一家言ということについて


「一家言」という言葉がある。

その語義は、辞典に依れば「(1)その人独特の主張や論説。 (2)一つの見識をもった意見。「教育については―をもっている」」とある。
しかし古くは司馬遷の史記(列伝)に遡る。古今の文書・歴史の編纂に務めた職である太史公は親から子へと代々継がれた。ある代の太史公が、自らの人生を振り返り「太史公の務めをおおまかにまとめるとするならば、多くの先達、賢者が遺した言葉や文書を集め、様々な知見をまとめて後世に伝え遺すことこそが、私の父祖から引き継いできた家業の成り立ちであった」としたことに依る。(序略、以て遺を拾ひ芸を補ひ、一家の言と成す)

昭和の文学者坂口安吾は、「一家言を排す」とした論文で、これを退けようとする自らの主張を以下のように述べている。

「私は一家言といふものを好まない。元来一家言は論理性の欠如をその特質とする。即ち人柄とか社会的地位の優位を利用して正当な論理を圧倒し、これを逆にしていへば人柄や地位の優位に論理の役目を果させるのである。<中略>我々の理知的努力と訓練により、また人間性の深部に誠実な省察を行ふことにより、早晩我々の世界からかゝる動物的な非論理性を抹殺し、肉体的な論理によつて正当な論理を瞞着し圧倒することの内容の空虚を正確に認識しなければ、人間の真実の知的発展は行はれ得ない。<後略>」

慮るに、知識や見識を振りかざし、「人格者」「知識人」とする自覚に驕り、己の非論理的な知見の特殊性をむしろ是として論理的あるいは普遍性を追求する見識を駆逐するような人間の増長が、坂口安吾をしてこのように考えさせたのか。

時代は下り、先日南昌荘に集った人々にはみな「一家言」があった。「そのこと」については一言も二言も、語り出したら止まらない人々ばかりであった。

ある紳士が述懐した。
「この歳まで己の人生を生きてきて、試行錯誤を繰り返してきて、ようやくかくあるべしとする視座が定まったと思う人は私ばかりではないと思う。そういうことを後の世に生きる人に伝えたい、遺したいと思う気持ちがある。」

漢の時代の先人に通じる思考と覚悟を以て、岩手の、盛岡の、田野畑の叡智を繋いでいきたいとする意志が確かに南昌荘に集った。他方で坂口安吾が批判したように、個々の経験や知恵が、ややもすると独善的、高圧的に受け取られることの懸念がなくなったわけではない。

多くの個人の知恵と経験を集め、まとめ、伝え、遺していく現代の太史公が担う役割は、極めて大きい。

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