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生き方を語るのは意外と難しい

今週水曜から来週の水曜までの一週間、一時帰国する。もともとは畏友の結婚式が来週の日曜に予定されていて、なんとかそれに出席するための一時帰国であった。これを機に今後のことについて上司とも話しをしなければならないし、諸々の用事もあったので、思い切って学期の途中に帰国することにした。 途中とはいっても、もうコースワークはあと二週間を残すのみである。4月11日にすべての講義が終わり、5月15日までに春学期のペーパーを提出し、6月2日までに修士論文の概要を提出し、そのあとはひたすら論文執筆の世界である。縁あって出会った同級生たちとも、過ごせる時間はあとわずかである。 昨日はバングラデシュ人のイクバルに誘われてふたりで延々と酒を飲んだ。いろいろなことを話した。まさかイギリスでバングラデシュ人にサムライの、「武士道」の話をするとは思わなかった。 そもそも私の祖先は厳密な定義でのサムライではない。農民と武士の間のような郷士であった父方と農民と商人の間のような生糸仲買の母方との間から昭和の後半になって生まれてきた私が、外国人に対して「武士道」とはなんぞやと語ることもあるいはおこがましいのかもしれない。 幸運にも基礎的な教育とその後の機会に恵まれて、「武士道」を知識として知っているということはあれど、そもそも私は伝統や権力を背景としてもつエスタブリッシュメントではないし、エリートでもないという確固たる自覚がある。そうであったら、という羨望にも似た気持ちがなかったか、と問われれば、かつて「選良」に対する憧れがあったことは否定できない。 しかしながらそれは明確な権力への欲求とは異なり、知的好奇心が長じた賢者への純粋な憧れ、と表現したほうが正しいと思う。他方で、庶民の子供として生まれ、小さな世界でのみ少々かしこいといわれて育ってきた少年にとって「選良」は憧れる対象ではあっても、真の意味でそうなれるものでは決してない、ということも歳を経るごとに心の底から分かってきた。 いくつのころからか、そうしたある種の幻想への憧れと言うものは不思議と消え去り、己の足元と、そこに続いてきた道と、そこから続いていく道が、とても納得のいく形で見えるようになった。それは他人の目からすれば、しごく控えめで野心的でなく、悪く言えば挑戦的でなく、したがってややもすると怠惰で、厭世的にさえ

鉄道で映画のススメ

週末にロンドンへ向かう列車に映画を持っていって観た。 乗り物の中で映画を見る、というと私の世代は真っ先に飛行機を思い浮かべるだろう。それも個人用モニター、さらにはオンデマンドチャンネルなどというものはここ10年くらいの出来事である。 思い起こせば初めて乗った欧州線では、はるか前方の大きなスクリーンを機体最後部にわずかに残った喫煙席からくゆる紫煙の向こうに眺めていたのだから。それだってもちろん「南回り」や「北周り」の諸先輩方にはかなわない。それはなぜ日本赤軍にハイジャックされたパリ発の日航機がダッカに着陸したのか、という一昔前の時代の話である。ともかくかつては「列車の中で映画」なんて言ってみたら頭がおかしいのか、そんなふうに思われてもおかしくなかった。時代は変わるものである。 この日はブライトンからロンドンへ向かう列車が片道二時間掛かるということだった。通常であれば北に向かってまっすぐ延びる線路を走るところが、週末をかけて保線工事をするとかで、私の乗る上京列車はウォーシングやリトルハンプトンといった海岸沿いの街々へ大きく西に迂回してから、一転北上してロンドンに向かう経路を辿った。 あらかじめ二時間という行程を知ったので、のんびりと車窓を楽しむだけではもてあますと考えた私は、この日列車の旅に映画を持っていくことにした。 カトリーヌ・ドヌーブ主演の「インドシナ」を観た。初めて観たのはいつのころだろうか。何度目かの「インドシナ」である。何度も観るほど良い映画かといわれると胸を張ってそういえる自信はなく、正直なところ微妙な部分も少なくない作品なのであるが、この日はなぜかこれが観たくなった。理由は分からない。 簡単に話をひもとく。植民地インドシナに生まれ育ちフランス本国を知らないドヌーブ演じるフランス人女性とその養女である両親を事故で失ったベトナム人皇族の少女がひとりの若きフランス海軍大尉を愛してしまう。少女はハロン湾に転勤した彼を追ってサイゴンから北へ、革命前夜のインドシナを旅する中で、植民地支配下で抑圧され貧困にあえぐ人々と交流する中から、巨大なゴムプランテーションを営む支配者階層である養母と離れて共産主義革命へと身を投じていく。 「インドシナ」はメロディに母と娘がひとりの男性を愛するというある種の禁忌を奏で、インドシナ植民地をまさにい

鈍な機械にも五分の魂

一週間ほど前に大家のスティーブがボイラーの交換を決めた。 あさっての火曜日の朝にガス屋が見に来て交換作業の詳細を決めることになった。 最低でも16年かそれ以上の年齢を重ねたボイラー。比較的近い風呂場や洗面は比較的安定的にお湯が出るし、暖房も問題ないのだが、台所の流しはたまにいつまでたっても水しか出ないことがあった。なによりガスの燃焼効率が悪いのか目玉が飛び出るような請求が来たりしていて、これは替えてもらわないと、という状況だった。 それが、交換が決まった途端に、パフォーマンスが良くなったのだ。この一週間と言うもの、ボイラー氏は極めて安定的な給湯を続けている。念のためガスメーターも日々確認しているのだが、(まさに人間スマートメーターである)、ガスを使わなかった日をベースラインとして、そこそこ使った日と比較をしても極端に効率が悪いとは言えない状況である。 交換が決まる前までは、それこそ目玉の飛び出る請求の元となるメーターリードを生み出した元凶のボイラー氏は、自分の寿命が残りわずかであると悟ったいま、現役最後のご奉公と思ってか空前絶後のハイパーパフォーマンスを見せているのである。 いや、冷静に考えれば安定的に低燃費で動く、というのが当たり前なのかもしれないけれど、イギリスに来てからというものすべからく期待値レベルが下がっているので、こんなことでも驚き喜んでしまう。 そして、これは子供のころからつとに感じていたことなのであるが、機械などが交換されることが決まると急に調子が良くなるという記憶がある。機械にも心のあることなのかもしれないなどと思う私はナイーブだろうか。それでもいいと思っている。