君のストーリーを描こう。

OB訪問の季節です。

職業柄(?)まじめで「堅い」学生さんが多い。



学生時代はたくさん勉強してきた。
ボランティアやNGOの活動を通じて貴重な経験をしてきた。
勉強や社会活動の経験を活かしてどこどこの部署できっと自分は
活躍できるはずだ。



僕らが就活してたときに、こんな真っ当なこと言ってるやつ
いただろうかというくらいまっすぐまじめな子だらけ。
でも逆にちょっと気になるのは、みんな同じように見えるという
こと。学部・修士程度(といってワタシは行ってませんが・・・)
の学問で「専門」とか言われても蛇の道は蛇だから、いくらでも
上には上がいる。NGOの代表やってましたって、いまそういう
人は珍しくない時代。本人たちは一生懸命やっているのだと思う
から、もったいなく感じる。一生懸命だから輝いて見えるのだけど
飛び抜けて見えないのはなぜだろうと考えたら、やっぱり「リベラル
アーツ」が足んないんじゃないかという仮説に至った。


勉強もボランティアも「ツール」になっちゃってる感じがすごく
強い。「手段の目的化」というか。同じ大学生でも自分で
団体作って休学して現地に住み込んでプロジェクトを立ち上げて
っていうところまでコミットを持っている人はやっぱり飛び抜けて
いる。「リベラルアーツ」とは必ずしも哲学とか宗教とか芸術とか
そのものをスペシフィックに学ぶだけじゃなくて、スピリット
というか彼ないし彼女がその行動を起こす原点になるような魂の
揺さぶり、原体験をどう経験し、それをどう自分の中でconceptualize
して「熱源」として収めているか、というようなことでもあると
個人的には思う。学問としてのリベラルアーツは、その「熱源」を
安全に管理・運用するためのやっぱりツールなんじゃないかと。
学問をすることそれ自体が熱を生み出すということではなくて、
熱はなんで熱いのか、そもそもなんで人間は熱を持ってるんだ、
という万象を学問をすることで説明できるようになる、というのが
本当のところではないか。
(熱源がない、というのが別の問題としてあって、コレのほうが
いまおそらくマジョリティーの問題だろうけど、別途考えることに
します)

このconceptualizeの営みが実に大事であって、そこから生まれる
ストーリーが彼ないし彼女の今までとこれからの人生を語ってくれる。
そこに「今何ができる」とか「これが得意」っていうのはオプション
として乗っかってはくるけど、あくまでも自分が描く、もうたまらなく
面白い人生のストーリーがあってはじめてその人の人間としての
魅力が人びとに伝わるんだろうなと。



今の今までリサーチプロポーザルのさらなる要約とリザルトのサマリー
を考えながら、「やっぱストーリーだよな」と思い至ると同時に、
こんなことを考える。


コンセプト、ストーリー、クリティカルマインドをくすぐる親和性、
幅広い包含性、でも豊富なケーススタディのカバレッジ、アカデミック
から発信してプラクティカルに応用されてまたアカデミックに回帰
するような、そんなコンセプトが利いたサマライズペーパー。
作りたい!!!、という熱源があるんだけどどうしたらいいかわからん。
学問が足りない、というケーススタディです・・・。


そもそも僕のストーリーってどんなだったっけか・・・。

コメント

このブログの人気の投稿

桜と物語

読書記録 当たり前が当たり前でなくなること

ラッキーに感謝