スコットランド紀行②

満点の星空の下に広がる漆黒の闇の中に浮かび上がる深緑のラフロイグの倉庫とその向こうに驚くほどの静寂に沈む海を望む部屋で、とてもおだやかな夜を過ごしたあくる朝。キャロルに見送られて宿を発とうとしていると、オランダ人のご一行は夕べ遅かったのか「今起きました」という風体で朝ごはんのトーストを物色している。彼らはまだ今日もこの島にいるのだ。問題はない。僕は、朝一番の船に乗って島を離れ、もと来た半島へ戻らねばならない。悲しいかな、ニッポンジンの旅はいつもせわしないのである。


ラフロイグビュー。いい宿でした。




朝靄が柔らかくたなびくゆるやかな丘陵が海に届く際にはりつくように伸びている道を港に向けて走る。出航時間までにはまだ余裕があるが、すでに何台かの車が並んでいる。来るときに乗った船よりも少し大きい感じがする。船が港を出る。「Port Ellen」と白地に黒ペンキで書かれた壁がどんどん小さくなっていく。また、この島に来ることがあるだろうか。いつも初めての土地を訪れたときに思うことであるが、この場所についてのこれまでの想いが尋常ではなかったがゆえにそう思う気持ちの強さもまた格別である。


サヨウナラ、ポートエレン


そうして戻ったケナクレイグの港は、前日のまだ夜明け切らぬ時間の記憶しかない僕にとっては、未知の世界にも似た景色であった。なんのことはない、チケットオフィスの建屋を中心とした港湾施設があるだけなのだけれど、港の後ろに見え隠れする丘陵や木々の姿は新鮮である。港から幹線道路に出ると右に曲がる。さらにキンタイヤ半島を南下し、キャンベルタウンへ向かうルートである。

細長い半島の西側を海岸に沿って定規で引いたようにほぼ一直線に延びるこの道を走る。ただ、ひたすらに右手にみえる波の満ち干き、左手に出ては隠れ、隠れては出る草の生い茂る丘の起伏を両目の端に捉えながら走る。

雨が降る。キャンベルタウンでは、いまひとつの憧れであったスプリングバンク蒸留所を訪れる。ツアーの仲間はスウェーデン人数人とオーストラリア人数人。全員おっさん+でかい。狭い建屋の中を2メートル近い大男の集団にひとりだけ比較的小柄なニッポンジンがちょこちょことくっついて歩くというなんともシュールな構図である。おっさんたちはすでにどこかで飲んできているらしく、声もとてつもなくでかい。狭い建屋にガハハ笑いがガンガン響く。小柄なニッポンジンはそんな酔っ払いの大男の集団になぜか気に入られ、「このあと飲みに行こうぜ、小さいの!」と誘われる。



巨人の集団の中ではわりかし軽量級の人たち。この奥にいる主戦級は…

いろいろ売っているショップ。ここでツアーの受付などもしている(ということを到着してから知った)。




この人たちも車で来ているのだろうからだれかひとりくらい運転手役の人が犠牲になっているのだろうかと、にこやかに微笑みながらひとりひとり様子を見てみるのだけれど、飲んでいないと明らかに分かる人が一人もいない。「あの、私ひとりで車で来てまして、自分で運転するので飲めないんですよ、とっても残念なんですけど。」今日泊まる宿に明るいうちにつけるかどうか、時間も気になりだしている。おっさんたちは「俺らは飲みすぎて、もう誰が運転するのかもよく分からない!がっはっは!!そもそも俺たち今日はどこに泊まるんだ??」というかなり末期な状況。雨に濡れてつやつやと良く滑る石畳の歩道の上を、ふざけてスケート遊びをしながら次なるパブに進撃を始めた巨人たちを尻目に、僕はそそくさとキャンベルタウンを後にした。キャンベルタウンに泊まることにしていれば、巨人たちの宴に小人代表として粛々と参加できたのだけれど、翌日の行程を考慮して取った宿は、北へ100キロほど戻らなくてはならない街にあるのだった。

海沿いの直線道路をもと来た方へ走る。細長いキンタイヤ半島を一番南まで下ってたどり着いたキャンベルタウンから、また北へ戻るのである。すっかり暗くなって区別が付かなくなった空と丘陵との境に映える真っ白な渡り鳥が飛んでいく姿を追いかけていたら、黒い鏡のような湖のほとりに辿り着いた。宿はこの湖畔にあるはずである(あとで分かったことだが、地図をよくよく見ていたら、この湖に見える水たまりは実は大きく長い入り江の一番奥、つまり海だった)。

