希望と背中合わせの絶望

NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」を見る。

山谷でホスピスを運営する方を取り上げていた。



山谷は父親が炊き出しに行っていたこともあって伝え話としてどんなところだ、とか少なくとも地名としては知っているけれど、実は一度も自分の足で行ったことはない。最寄り駅がどこかも、実は自信がない。東京人として、とても恥ずかしい。


がん治療が奇跡的に成功し、これから闘病していこうというホスピスの入所者について主人公が洩らした一言が印象的だった。


「もう治らない、助からないと思っていたときのほうが(彼は)さっぱりしていた。助かるかもしれない、治るかもしれないと希望を持ったときから悩みが生まれんじゃないか」(一言一句そのままではありません、但し語意はそのままに)




「坂の上の雲」しかり。
病める正岡子規が晩年に至り搾り出すように「生」にしがみついたのも、創作への希望、己のなすべきと信ずることへの希望が絶ち難いほど湧き出で続けていたからだろう。



苦しいまでの悩みや深い絶望は、果たして生まれた小さな希望の裏側にあるものではなかろうか。





今日の午後、ベテランのタイ研究者と、かの国の政治的混乱の要因はつきつめるところなんであるかということについて話をしていた。


タイの政治的混乱は社会構造、ひいては経済構造の問題であり社会階級間の計り知れない格差が要因である。



都市(主にバンコク)に住まう中間層以上の人々と農村(主に北部、東北部)に住まう低所得者層の人々では生活「様式」が違う、と彼は言った。生活「水準」ではない。「様式」そのものが違うという。私も東北部の農村に赴いたことがあり、そのときの記憶をたどる。まさに。
絶対的に覆りようのない格差は人々に希望をもたらさない。主に農民である彼らが農業労働にのみ従事し、情報インフラも未整備だった時代には、そもそも「違う」ということすら十分に認識されていなかったかもしれない。

タクシンはそんな彼らに「夢」を見せた。希望を与えた。実現しない可能性が極めて高かったのは周知だが、タクシンは彼らに「自分たちも首都に暮らす中間層のような生活が出来るかもしれない」と思わせる政策を掲げて選挙に勝った。そのころ彼らはもはや専業農家ではなく、都市に出稼ぎに出て都会の暮らしを自分の目で見ていたし、農村でも都市の様子をブラウン管の小さいテレビで見て知っていた。


「手が届くかもしれない。ああなれるかもしれない。」


この「経済的自由」ともいうべきシロモノは、私たちの近い祖先が明治以降の時代に持ち続けて今の日本を形づくったものと同じものである。



怒りや不満や絶望のエネルギーは、この希望が叶えられなかったときにこそ極大化する。いまタイではそのエネルギーがまた溜まり始めている、という。



国民全体の所得を向上することによってなにが生じるのか。「一億総中流」は一時確かにナショナルレベルの最適解となったはずだった。しかし所得の上昇は賃金の上昇であり、賃金の上昇は産業構造の変革を見ない限り国内産業のグローバルレベルでの競争力低下を招くことは最も身近な例で明らかである。




中進国から先進国へ。先進国からポスト先進国へ。


「発展とはなにか」そして「あるべき発展を遂げるためにはどうすればいいのか」


人間社会があり続ける限り我々が永続的に考え続けなければならないこの課題は果てしない。


それも私たちが「希望」を持ってしまったが故なのだろうか。

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