ハイジの国あるいはバーニーズマウンテンドッグの国のこと

少し時間が空いてしまったが、先週初めてスイスという国に行くことが出来た。

これまで何度も欧州に足を運んでいながらなぜか訪れることのなかったスイス。学生時代にドイツやオーストリアを周遊していたときに、ふらりと国境を越えても良さそうなものであったスイス。ハイジの国スイス。バチカンで観たスイスガーズの故郷スイス。


往路の機内で地図を見ながら、改めてこの国が、山がちな国土の四方を強大な国々に囲まれていることに思いを馳せる。

ドイツ、フランス、イタリアの三強が北西南を押さえ、さらにかつてのハプスブルク大帝国の旗艦であったオーストリアが東側の山向こうに控えている地形は、さながら四面楚歌である。


チューリッヒの空港に降り立ち、車窓から国土を眺める。線路のすぐ間近まで迫った山肌が限られた平地を切り取って聳え立つ景色は、なるほどこれまで物の本で得た知識そのもののようではある。

四つの大国に囲まれながらスイスが独立を保ってこられたのは、ひとえにこの山ばかりの国土に誰も関心を持たなかったのだ、という説は、この景色を見ているとなるほどそうかもしれないと頷ける。

他方で中に立ち入ってみるとそこは各地域の自治が非常に強い連邦国家であり、地域によって話される言語が違う。言語が違うということの意味は、駅に滑り込む電車の車窓に見える建物の景観が街ごとに違うということであり、そこに住まう人びとのアイデンティティが異なるということであり、その違いの分だけひとつの連邦国家の中に多様性を内包しているということである。

僕はスイスの歴史にまったく明るくなかったので、いくつかの情報を参照する程度で旅に出かけたのであってその奥深いところまで見知ったとはとてもいえない。言えないのだけれど、旅先で人びとと言葉を交わしているうちに、ふと気が付いたことがひとつある。

かつてかじったドイツ語は、タクシーで行き先を告げたりレストランでウェイターと話をしたりする程度の語学力である。たまには使ってみようとドイツ語で話しかけると、彼らはドイツ語で返事をしてくる。少し込み入った話になると生半可なドイツ語はまったく役に立たないのでおのずと英語に切り替わる。そうすると彼らは英語で応対してくる。となりのテーブルはフランス人、あるいはフランス語圏から来たお客だろうか。僕とドイツ語+英語で話をしていたウェイターが今度はフランス語で接客をしている。その奥のテーブルではイタリア語で・・・

ひとりの人が何ヶ国語も話すことができるというのは欧州をはじめとした人びとが往来し交差する地域ではなんら珍しいことではない。特にスイスのような周囲を大国に囲まれたところに住まう人びとは、自分の言語をひとつもってそれを貫く、ということよりも、目の前の相手の言語に自分のそれを合わせることで、うまく立ち回るような役どころを務めてきたのではないか。そうやってあちらにもこちらにもつかず離れず『中立的な』立場を貫いてきたのではなかろうか。

この山がちな国土は確かに産業、生産という面では四方の大国には魅力的でないかもしれない。であるからその意味では国土を侵略されることはないかもしれない。しかし、ひとたびこの急峻な要衝をどこかひとつの大国が押さえてしまうと、他の国にとってはなかなか手の出しにくい厄介な存在となる。経済性、生産性という視点ではなく、そういう地政学的な観点からすればスイスは度重なる各国からの干渉や圧力を受けてきたはずである。それらをかいくぐり、かつ国内の多様性を束ねまとめてきた先に、今回の旅でふと垣間見た『相手の言語に合わせる』という柔軟性が生まれてきたのかもしれない。

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