最近の読書から

第二次大戦中にフィリピン戦線に従軍し、「俘虜記」「野火」「レイテ戦記」といった戦記モノで有名な大岡昇平。彼が書いた「ながい旅」という本を最近読みました。戦中に名古屋を中心に本土防衛の軍備と軍需生産を統括していた陸軍中将が、戦後、米軍の降下搭乗員(空襲爆撃機に搭乗していて、撃墜されたりしてパラシュート降下した米軍将兵のこと)に対する処遇を巡って裁かれるB級戦犯裁判を描いたドキュメントです。映画化もされていてそれなりに有名な話なのですが、改めてきちんと読む機会になりました。これも川崎和男さんのブログで紹介されていたおかげです。映画については、主演が藤田まことだったので「なんかイメージが違うなぁ」とそれっきりだった、という話もあるけど・・・。岡田中将、男前です。

http://www.ouzak.co.jp/blog/?p=3543



川崎さんも提起されている「東京裁判とはなんだったのだろうか」という問いかけから、私は改めて「戦争犯罪」とはなんだろうか、と考えはじめました。


今の仕事についてからちょうど一年くらい経ったころに、転職してはじめて海外出張に行くことになりました。行き先はアフリカ。南アとナイジェリアで20日弱くらい、半分修行のようでしたが、このアフリカとの邂逅はとてもとても強烈で、以来しばらく狂ったように「アフリカ熱」に浮かされていたことがありました。在京のアフリカ各国大使が集まるパーティーに顔を出したりもしていました。アフリカと一口に言ってもサブサハラ(サハラ以南のアフリカ)だけでも48の国があり、在京の大使といってもケニアや南ア、ナイジェリアといった「大国」から、ウガンダやルワンダ、エリトリアといった「小国」の大使まで、一堂に会していると実に様々な「人間模様」なわけです。

そんな「大使連中」の中にエミール・ルワマシラボ大使がいました。彼はルワンダの全権大使であり、元々の職業はお医者さん。大学の先生でもあったそうです。94年の虐殺を遠くパリからみて、ルワンダ復興を担うポール・カガメ大統領に請われて大使になった方でした。金銭に清廉で、教育家らしい高潔な人物。日本では虐殺のイメージしかないルワンダを、英国で飛ぶように売れているコーヒー豆の産地であるとか、シルバーバックというとても貴重なゴリラが住む国であるとか、懸命にPRする姿を仲間と一緒に微力ながら応援しました。

2006年に、カガメ大統領が来日し記念講演を行ったことがありました。会場は青山の国連大学大ホールだったと思います。折から日本では2004年に制作された映画「ホテル・ルワンダ」の公開が紆余曲折の末実現したこともあり、「ルワンダ=虐殺」のイメージで(一部の)社会的なブームでした。この講演では、映画の主人公のモデルであるポール・ルセサバギナ氏本人を招聘したシンポジウムと併催されたので、さらに会場の混雑ぶりに拍車が掛かったことを覚えています。
大統領の講演が終盤に差し掛かったとき、会場から若い黒人男性が突然ヤジを飛ばしました。

「自分はルワンダの隣国ブルンジの学生だ。ルワンダ(の政府)がコンゴ東部や我々の国でやっていることを世界が知ったら誰もルワンダの虐殺に同情はしない。」

これに対して大統領は(国家元首らしくもなく)気色ばり、声を荒げてこの若者の発言をやっきになって否定し、会場の日本人に対してルワンダの悲劇を強調して講演を終え、降壇してしまいました。大勢の聴衆がどう思ったかはいざ知らず、私は金槌で頭を殴られたかのような衝撃を受けました。情勢が安定的とは言えない地域の一国を代表するしかるべき人物の講演ともなれば、反対勢力を標榜する人たちからこの手のヤジが出ることくらいあっても当然と、今でこそ思えるわけですが、そこは若気の至り、それまでまんまと「ワンサイドテラー」に、どっぷりつかっていた!とちょっと極端に考えてしまったのです。

