鉄道で映画のススメ

週末にロンドンへ向かう列車に映画を持っていって観た。

乗り物の中で映画を見る、というと私の世代は真っ先に飛行機を思い浮かべるだろう。それも個人用モニター、さらにはオンデマンドチャンネルなどというものはここ10年くらいの出来事である。

思い起こせば初めて乗った欧州線では、はるか前方の大きなスクリーンを機体最後部にわずかに残った喫煙席からくゆる紫煙の向こうに眺めていたのだから。それだってもちろん「南回り」や「北周り」の諸先輩方にはかなわない。それはなぜ日本赤軍にハイジャックされたパリ発の日航機がダッカに着陸したのか、という一昔前の時代の話である。ともかくかつては「列車の中で映画」なんて言ってみたら頭がおかしいのか、そんなふうに思われてもおかしくなかった。時代は変わるものである。


この日はブライトンからロンドンへ向かう列車が片道二時間掛かるということだった。通常であれば北に向かってまっすぐ延びる線路を走るところが、週末をかけて保線工事をするとかで、私の乗る上京列車はウォーシングやリトルハンプトンといった海岸沿いの街々へ大きく西に迂回してから、一転北上してロンドンに向かう経路を辿った。


あらかじめ二時間という行程を知ったので、のんびりと車窓を楽しむだけではもてあますと考えた私は、この日列車の旅に映画を持っていくことにした。


カトリーヌ・ドヌーブ主演の「インドシナ」を観た。初めて観たのはいつのころだろうか。何度目かの「インドシナ」である。何度も観るほど良い映画かといわれると胸を張ってそういえる自信はなく、正直なところ微妙な部分も少なくない作品なのであるが、この日はなぜかこれが観たくなった。理由は分からない。


簡単に話をひもとく。植民地インドシナに生まれ育ちフランス本国を知らないドヌーブ演じるフランス人女性とその養女である両親を事故で失ったベトナム人皇族の少女がひとりの若きフランス海軍大尉を愛してしまう。少女はハロン湾に転勤した彼を追ってサイゴンから北へ、革命前夜のインドシナを旅する中で、植民地支配下で抑圧され貧困にあえぐ人々と交流する中から、巨大なゴムプランテーションを営む支配者階層である養母と離れて共産主義革命へと身を投じていく。


「インドシナ」はメロディに母と娘がひとりの男性を愛するというある種の禁忌を奏で、インドシナ植民地をまさにいまそのときに失いつつあり、そして失っていく帝国フランスの重篤な喪失感をしかしながら重低音に隠しつつ、植民地支配からの脱却から独立戦争を経てジュネーブ協定へ連なっていく激動のインドシナ史を、母娘を中心とした群像の物語の中に描き出す。


フランスとその植民地にまつわる題材を扱った映画といえば、なんといっても「ジャッカルの日」である。しかしながら、そこで描かれる狂おしいまでの本国フランスへの愛憎はこの「インドシナ」にはほとんど存在しない。あくまでも重低音の域を出ず、そっと背景を支える役割に徹している。


ドヌーブ演じる主人公の女性はインドシナで生まれ育ったのであるからして、アルジェリアの人々が本国に対して、そしてド・ゴールに対して抱いた期待と失望と殺意を彼女に投影するシナリオもありえたかもしれない。しかしながらドヌーブ演じる主人公の女性は、海軍大尉への愛と養女への愛に生き、そしてそれを最後まで貫くのである。


養女であるベトナム皇族の少女は、愛する海軍大尉を追ってサイゴンからハロン湾までをほとんど徒歩で旅する道すがら、奴隷の家族と出会い、助け、そして交流する。旅で出会う彼らをはじめとした貧しく抑圧された人々との邂逅を経て、彼女が反植民地抵抗運動、そして共産主義活動に身を投じていくプロットは、旅のそもそもの目的は異なれど「モーターサイクルダイヤリー」に類するところがある。南から北へ、大地を這うように歩んでいく少女の姿は、若き日のチェ・ゲバラと重なるところが少なくない。


そのようなことをつらつらと考えながら、カトリーヌ・ドヌーブの少し目じりにしわが寄ってはいるけれど俄然美しい相貌を飽きずに眺めていたら、エンドロールの黒地に白字幕とともに「ビクトリア」の看板が目に入ってきた。これからのロンドンへのひとり旅路は映画に限る、かもしれない。

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