チャリティフットボール

先週から毎週木曜日の昼間はAlbionのチャリティーフットボールに参加している。地元のプロサッカーチームBrighton and Hove AlbionのコーチであるChrisがチームのコミュニティ活動(Albion in the community)として展開しているもので、失業中であったりメンタルヘルスに課題を抱えたりしている若者にフットボールを通じて楽しみを持ってもらおうとする取り組みである。


コトの始まりは昨年の11月頃だった。フットボールができる環境を探してインターネットサーフィンをしていたら、偶然家の近所の公園で水曜日のお昼に集まっているフレンドリーのサークルが目に付いた。さっそくMeet upという当地のこうした市民活動やサークル活動に使われているSNSから連絡を取ると主催者のChrisから「来て差し支えない」という返事があった。

それからほぼ毎週、春学期は水曜に講義が入ってしまったので数週間ご無沙汰したが、水曜日のHove parkで大学と家庭との往復では知り合えない地域のおじさんたちと一緒にボールを蹴ることは楽しかった。言葉は三割くらいしか分からないけれど、フットボールのルールは同じで、いいプレイをすれば褒め合い、ゴールを決めればハイタッチをする。どんな人でも受け容れられる。人種、年齢、立場は一切関係ない。僕(アジア人、みんなよりちょっと若い、学生、英語はあまりしゃべれない)が良い証明だ。スポーツの持つ力の大きさを実感していた。


3月に入り、Chrisが新しい提案をメンバー宛のSMSに送ってきた。それが冒頭に書いたチャリティーフットボールの企画への参加を求める内容だった。どうやら秋からHove parkに人を集めてプレイしていたのは、この企画に賛同してサポートしてくれる地域のオトナを発掘するためのデモだったのではないかと気が付いたのはこのときである。前々から大学の外に広がるブライトンの一般社会、それもなにがしかのサポートを必要としているところに自分が少しでも貢献することで地域に入っていくきっかけを探していた僕は、矢も盾もなくこの提案に飛びついた。僕が時間に融通の効く学生であることを彼が知っているからかもしれないが、そんな話を前に少しだけChrisにしていたからか、おそらく積極的に関わる気のある人間だと判断されたのだと思う。


そんなこんなで先週、今週と2回、場所をPreston parkに移してチャリティーフットボールは開催されている。一人、また一人と集まってくる青年達は、なるほど目を合わせるのが苦手でおとなしくてみんなからはじかれてしまう子、よくしゃべるし明るいけれど自分に不都合なプレイがあると靴紐を結ぶフリをしてしばらくしゃがみこんでしまう子、集中力が続かず、途中で切れてしまう子などなど、難しい生き方をしてきた姿がピッチの上でも垣間見える。

どの子がどういう関わりあいを得意とし、どういう状況を苦手とするのかを一連の行動の中からなるべく早く把握して無駄に彼らを苛立たせたり不快にさせたりしない能力は、幼少時代からの両親の仕事の手伝いで自然と身についているが、まさかこういうところで役に立つとは。しかしながら一回目の先週はどの青年とも初めての出会いだったので、ひとりひとりのキャラクターを把握しながら走ってボールを蹴って英語で意思疎通する(フットボールを英語でするのは、意外と難しいという話は以前どこかでしたかもしれない)という離れ業をしていたおかげでプレイそのものを楽しむ余裕はなかった。


ところが二回目の今週はメンバーの様子が把握できていたことに加えて、ひとりの強力な助っ人が我がチームにいてくれたおかげで、フットボールをみんなで楽しむ、ということにものすごく大きく前進したように思う。

彼はCraigといって、年齢的には青年達のお兄さんくらいだろう。おそらく学生時代には選手だったと思しき洗練された動きと、後方から的確に指示を出すキャプテンシーとを持ち合わせたナイスガイであった。このCraigの「声」が中盤以降体力が落ちてくるとイライラや集中力の低下が著しくなり、「ただの青年」に戻っていってしまいがちな若者達をまた「フットボールプレーヤー」に引き戻し、顔を上げさせ、フェアにプレイを続けさせる力を持っていると気が付いたのは後半20分頃のことだった。

日本で外国人チームとプレイしていたときは、大きな声で互いを励まし合い、勝利に向かって叫び続けるこの習慣をとても耳障りに思っていたのだが、いざ味方になってみるとこれほど心強く、消耗してきたときに力を与えてくれるものもないと感じる。相手の怒鳴りあう声が耳障りだと感じていたのはひょっとすると、その「声」を脅威に、自分の心をくじくものと捉えていたからなのかもしれない(そういう意味でも「声」には効果がある)。

体力が失われていく中、それでも心を強く持って最後までフェアに戦うことはとてもしんどい。ひとりきりではきっとできない。だからこそ11人(昨日は7人だったけれど)が少しずつ勇気と力を出し合い、それを互いの声に乗せてチーム全体にいきわたらせていく。試合が終わった後、チームで一番アップダウン(メンタルとパフォーマンス両方)のあるメンバーがこう言った。

「今日の俺たちはなんだか本当のチームみたいだったぜ!ありがとうみんな!!」

僕としては多くをCraigの存在と彼の「声」に支えられてのチームビルディングだったと感じていたけれど、そのアップダウンの激しい彼も実は「チーム」についてすごく考えていたんだということを思い知ってかなり申し訳なく不明を恥じる気持ちになるとともに、そんな人々の中に加わっていられることはとても幸せなことだと思った。

コメント

このブログの人気の投稿

桜と物語

読書記録 当たり前が当たり前でなくなること

ラッキーに感謝