寄らば大樹の陰


寄らば大樹の陰、という言葉がある。お陰様で、というのも同じで、元々は巨木に対する霊性信仰あるいは夏の強い日差しや冬の冷たい北風を遮ってくれる樹木への尊厳から発生している。北の国の和尚さんに教えて頂いた。転じて人間と人間の関係性を表す比喩表現として現代では理解されているが、古来人間は巨木に畏敬の念を抱き、自然を怖がって生きてきたことの名残りがここにある。大樹の陰に寄るのはなにもかっこ悪いことではなかったのだ。

人間は自然に勝ってはいけない。

ある方の師の言葉。

半分腑に落ちて、半分考えが巡り続ける。
人間は自然をできる限り理解しようとした。もっといえば巨大で繊細でなんともつかみどころがないけれど自分の命はまさにそこに担保されている自然になんとか親しくなって欲しかった。彼女となんとかお近づきになりたいとする手段が科学だった。その心には計り知れない自然のメカニズムを前にしたわからないことへの畏れがあった。

人間は科学の力で自然に勝てるのか

そもそも問いの立て方が間違っているかもしれない。

いつのころか人間が自然に勝とうと考え始めたのは、自然の時間の流れに必ずしも沿わない形の時間軸で語られる守るべきものを持ってしまったから。被服、家、備蓄した食糧、装飾といったモノから、家族、社会、そして制度、秩序。突き詰めると、人それぞれの快適。その最大公約数がいま私たちが守るべきものとして認識しているなにか。

さて、守るべきものを持つ人間は自然とどう向き合うか、但し勝つというオプションは抜きで。 

こんなクラスがあったら最高に学校は楽しい。

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