Unwilling Trade

ここ数週間、国際貿易におけるグローバルバリューチェーン(企業と企業が国境を超えて分業体制を構築し、互いに機能的につながっていく連関を表したものと私は理解)が特に開発途上国の企業をどのように成長させるのか、ということをいくつかの視点から調べてみようと思い立ち、計画書を作っている。


先行研究を読んでいて、ふと考えた。
いや、実は今朝神谷町の駅を下りて、城山ヒルズの森を歩いているときに思いついた。

「望まれない貿易(Unwilling Trade)」ってあるんだろうか。

学問の世界では貿易は、基本的にみんなに「望まれている」ものとして描かれている。
小難しいことはさておき、国際貿易(や投資)を通じて、企業と企業のつながりが増えて、技術や情報の流れが大きくなればなるほど、 開発途上国の企業がイノベーションを起こせるチャンスが増える、という議論が主流で、実証されてもいる。もちろん持続可能性を考えた上で、動脈だけじゃなくて、静脈産業にもしっかりこの考え方は入っている。

他方で、現実の世界では、WTOや国際貿易を否定したり反対したりする人たちも少なからずいるけれど、彼らにしても「財の交換」自体を否定してはいないと思う。
つまりモノやサービスの財の交換を通じて補完しあってお互い厚生を高めましょう、ということは、この世の中のほとんどすべての人に「望まれている」はずである。 お互いに必要だと思うもの(ここ、大事)を、お互いが「フェア」だと信じられる形で交換するのであれば、誰も文句は言わない。どちらか一方が条件を不当だと感じたり、それすらも知らされずに騙されたりしないのであれば、それはまさに「望まれる貿易」である。

さて「望まれない貿易」ってあるんだろうか。

例えば「人身売買」はどうだろうか。あるいは「性売買」は。はたまた「ドラッグ売買」は?
ドライな言い方をすると、需要と供給があるから現実に成り立っているのだから、それも「望まれている」と言えるのではないか、という見方も出来るかもしれない。

それで、さきほど挙げたみんながagreeできる貿易の条件としての「どちらか一方が条件を不当だと感じたり、それすらも知らされずに騙されたりしない」ということと、「自分の身内や近しい人がその対象だったら」というふたつの視点を入れてみるとどうだろう。例えばあなたの奥さんや娘さんが人買いに買われてセックスビジネスに売られ、ドラッグも売りつけられるという状況を想像したら、きっとその貿易は「望まれない」。ほぼすべての人はそう考えれば「望まない」はずだ。

ではなぜ、なくならないのか。
googleでUnwilling Tradeと検索しても、このキーワードがヒットする学術研究はあまりないようだ。
おそらくHuman TrafficingとかSex BusinessとかDrug Dealingとかで検索すると山のように出てくるんだろうけど。
「望まれない貿易」がなくならないのはなぜか、という視点を少し考え続けてみよう。

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