専門、会食には僕のラオス人の同僚も同席していたので、話題は意識せずとも東南アジアに関する話が中心になりました。ラオスの観光振興の話からカンボジアとの対比、アンコールワットを遺したクメール王朝とタイのアユタヤ王朝の話へと移りました。


そこから日本と東南アジアの関係へと発展しまして、話の主役は山田長政に。彼に代表される近世に生きた日本人には進取の気質があり、彼らの多くが「浪人」(傭兵)と「貿易商」という組み合わせであり、当時同様に東南アジアに進出していたポルトガル人と同じ構造であったそうです。


日本人町では、日本人と混血した末裔が暮らしていたことから、おそらく人びとの顔立ちは「日本人」ではなかったでしょうし、言語もだんだんと現地化していたかもしれませんが、しかし衣服だけは日本の服装を守っていた、と。興味深い点です。


江戸幕府が鎖国政策を導入した動機としては各諸侯(藩)が独断で対外交易をして幕府に対応し得る財政を築くことを抑止するために、一般の日本人の対外渡航を禁じオランダ・中国・朝鮮・アイヌに限って所定の藩を経由して交易を行う管理貿易体制を敷くことで幕府の統治体制を安定化させることなどにあったそうですが、鎖国体制を持続するためには、国内で自給自足の食糧生産が確保され、諸産業が完結し経済が自立していることが前提になるため、以後200年以上続いたことからもこの前提は達成されていたのではないか、とも。「内向き」でもやっていける状況だったということでしょうか。なんとなく今の日本に雰囲気が似ているかも。別に鎖国をしているわけではないですし貿易も活発にしているのですが、国内社会の仕組みや少なからず人びとのマインドは「鎖国状態」に近いのではないだろうかと個人的には思います。


昨今、「鎖国」をやめて「開国」し西洋文明に「開化」していく幕末・明治の時代がクローズアップされ人気です。(昨今、というより坂本龍馬はずっと人気者ですから今に始まったことではないのかもしれませんが)
最近「鎖国状態」だよね、という印象が強いので、尚更「開国(オープン、コンペティティブ)」「維新(イノベーション)」という気運が一部で高まっているのでしょう。(一部、としたのは「多く」で高まっていれば問題は自ずと解決されていくだろうと楽観できるからですが、実態はそうではないからです)

しかしこの話をしているうちに、「果たして鎖国を始めたころ、況んや始める少し前の日本はどういう状況だったのか」という点がとても興味深いものに見えてきました。


「鎖国の終わり」のみならず「鎖国の始まり」。


進取の精神を以て海外に渡っていった人が少なからずいて、中には他国で活躍した人もいた時代。他方で鎖国が出来るくらい国内が豊かであったらしい16世紀末から17世紀初頭の日本。「出るのか、閉じこもるのか」で後者を選んだ日本。200年あまりの安定の後に大きな犠牲を伴いながらも新しい方向に舵を切ることが出来た明治維新という一大転機を迎えることは歴史が教えています。しかし物事のスピードが上がり、時間の進み方が早まっている現代では、いま私たちの前にある「出るのか、閉じこもるのか」の選択の後に200年も猶予はないのでしょう。

幕末維新の時代になぞらえられることが多い現代の状況ですが、実は「鎖国」を始めた17世紀初めの時代にもリンケージがあるのかもしれないですね。

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