故地について想うこと

先日、何年越しかで、父方の祖先が生きた二本松の鈴石(すずいし)というところを訪ねた。前から二本松がかつての田舎だということは知っていたけれど、実際に行ってみようという気になるわけではなかった。けれども、震災後に桜onプロジェクトで東北に関わるようになり、行く度に通過する福島の、安達太良山の風景を眺めているうちに、いつか二本松に行ってみたいという気持ちが強くなった。住んだことも、訪れたこともない二本松の、安達太良山の風景が心にしみたから、僕も自分の中にある東北のDNAを感じたのかと言えば格好が良く聞こえるけれど、実のところその間に十分に歳をとったということなんだろうと思う。実際に行ってみたら、とにかくたくさんの感情があふれてきて、とても一度には受け止めきれなかったのだけれど、いまの気持ちを記しておくべきだと思って、まとまりのない文章を書くことにした。申し訳ないけれど長くなるので、何回かに分けて書こうと思う。

父方の祖父は鈴木四郎といって、東京の深川(いまは清澄白河というと分かりやすい)で時計屋を営んでいた。最近でこそ小洒落たカフェだの雑貨屋だのが跋扈しているが、ほんの少し前までは銭湯に鼻水たらして通った下町情緒もはなはだしいところだった。そんな私が子どもの頃は、まだ祖父は健在で、自宅の1階に構えた店には所狭しと大小の時計が並んでいたことを思い出す。歌にある「大きな古時計」は、別に時計屋のおじいさんではなく、単にふつうのおじいさんの古時計が主題なのだが、妙にあの歌を聴くと、感傷的に祖父を思い出したものである。逆に言えば、祖父の思い出は時計以外にはさほどなく、祖父の家に行く途中にいつも眺めた隅田川の記憶のほうがむしろ強いくらいである。

四郎さんは、謎の人だった。少し大きくなって物心がついてくると、母方の祖父である吉田茂がさかんに昔話をしてくれるようになったのとは対照的に。茂さんは、親戚中の誰も聞こうとしない彼の昔話を、僕が面白がって聞くので、喜んで話してくれた(いまもそれは変わらない)。なぜかはいまだに良く分からないけれど、祖父の話は僕にとっては面白かった。大河ロマンのかけらもないリアリティしかない庶民の歴史なんだけれど、目の前の人が何十年も生きてきた軌跡、その前の人がこれまた何十年・・・とそれだけで都合200年くらいのタイムスリップをしている感じが、なんともエキサイティングだったのかもしれない。人が生きた軌跡そのものがロマンなんだというか、そうしたひとりひとりの人生が折り重なって大河ロマンなんだ、というか。富岡製糸場のはす向かいにあった生家のこと。自分の家系のこと。高等小学校を出て講談社に丁稚に行ったこと。二二六の当日の朝を体験したこと。ヒットラーユーゲントを迎えたこと。そこから出征したこと・・・。茂さんは僕に、自分のルーツを考えることのおもしろさを植えつけてくれた。だから何万字もの手書きの自伝を全部タイプして渡した。「あの字は間違ってるよ」とコンピューターに入っていない旧字体を指摘されながら。

それにひきかえ、四郎さんは謎だった。なにせ僕が9歳のときに亡くなっているから、本人から直接話を聞いた記憶がない。父の記憶も怪しい。というより、四郎さんは父にもあまり多くを語らない人だったようだ。母は、実は意外と父よりも鈴木家の話を聞いていた。しかしそれは四郎さんからではなく、四郎さんの妻(僕の祖母)から聞いた話が主だったようで、やはり四郎さん自身は、自分について多くを語っていなかった。そういう意味では、今回の二本松訪問は、長い歴史があるといわれている祖先の故地を巡る旅であると同時に、というかそれ以上に、四郎さんという人のことを知りたい、という父と僕の旅(に母と妻を付き合わせる)だったような気がする。

続きます。







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