子ども手当に思うこと

先日の日曜日、友人の新築祝いがありました。当日の朝に出張先から帰国することになっていたので最初は行かれないと返事をしていましたが、一週間近く嫁さんを独りにしていたこともあり、どこかへ連れていってあげようと思い立って、寒い日だったので車を借りて横浜の方へドライブがてら、日吉の友人宅へも寄ることにしたのです。

Googleのストリートビューであたりの景色を事前に調べており、かつナビもバッチリだったので、一戸建ての個人宅訪問にも関わらず一発で到着しました。ちなみにハイテクを使いこなすおじいちゃんになるのが人生の目標ですが、嫁さんは一切関心を示しません・・・。車を停めている間に嫁さんが一足先に家の玄関に向かい、後をついて入ろうとすると、家主の友人が玄関先まで迎えに出てくれたのですが妙な顔つきをしています。

家の中に入ると居間のほうからなにやら口論が聞こえます。元々は前職時代の同期の集まりがかれこれ10年以上続いている関係なのですが、一組の夫婦を中心に、何人かが言い合いをしています。僕たち夫婦が落ち着いて座るまもなく、話しの中心にいた夫婦の夫が「もう帰る」といって立ち上がり、2歳になる彼らの息子を連れて出て行ってしまいました。奥さんの方も後を追って出て行きます。車に乗り込む家族を、何も事情を知らずにみんなと見送ったのですが、いったいどうしてこんなことになっているのか皆目分かりませんでした。

話題の中心にいた夫婦が出て行った後、当然ですが何事があったのかを残ったメンバーに尋ねました。旦那は大手流通業で店舗開発に携わっているのですが、長男が生まれてこの方奥さんは育児と主婦業に専念していました。奥さんはもともと総合職でバリバリ仕事をしていた人なので、いつかまた働きたいという思いがあり、長男が2歳になったタイミングで一念発起、「社会復帰」すべく職探しをしてちょうど一週間前から勤め始めたところだったのです。長男は保育園に預けられることになりましたが、いままでずっとお母さんと一緒、朝から晩まで「王様」だったのに、突然知らない環境に放り込まれてしまったため「行きたくない」と一週間泣き通しだったそうです。しかし仕事に行かなければいけない母親が仕方なく息子を叱りつけて保育園に引きずって行く姿を、父親は見るに絶えず「しばらく子供を実家に預けては?」という提案を母親にしたのですが意見が合わず、それについて新居祝いに集まったメンバーがああでもないこうでもない、とおせっかいを焼いていた、ということだったのです。

結論を見ずに彼らは帰ってしまい、その後どうすることになったのか分からなかったのですが後日談として奥さんの母親がしばらく田舎から出てきてくれて長男の保育園の送り迎えをしてくれる、ということで決着が図られたということでした。



僕はふと、きっとこのような話はいまの日本にあふれている、つまり育児をする共働きの家庭は多かれ少なかれこのような問題を抱えているのではないか、と感じました。都市化による核家族化、経済成長と所得増進による価値観の多様化、女性の社会進出。いろいろと要因があるのだと思いますが、子供を育てるという行為を「本当に夫婦二人だけで」しなければいけない、という状況。それを「社会全体で支える」という触れ込みで月2万6千円の子ども手当を「個々の家庭」に配ることで本当にこの状況を打開できるのか。僕は懐疑的です。

もちろん経済的に困窮している家庭にとっては、この手当が大きな助けになるでしょう。それこそ「もらえるものはもらっておけ」というのが偽らざる本音でしょう。それ自体は否定できるものではないことも分かります。しかしひとつだけいえるのは、少なくとも僕の友人が抱える問題は「子ども手当」ではきっと解決しないものだということです。「家庭」が小さくなり、「家庭」と「家庭」が分断されている状況が彼らを追い詰め、苦しめているのに、小さな家庭と家庭をつなぐ糸を作り強く太くしていくことをせずに、個々に現金を流し込む、という形ではうまく解決しない問題だということです。そのお金をどう使うか、無駄遣いしないか、といった点とはまた別の議論です。



僕の妹がまだ幼い頃、我が家は下町の団地住まいでした。彼女が1歳になったときから母親は仕事に復帰しましたが、あいにく保育園に空きがなかったので、同じ団地に暮らす坂口さんというご家庭に1年近く預かって頂いていました。坂口さんはご主人がタクシーの運転手、奥様は専業主婦だったと思います。夜勤が主な仕事であるにもかかわらずご主人は日中が大事な睡眠時間だったでしょうが妹とよく遊んでくれていたそうです。あの広大な団地の中でどうやって坂口さん一家と両親が出会ったのかは定かではありません。町内会の関係くらいしか接点は思い当たりませんが、ともかく坂口さんは妹を我が子のようにかわいがってくれていたのです。その後も両家の交流は続き、妹は高校生になっても坂口さんのお宅に遊びに行っていましたし、年賀状のやり取りが毎年ある関係です。

僕の両親と妹は単に「ラッキー」だったのでしょうか。そうかもしれません。多分に坂口さんという方に「たまたま」巡り会えただけかもしれません。ただその坂口さんに巡り会えた背景には、団地の町内会という家庭をつなぐ糸があり、その糸は「幼い我が子を信頼して預けられるほど」強くて太かったのではないか、と思うのです。そしてもう少し想像するのであれば、この糸は同年代、いわゆる「ママ友」や近い歳の子供を持つ親同士、という関係のみならず異なる世代をも結んでいたのではないでしょうか。坂口さんは両親よりも二回り以上年長で、すでにお子さんは自立されていました。いわば妹を孫のように見守ってくれていたのです。本当の祖父母と同じように我が子を見つめてくれる他人が近くにいたならば、ひょっとして今回の友人の子育てにまつわる問題はもう少し早い段階で、改善していたかもしれません。

この糸はきっと「隣の家の人はよく知っていて信頼できる」という前提に成り立つものですから、簡単に強く太くなりません。いま僕たちが持っている「いろいろななにか」を諦めないと取り戻せないものかもしれません。ですから民主党が政権奪取において目指した「目に見えて迅速に実行できる政策目標」には確かになり得ないものであったかもしれません。「もらえるものはもらっとけ」で去年の夏の選挙で選ばれた(ことになっている)政策のひとつ「子ども手当」。本当に僕たちが手にしなければならないものは「今すぐもらえる月額2万6千円」でしょうか。それとも未来につながる信頼できるコミュニティの再生でしょうか。

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