スコットランド紀行①

初めて「スコットランド」に出会ったのは19歳の時。

働き始めたばかりの店で、当時チーフバーテンダーだったチバさんが「お前、これ飲んだことあるか?」と薦めてくれたのが、アイラ島産のラフロイグというシングルモルトウィスキーだった。シングルモルトとの電撃的な出会いは、その後の人生をけっこう大きく変えた。その翌年にロンドンへ留学した際に、学生の貧乏旅行でスコットランドへ行ってみたのがそもそもの始まり(その時の記録はコチラ)。

そんな「スコットランド」との出会いから15年。当時と比べれば時間とお金に若干の余裕を持たせた大人の旅行はしかしながら正味二日でアイラ島とキャンベルタウンにある蒸留所を片っ端から回る、ということを目的にしていた。特に一日で佐渡島ほどの大きさの島に点在する八つの蒸留所を制覇するという行程はえげつなかったが、いつか行きたいと思っていたところに行かれるということがこれほど幸せなことなのか、とかつて旅を仕事にしていた人間とは思えないほどに改めて思うのである。

初日はグラスゴー空港から車を走らせ、ターバートという港町に泊まった。西ハイランドのアーガイル地方からキンタイヤ半島へと抜ける道程にある拠点のひとつである。
タ―バートの街

翌早朝、ケナクレイグという船着場へ行く。まだあたりは真っ暗な中、車と一緒に船の腹に飲み込まれる。一日2往復のカーフェリー。風速35mを超えたら欠航。天候リスクが大きい旅程である。ちなみに前日は時化で欠航している。乗り込んだ船内はガラガラで、僕は昔のカラオケスナックによくあるような曲線のソファに転がって寝ていた。
船の切符


運転席でじっと待つ
暗闇に佇むカーフェリー











































































ポートエレン遠景



2時間後、船はポートエレンに着く。セントアンドリュークロスが舳先になびいている。ここから八つの蒸留所をどうやって回っていくか。何度も思考シミュレーションを繰り返していた。あとはただプランを実行するのみである。


まずなにはともあれラフロイグに行く。僕の世界を変えたウィスキーが作られている場所である。どうしてもここから始めたかった。


朝一番で来たので、まだオープン前。敷地の中は自由に歩ける。

青い空、群青の海、山の緑、白い壁に黒いゴシックフォントのコントラスト

ガイドツアーで入れてもらえるモルト部屋


ガイドツアーで一緒になった二人組のイングランド人のおじさん。ひとりはおそらく卒中をやったのだろう、杖をついていて言葉もたどたどしい。その人はミドルスブラで、もう一人、お友達の方はニューキャッスルからだそうだ。試飲のときになって(僕は車だったからミニチュアボトルをもらったのだけれど)ニューキャッスルのおじさんがタバコを吸いに外へ出たので、杖をついたほうのおじさんと話をした。息子さんが東京に14年も住んでいるらしい。教師をしているというからおそらく英会話の先生だろう。奥さんが日本人で息子が一人いるという。その孫息子はいま信州の松本にいるらしい。離婚したのだと。それでも二年に一回孫に会いに日本に行くという。長野の田舎に暮らす孫息子は12歳、釣りが得意なお子さん。僕の妹もアイルランドに嫁いだので、うちの両親からすると事情が似ていますね、孫が出来たらきっと父母は会いに行くと思いますよ、というと彼は目を細めてにっこりと微笑んだ。

近くにあるラガブーリン、アードベグに立ち寄った後、一路北へ向かう。途中でラフロイグのピートモスを見つけて足を踏み入れてみる。初めてのピートの採掘現場。「うちで使うピートは全部手掘りなんですよ。機械で掘ると圧縮されて燃焼効率が上がってしまうので煙の温度も上がる。だから逆にモルトには良くないのです。」という説明を受けていたが納得。あの独特の道具が畑に転がっていた。とてもいい感じのする場所。ピートは2年くらいすると掘ったところがまた復活するので、半永久的に使える資源らしい。完全燃焼でCO2の出ないかまどを開発したらエコストーブ向けの資源として最高なんじゃないかと思う。あるいはピートが含む水気や不純物を取り除いてペレットにする技術とか。




ピート採掘場

ピート掘り出し放題



そんなことを思いながらふと顔を上げると、島の北東方向に連なる低い丘陵地が目に入る。潮の香りのする風がびゅんびゅん吹くが、風車にはまるでお目にかからない。島の北東側まで一気に駆け抜ける。カリラ、ブナハーブンと回る。このふたつの蒸留所は、ジュラ島との間の海峡に面している。ジュラ島はアイラ島に比べて高い山が多い。丘陵線に白い点々がいくつも見える。風車だ。あっちには風車がある。こっちにはない。なんでだろう。






島の中央部まで取って返して右へ曲がる。島の西側へ向かう道である。左へと大きく湾曲する海沿いの道をかっ飛ばす。海鳥が百万の単位で遊んでいる。バードウォッチャーがウロウロしている。ウイスキー以外の楽しみもあるのだ。リンクスのコースも美しい。ブルイクラディに着く。なんてポップな蒸留所なんだろう。Progressive Hebridean Distillersと。たしかにプログレッシブだ。ここでウィスキー界の大物ジム・マクユアンと奇跡的に会う。ノンピートだけれど、ブルイクラディは好きな銘柄。ここが最近出しているウルトラピートのオクタモアという銘柄があって、ちょっと気になっているのだけれどいかんせん高くて手が出ない。一本100ポンドもする。ボタニストというジンもつくっていて、こちらは比較的お手ごろ。でもネット通販でも買えるので持ち運びを考えて買うのは控える。代わりにTシャツを買う。ここの蒸留所はほんとうにデザインがカッコいい。途中ボウモアに立ち寄り、最後にいまは観光客にはオープンになっていないポートエレンの建屋の間を歩いて往時をしのび、そして宿へ向かった。






