口の中に小鳥を飼っている人たちの話

この物件に越してきて2ヶ月余り、以来ずっと妙なにおいが充満していたセカンドベッドルームについて、いよいよ家主のスティーブとも相談して調査が入った。

本来であればこの部屋は僕のスタディルームとして使用される予定であったが、窓と扉を閉め切ると「かびのような」それでいて「化学薬品のような」においが充満してしまい、とても室内に留まることができない。窓と扉を開放してしばらく、ものの10分もするとにおいは拡散してそれほどの不快感はなくなるのであるが、これから冬場に向かう季節柄、窓を開けっ放しで勉強をするというのは極めて非現実的である。そこで、調査が入った。

一度下見に来たいつもネクタイに黒いセーターを着ているおじさん(以下、ネクタイ+セーター氏)に加えて、ネルシャツにダウンベストのいかにも職人という風体のひょろりとした痩身長躯のおやじさんが現れた。グレーヘアの散切り頭の下にマイナス仰角に出っ張る額はまるでクリフハンガーのようである。

フリークライマーが必死に取り付いてぶら下がる180度の崖下のように深く窪んだ眼窩奥にぎょろりと光る両の眼。出っ張った額のその高さから垂直に降下して獲物を狙う鷲鼻とその下にぶら下がるクライマー出っ歯。いかにもハリーポッターの魔法学校の先生にいそうな、そんな風貌である。その顔が思いのほか高い声でゲラゲラと笑いながら70%くらい分からないジョークをかましつつ床板をベリベリとはがしたり、壁を叩いたり、やりたい放題である。

彼はジムと呼ばれている。ジムは、ハンマーの使い方を見た感じではほぼ9割の確率で自己流と思われる職人技で、しかしながら的確にあらゆるにおいの元の可能性をつぶしていくのである。おおよそ30分の調査の末、ネクタイ+セーター氏とジムの共通見解が発表された。いわく、給湯と暖房を司るガスボイラーの燃焼排気が一旦室外に出た後になんらかの経路を伝って室内に還流しているにおいなのではないか、ということである。ジムは、燃焼排気が、認識されているにおいと良く似たものであるという。家主のスティーブにボイラーの年齢を尋ねたところ、「最低でも」20年選手であるという。即座に選手交代(現役は引退)が決定された。

ジョークをかましつつも作業が思いのほか長く掛かったのであろう、ネクタイ+セーター氏もジムも閑話休題、といって話すべき本題などどこにもないのであるが、天使が通り過ぎる瞬間がいくつか出てくるようになる。つまり数秒の静寂の中に、ただ槌の音だけが響く、というあの光景である。しかしネクタイ+セーター氏は沈黙に耐えられない。口の中に飼っている小鳥が、一刻の沈黙もまかりならん、一秒でも多くしゃべらせろと主人をせっつくのである。

一説によるとイギリス人はみな口の中に小鳥を飼っていると言われている。たまに小鳥なんて控えめな感じじゃなくて、むしろコンドルとかラーミアを飼っているんじゃないか、というレベルのお方もいらっしゃる。いずれにしてもネクタイ+セーター氏は、たまりかねたように僕に向かって

「君は、その、あの、なんだ。日本人かね。」(え、その話題、いまさらですか?)
「えぇそうです。山の上の大学で勉強しに来ました。」
「そうか、そうか、あの、その、なんだ、あれは決まってよかったね。あの、オリンピック。」(え、オリンピックなんて関心あるんですか?)
「あ、ありがとうございます。まあ7年後ですけどね。」
「その、なんだ、えー、あのなんというのかな、そうそう時差。何時間だい?」(もうテレビ観戦の準備ですか??)
「はい、いまは夏時間ですから8時間ですが普通は9時間ですね。オリンピックはおそらく6月くらいでしょうから、そのときはやはり8時間かな。」
「そうか。そしたら、明け方か?」(え?なにが?)
「あぁ、テレビ観戦ですか。そうですねぇ、午前中の競技だとそうなっちゃうかもしれませんね。でもおそらくサッカーは夕方から夜でしょうから、こっちではお昼過ぎくらいなんじゃないですかね。」(この問いかけには無反応)
「去年は、イングランドだったからな」(あれ?その発言、もう少し前のタイミングじゃないか?これ、英語の試験で並べ替えの問題があったらNGアンサーだぞ??)

ジムはずっとこの会話を黙って、いや例の甲高い声でゲラゲラ笑いながら聞いていた。

帰り際、ぽつりと

「実は息子がこちらのパナソニックで働いている。この辺を巡回してメンテナンスの仕事をしているよ。君のうちにもパナソニック製品ある?」

とのたまう。あやうく「あ、レッツノート持ってます」と言いそうになって、でも会社の備品であることを思い出して危うく笑顔で首を横に振る。修理に来られてもちょっと困るととっさに思ってしまった。別にそんなことどうでもいいのにね。僕はまだまだ心が硬い。

ネクタイ+セーター氏もジムも、なんだかんだ会話をしてコミュニケーションをしようという意思がとても伝わってきて、ジョークはやはり7割分からないのだけれど、その優しさに心が温かくなる。心優しい小鳥がおじさんたちの口いっぱいに翼を広げているのである。

通りすがりの知り合い同士、バス停で隣り合った知らない人同士、スーパーでレジのおばちゃんと顔見知りの買い物客、といった具合で、そこかしこでこの何気ない会話が繰り広げられている。よく、エレベーターの中で知らない人と数秒間の立ち話をするかどうかという話題が日本でもあると思うが、この国では、いや他は良く知らないけれど、少なくともこの街では、すれ違いざまに、そのまますれ違わずに下手をしたら5分、10分立ち話が始まっていることが良くある。男の人同士が多いように思われる。いいおじさん二人が、特にお茶を飲むわけでもなく、エールを一杯しばくでもなく、横断歩道の手前で気がついたら5分、10分しゃべくりまくっている。それをずっと遠めで眺めている自分もえらく閑人であるけれどね。あるいはバス停で、おそらくよく知らない相手との立ち話に夢中になり、自分の乗るべきバスを乗り過ごした人を一度ならず目撃している。人と人の心の距離が近いのだろうか。

この感覚は、しかしながらおそらくとても大事なことで、きっと僕達の親世代が子供であった時代、下手をしたら僕達が子供だった時代には、日本の街角でも井戸端会議が盛んであっただろう。あの風情が、いまもここにはある。そう、僕の目下の憧れは、この立ち話をすっとできるようになることなのである。信号待ちで隣に立っているおばあちゃんと、天気の話をする。まずはこれだな。いやいや、なにか恐ろしいものを見るような目でじっと見つめられてしまうかもしれない。実はいつも通りすがる子供達にまん丸の目を見開いてエイリアンを見つめるかのような視線で凝視されてしまう。そんな自分を、なるべく早く自然と彼の紅顔を吹き抜けていく空気のような存在にしたい。いや、まぁ実は意外とエイリアンも気に入っているのだけれど。

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