留め置かまし大和魂



頭が痛くなる山積みの本たちと格闘する合間に、少し心を休めたり切り替えたりするための文庫を数冊買いました。そのうちの一冊。吉田松陰については幕末マニアの朋友たちと飲むたびに激論になる中で気になる人物のひとり。






身はたとひ 武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし大和魂

彼が亡くなる前日に書いた松下村塾の門下生に宛てた遺書「留魂録」の冒頭にある句です。
『人の人生とは時間的な長さに関わらず、変わらず四季があるように意味深いものだ。長く生きて世に報いる人もいれば早く死んで後に周囲に影響を残す人もいる。人の生き死にとは、それだけのものだ。」という松陰の死生観がよく顕れているそうです。

でも、どちらかというと「永訣書」という家族に宛てた遺書の中にある次の句の方が、若干30歳、「同級生」の青年らしくて、無性に心に沁みるのです。と同時に、同じ30歳として俺はなにが出来ているんだろう、と忸怩たる思いになるわけです。


親思ふ 心にまさる親ごころ けふの音づれなんときくらん


自らの死を目の前にして超越した死生観を示した松陰と、自らの死を知らされる親の気持ちは如何ばかりか、と悲痛なほどの想いを抱く松陰が同じ一人の人間であることに、とても強い感銘を受けるのです。
別に同じ吉田姓だからってわけじゃないけれど、他にも人間味があって熱くて、時にアホじゃないかと思うくらい突っ走って星になった志士は大勢いるんだけど、でもこの人はなんだかインテリジェンスのかたまりだったくせに、、、、と気になる人なのです。



よく、幕末は傑物が多く出た時代、といわれます。松陰然り、橋本佐内、河井継之助、もちろん明治に入っても活躍する人たちが大勢いるわけです。で、それに比べると今の時代は・・・と論調は続くのですが、果たしてそうだろうか、と思ったりします。

維新の時代は、「幕藩体制」の小国に分かれていた日本をひとつの新しい体制に統合していく過程の中、新しい日本という「ひとつの価値観」を追求する中でクローズアップされそれを成し遂げた人物がいま「偉人」とみなされているのだと思います。翻って現代社会は、いちどひとつの新しい体制になった日本が戦争と戦後の復興を経て、少しずつまた「多様化」「細分化」しつつある時代なのかなと思います。これは価値観の多様化ともいえるし、地方分権化の圧力(必要性を問う圧力)ともとれるし、はたまた「国際化」「グローバリゼーション」のコンテクストでも語れるものだと思います。つまり人物がクローズアップされる焦点が「多様化」しているので、見るべき範囲が広すぎて、人物が見当たらないように錯覚しているのかもしれない、ということです。

それぞれの価値観の中に、それぞれのコミュニティの中に、そこかしこのソサエティの中に、「人物」が現れているのかもしれません。僕たちはその変化にもっと気がつくべきだし、あわよくばその存在に近づく努力を惜しんではいけないのでしょう。



我が家からそう遠くない世田谷区の若林というところに松陰神社があるのですが、ここは江戸で処刑された吉田松陰の亡骸を祀っている社で、出生の地である山口は萩にある同名の神社には、遺言によって愛用の硯と書が収められている・・・なーんて聞くと、とっても山口まで行きたくなります。

吉田松陰。やはりつくづく気になる人です。

願えば叶うというのなら是非話をしてみたい人、ということ。

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