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なぜ桜on三陸プロジェクトに関わろうと思ったのですか?

「なぜ桜on三陸プロジェクトに関わろうと思ったのですか?」 田中さんがHillsbreakfastで最初のプレゼンをしてから2日。あらゆるところで聞かれるようになりました。去年の10月末に六本木の居酒屋(リアル中西@松ちゃん)で本当に偶然の出会いをしてから半年。先月お互いのパートナーを交えて食事をした際に、突如「吉田さん。俺、東北に桜を植えたいんですよ」と。僕は植物の知識も、東北のコネクションも、復興計画に影響を与えることも、資金集めをする力もない、彼にとってはほとんど役に立たない存在。ただひとつだけ、彼が感じる「価値」とはなにか、ということに心の底から共感が湧き起こったのです。 いまを生きる私たちにとって「価値」とはなにか。いったいどんなものか。「閉塞感」「停滞感」といわれ、なにか生きにくさを感じている人が少なくない現代は今後どのように変革されていくべきなのか。 前近代、私たちの祖先はいまよりずっと「不自由」でした。厳然たる身分制度、想像を絶するあらゆる格差、時には生存すら危ぶまれる厳しい自然環境、いまの私たちの「価値」から見れば圧倒的とも思える不条理。現代にいたるいくつもの事件や変革を経て、私たちは「人権」「国民国家」「世俗民主主義」「工業化」「経済成長」「格差是正」などさまざまな新しい「価値」を手にしてきました。私たちはかつての時代を生きた先達よりも可能性にあふれ、多様性を抱え人生を送るための多くの選択肢をもち、「自由」であると考える人が多いと思います。 一面において、それは正しいと僕は思います。他方で、「蛙の子は蛙」といわれたように、私たちの祖先が生きてきたのは、生まれながらにしてその人が一生を生きる「価値」が定められていた時代でした。暮らす地域や社会階層、性別、文化、宗教などによってこの「価値」が規定されていた時代でした。人々は他の「価値」を持つ隣の人々と今日ほど早く大量に移動したり情報交換をしたりせず、ある意味で「不自由」ではあるけれど「多様な価値」が共存していた時代でした。一人の人が生まれてから死ぬまでの間に感ずる「時間の流れ」は今よりもゆるやかであったように思います。 時代が進むにつれて、人々は前述した新しい「価値」を手にしてきましたが、一人の人がその一生を生きる間に感じる「時間の流れ」は速くなり、他の「価値」を持つ隣の人々との距離が近くな