八ツ場ダムの是非

八ツ場ダムが揺れています。

57年も前からのダム計画に翻弄されてきた地元と、自民党政治からの決別、一度決めた公共事業は「無駄」でもやってしまう体質からの決別の象徴にしたい民主党政権の対決軸が連日報道されています。

「変革と刷新を目指す新生与党」と「国に翻弄されたかわいそうな地元」の構図はとてもわかりやすくていいのですが、その一面だけを報じて「さてさてどうなることか・・・!」と高みの見物を決め込む報道番組が一番変わっていないんじゃないかとイライラします。

民主党はマニフェストに「八ツ場ダムは中止」と書いているから中止すると言いますが、確かにマニフェストには書いてあるけれど、「中止」と書いてあるだけで、ではなぜ中止なのか、建設を続けた場合と止めた場合のコストベネフィットはどうなっているのかといった話には触れていません。大臣が地元に言って理由をいくつか説明したそうですが、ダムの問題は築かれる地元のみならず治水や利水の関係から下流域の自治体も大きく関わる問題であるはずです。利害関係者になりそうな埼玉県や東京都は、今のところ「国と群馬の問題」として静観しているのだと思いますが、この手の話を「地元」に押し付けてタフネゴシエーションの先鋒をやらせ続けるのもいかがなものかと。この先民主党は折れない(折れることが出来ない)でしょうから、そうなると「群馬の問題」として知事や町長といった首長が建設中止に反対する地元住民を、国を背負って説得し始めるマイナススパイラル交渉のような構図になれば、とてもつらいことだと思います。実弾も飛ぶでしょうし、それではなにも変わらないのに。

57年の間、大規模公共事業をやりたい国とダイレクトな恩恵を受けたい地元に加えて、下流域の自治体にしても「水がめ」のオプションを増やしたいという視線を持っていたであろうことは想像に難くありません。

「このダムをこのまま作り続けること」と「この段階で中止すること」の是非に関する情報を、徹底的にオープンにして、「国と群馬」の問題と矮小化せずに議論をすべきだと思います。そして民主党政権の政策変更の象徴であるこの問題についての対処を有権者がどう判断するか。「政治を国民に取り戻す」のであれば、重要なことです。

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