私はそれまでルワマシラボ大使の人格や「ホテル・ルワンダ」で見たルワンダの悲劇(それ自体は事実なのでなんとも揺るぎないモノだと思うのですが)に心を引っ張られて、一体この地域でこれまでどんな歴史が営まれてきて、いま人びとはどんな状況にあって、という勉強が圧倒的に不足していたために、「悲劇を語るワンサイドテラー」に見事に引き込まれていたと考えたわけです。そこで改めてルワンダ一国ではなく周辺国や旧宗主国も含めた関連を調べる作業を行った結果、それを通じてルワンダの虐殺に関わる「戦争犯罪」を捉えることの難しさ、加害者と被害者が裁判を通じて向き合うこと、人が人を裁くことの難しさを深く感じたことを今回「ながい旅」を読んだことをきっかけにして改めて思い出しました。東京裁判を検証する中でも、裁く者と裁かれる者の双方の立場が極めて複雑であり、敗戦国日本の人びとが行ったことが「戦争犯罪」と一方的に断罪されたことについて疑義が呈されてきたことと同様に、ルワンダの例ひとつを取ってみても彼らはある局面では被害者であり、また別の局面では加害者である、という事実があります。また「犯罪」と断する根拠としての法律をどう捉えるのか、なにをよりどころにするのか、という問題もあるでしょう。ICTR(ルワンダ国際刑事裁判所)は国連安保理決議を元に発足した国際機関として虐殺に関与した人びとを裁きましたが、実行者全ての案件について取り扱うことは到底出来ず、主立った人物に関する案件に限られています。無数の実行者たちへの裁きは「ガチャチャ」と呼ばれる「草の根裁判」に委ねられましたが、人を法律で裁く法廷とはほど遠いものであり欠陥があったことにも、この問題の難しさが表れています。但しこのような複雑な関係の中でもひとつ言えるとすれば、それはいつも暴力に苦しんでいるのは経済的に貧しい人びとであったり、力の弱い女性やお年寄り、子どもであるということかもしれません。

この過程では、職場の大先輩である武内進一さんの研究に触れることがとても大きな影響を私に与えたと思います。また先に述べたはじめてのアフリカ出張でお世話になった同じく職場の大先輩で武内さんと並んで日本のアフリカ研究の第一人者である平野克己さんや毎日新聞の白戸圭一さんの最近の著書にも深く考えさせられています。


平野さんのお勧め著書

アフリカ問題-開発と援助の世界史(2009年 日本評論社)
http://www.amazon.co.jp/%E3%82%A2%E3%83%95%E3%83%AA%E3%82%AB%E5%95%8F%E9%A1%8C%E2%80%95%E9%96%8B%E7%99%BA%E3%81%A8%E6%8F%B4%E5%8A%A9%E3%81%AE%E4%B8%96%E7%95%8C%E5%8F%B2-%E5%B9%B3%E9%87%8E-%E5%85%8B%E5%B7%B1/dp/4535555052

武内さんのお薦め著書
現代アフリカの紛争と国家(2009年 明石書店)
http://www.amazon.co.jp/%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E3%82%A2%E3%83%95%E3%83%AA%E3%82%AB%E3%81%AE%E7%B4%9B%E4%BA%89%E3%81%A8%E5%9B%BD%E5%AE%B6-%E6%AD%A6%E5%86%85-%E9%80%B2%E4%B8%80/dp/4750329266/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1261480851&sr=1-1

白戸さんのお勧め著書
ルポ 資源大陸アフリカ-暴力が結ぶ貧困と繁栄(2009年 東洋経済新報社)
http://www.amazon.co.jp/%E3%83%AB%E3%83%9D%E8%B3%87%E6%BA%90%E5%A4%A7%E9%99%B8%E3%82%A2%E3%83%95%E3%83%AA%E3%82%AB%E2%80%95%E6%9A%B4%E5%8A%9B%E3%81%8C%E7%B5%90%E3%81%B6%E8%B2%A7%E5%9B%B0%E3%81%A8%E7%B9%81%E6%A0%84-%E7%99%BD%E6%88%B8-%E5%9C%AD%E4%B8%80/dp/4492211829/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1261480759&sr=1-1

社内における「アフリカ族」の印象が薄くなってきたこの頃。駐在の可能性も低いでしょうが、あの頃夢中になったアフリカは、依然私にとって強烈な場所なのだと、これらの書物を読みながら改めて思っています。

コメント

  1. 44Dさんの読書家ぶりにはいつも感心しています。
    一つのきっかけから、世界が広がるよね。
    アフリカ…私もそのうち見てみます。

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  2. コメントがついていたのをまったく気がつかずに申し訳ありませんでした。いまだにITを使いこなせていません。。。

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