リアル「ランボー怒りのアフガン」戦士はナイスガイだった話

 目抜き通りの大手スポーツ用品店でプレッシャーボールを買ったら、缶が開いていてノンプレッシャーだった。一事が万事そんな国ですよ、イスラエルは。

クルマを持っていないので、ちょっと離れたテニスコートまでタクシーで行こうとしていたところ、アプリでたまたま呼んだタクシーの運転手がやけにフレンドリー。東欧訛りの英語を話しますが、イスラエル人の英語もどっちかというとそっち寄りなので、最初は正直あまり関心もなく「ふーん」と聞いていました(そもそもヘブライ語がイディッシュみたいな感じ)。

曰く、ちょっと前までモントリオールにいて日本人の友達がいた、その前はLAでドライバーだった、もともとはアルメニア出身でね、と。

ほうほう。アルメニアですか。そういえばこの前ちょっと揉めてましたね、隣の国と。と話を向けたところ運ちゃんトークがスパーク(そこに食いつく人あんまりいないと思われ)。私は故郷で18歳で徴兵されてカザフスタンに派遣されたんだよね、ちょうどそのころソ連がアフガニスタンで戦争をしていたから。

なんですと?あなたアフガンに行ってたの??まだアルメニアがソ連のころ???しかもソ連兵として????こちらも俄然スパーク。目の前にソ連の軍隊にいて、あわやアフガンに行かされそうになっていた人がいるなんて。

いや、アフガンには行っていない、行く手前でちょうど戦争が終わったんだ。その後しばらくしてからイスラエルに移民してきた。で、当然イスラエル国防軍にも入る必要があるのよね。だから私は2回、しかも異なる国で軍隊に行っているんだよね。

おお、そ、そうですか。。なんとも波乱にとんだ人生ですね。でも戦地に行かなくてよかったのはラッキーでしたね。私など、しばらくの海外生活以外はなんとも無風な日本でのほほんとやってきましたのでね(汗)。幸か不幸か一家で戦争に行ったことがあるのは100歳超えた爺さんだけなのよ…。

まぁ、考えようによってはエキサイティングな人生かな…。でもラッキーとは思えないんだよね。知っている人がたくさん先に行ってしまったからね。自分だけ帰ってきたという思いはあるのよね…。

そうこうしているうちに河川敷のテニスコートに到着。24/7でタクシーやってるからいつでも電話ちょうだい!と風のように去っていったマラトさん。別にその後営業の電話がかかってくるわけでもなく。なのでまた仕事を頼んでしまった。日本ではもう歴史の教科書に載ってるんじゃないかという感じのアフガン侵攻を生きた人がふつうにタクシー運転しているんですよね。しかもまわりまわってイスラエルでというところがなんとも人の生き様を感じさせるわけです。

そんなマラトさん、フィルムメーカーとしての顔も持っているらしく、youtubeも見てね♪と言われましたのでみなさんにもおすそ分け。プロっぽい映像では決してないんだけど、なんとも人を見つめる目線がやさしい。なんだろうなぁ。やさしいんですよね、だからこそ。

日頃、あああ!もう!!ということも多い(そこらへんの)イスラエル人に荒む心がちょっと潤う一コマでした(仕事で出会うイスラエル人は概ねDecentなんだけどねぇ)。

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