宿は翌日本土へ戻るポートエレンの港へのアクセスも考えて、島の南側にとっていた。ラフロイグビューという民宿だった。3時半頃に着いたのだけれど、誰もいないので少し周りを散歩してみようと思ってブラブラする。羊、鳥、岩、柵、海、蒸留所。目に入るものが少ないと人間はとても心が休まる。島はいい。
小一時間歩いただろうか。そろそろ戻ろうかと上ってきた坂道を下っていると、下から車が上がってくる。車一台分しかない狭い農道なので私は端によけて譲ろうとした。車も減速する。水たまりが目に入ったのだろう。親切なドライバーだ。ふと助手席のパワーウインドウが開く。笑顔が紙切れと一緒に窓から飛び出してくる。道を聞こうというのか?僕はまるで役に立たないぞ?と思いながらこちらも一応笑顔を返しておく。あちらの笑顔がなにかを確信したような目つきに変わった。なんと行きのフェリーで一緒になって写真を撮ってあげたオランダ人ご一行である。そうだ、島は狭いのだ。
この水たまりの道をオランダ人ご一行が上がってこられたわけです


「おー、なんだジャパニーズ。お前じゃないか、どうした道に迷ったのか?ニヤリ」と歩いている僕に突っ込みを入れてくる。
「いやすぐ下の宿に泊まることになっていてね、そこに車を止めて散歩していたんだよ。君たちは?」とそっけなく返してやる。
「いやー、この宿に泊まる予定なんだけど見つからなくてね。」とプリントアウトした予約表のようなものを見せてくれる。

ラフロイグビュー・・・。

なんだ、宿まで一緒かい。
「道に迷っているのは俺達だったね・・・スマン」とミスター助手席。
「そこならまさに僕が泊まるところと一緒で、すぐ下にあるからこの先でユーターンして戻ってくればいい。」

そんなばかげた会話をしてから歩いて戻ると、彼らはもちろんすでに着いていて、宿のおばちゃんも帰ってきていた。どうやら僕の夕食の食材を買い出しに行っていたらしい。オランダ人ご一行は食事の依頼をしていなかったようで、港近くの村まで食べに出て行った。一方の僕はおばちゃんの作ったにんじんとコリアンダーのスープと鮭の料理を堪能した。

デザートにアイスクリームを食べるかと聞かれて、いくつか種類があったのでそれじゃあチョコをもらおうかな、と頼む。しばらくしておばちゃんがジャケットを羽織ながら、

「チョコがあったと思ったんだけど息子が食べちゃったみたいなの、申し訳ないから買って来るわ。」という。
「いやいや、もう遅いし店もやってないだろうからバニラでいいですよ。」といってバニラをもらう。

そんなやりとりから少しずつおばちゃんが自分の話をし始めて、僕は耳を傾けるようになる。ピートが白い水蒸気を上げながらゆるりゆるりと燃えてはぜる暖炉の前のソファで話をする。もうすぐ成人する息子がいる。(ダンナの話はあまり出てこないのでこちらからは聞かないようにする。)宿を始めてまだ数ヶ月。どうりで新しくてきれいな建物だし、料理はいわゆる家庭料理で妙にこねくり回していない、良い意味ですんなりした雰囲気の宿である。なによりも眼下に海を見渡しラフロイグの緑の貯蔵庫が見えるという絶好のロケーションである。

島で老人介護の仕事を20年以上していたのだけれど、被介護者やその関係者から介護をする人が暴力を受ける事件が頻発した。それでも会社は守ってくれないし、かといって仕事を辞めたら子どもを育てられないしで、本当に途方にくれた。相手に殴り返すか、それとも自分の人生を取り戻すか(punch him back or get my life backというフレーズが本当に僕の耳に響いた)と悩んだ挙句、自分の人生をきちんと生きようと思い切って仕事を辞め、借金して宿屋を始めたという。

「母も私も子どもをあそこの村の産院で産んだのよ。だからこの島で生まれ育った私には、それでも島を出るという選択はなかったの。」

僕は母と子と土地の物語にめっぽう弱い。やるせなくなってちょっと一杯飲んでもいいですか?と聞きたいくらいだったが、B&Bは酒の提供免許を受けていないとお客に酒を出せない。しらふでこのストーリーを聞き続ける僕が涙を流すのにさほど時間は掛からなかった。

近所のイングランド人移住者が経営する民宿との「競合」の話や、息子が一緒に宿屋をやってくれたらという未来の話。日本人の僕がなぜいまイングランドに住んでいるのか、どうしてスコットランドに、しかもこの島に来ることが僕にとってずっと特別なことだったのかをお返しに話した。キャロルは黙って頷きながら聴いてくれた。

キャロルは最後に一言こういった。

「そのチバさんという人は、きっと19歳のあなたの心にここへ来るための鍵を植えたのね。15年経って扉が開くようにセットされた鍵を。そんな素晴らしいことがこの島で創られたものから生まれていたなんて、島に生きる人間にとってこれほど誇らしいことはないわ。ようこそアイラへ。あなたを泊めることができて本当に幸せよ。」


コメント

このブログの人気の投稿

桜と物語

読書記録 当たり前が当たり前でなくなること

ラッキーに感謝