暗闇に浮かぶ道路標識「グラスゴー、あっち、キャンベルタウン、こっち」みたいな。




街燈もろくにない、真っ暗な通り沿いにようやく小さな宿の看板を見つけ、駐車場が分からなかったのでとりあえず目の前にハザードをたいて車を止め、ブザーを鳴らす。メガネをかけた小柄な年配の紳士が登場する。僕が来意を伝えようとすると機先を制して「君が、おそらくNoburuだね?」とウィンクする。

紳士はビルと名乗った。どうやらメールでやり取りしていたこの宿の主である。車をどこへ置いたらいいかと尋ねようとしたら、またしても機先を制され、「このあたりは車もそう通らないし、駐車禁止の取り締まりなんて二月ほど見ていないからしばらく止めておいても大丈夫だよ。とりあえずお茶でも飲んで、それから部屋へ案内しよう。」と後ろの扉を閉められてしまう。いや、けっこう交通量あるんだけどね、と思いながらも取るものも取らず車を置き去りに、ビルに促されるがままにダイニングのテーブルでお茶を頂く。窓から見えるはずの湖はすでに暗闇の中に沈んでいて、さながら黒いガラスの嵌め込み鏡を見ているようである。ビルとお茶を飲みながらひととおり、何故ニッポンジンの僕がひとりでこのあたりをうろついているのかを説明する。ニコニコと黙って相槌を打っていたビルがふと、「ところでニッポンはとてもいいところだよね。」などと言い始める。なんとまあ宿屋の主人だからね。リップサービスだろうとは思いつつも、「行ったことあるんですか?ご旅行か何かで?」ととりあえず話題を接いでみる。彼の口から思いもかけない話が飛び出してくる。

ビルは75歳。引退して随分経つけれど、まだまだ身体は動くし、孫に小遣いもあげたいし、ということで奥さんと二人で民宿をやっている。昔は電子機械のエンジニアをしていた。二人の息子は成人して家族を持ち、ひとりはロンドンの近くに、もうひとりはグラスゴーの近くに住んでいる。一同がクリスマスに集まるのに、宿屋は部屋がたくさんあっていいんだよ、とのたまう。

そんなビルは、「若い頃に一度だけ日本に行ったことがあるんだよ。」という。「あれは俺が28くらいのときだったなぁ」というから確かに結構若い頃の話、正確には1967年頃のことであろう。

ある時、ビルの勤めていた会社が製品を日本に輸出することになった。(イギリスの電子機械を日本が輸入するなんて!)と心の中でつぶやきつつ話の続きに耳を傾ける。日本側の代理店も決まり、いよいよ製品が納入される運びになったが、保守管理のための技術移転が必要だということになり若手エンジニアだったビルが日本に出張することになった。

「まずはトーキョーに1~2週間。それからキョウトにも行った。空いた時間に代理店の若手社員だったミヤモトさんがいろいろと案内してくれた。ものすごく親切にされたことを良く覚えているよ。」

東京から京都までは、まさか新幹線に乗りましたか?とたまらずに尋ねる。その数年前に開通したばかりの戦後復興の象徴の一つだった東海道新幹線に目の前で遠い記憶を辿りながら日本での日々を懐かしんでいるビルが乗っていたかもしれないと思うと、妙な気分だった。

「シンカンセン?ああ、いや電車には乗っていないな。確かミヤモトさんが運転する車で行ったんだ。えらい遠かったけど、窓から見える景色が目に新しいものばかりでちっとも退屈しなかった。彼はずっと運転し通しでさぞかし疲れただろうけれど、本当に良く世話をしてくれたんだ。おかげで日本が好きになった。だからいまこうして君を喜んで迎えられているのかもしれない。それまで僕たちの世代が日本をどう見ていたかって、それは分かるだろう?そうそう、そのときにマウントフジを見たんだよ!・・・」ビルの日本昔話は延々と続く。いつしか僕は外に路駐している車のことを危うく忘れかけていた。

お互いの会社を代表して日本で共に仕事をした若き日のビルとミヤモトさんの姿に思いを馳せていたら、いまそのミヤモトさんはどうしているだろうと俄然気になってくる。いまだに旧知の仲で互いにやりとりをしているよ、というような理想的な答えは、しかしながら返ってはこなかった。ビルの会社とミヤモトさんの会社が進めたビジネスはその後進展しなかったのか、それからはどちらからともなく連絡を取らなくなった。ドラマのような話は、そうそうない。

それでも、50年近くも前の死に物狂いだった日本で、いま目の前に座って笑っている歳をとったビルに心から親切にした(と少なくともビルは信じている)ミヤモトさんの存在が、めぐり巡っていまビルに、彼の目の前にいるニッポンジンを大切にしようとさせているかもしれないことが僕にはたまらなく嬉しかった。できるものならばミヤモトさんを探し出して御礼を言いたいくらいの心持ちだった。こういう経験は旅をしていると少なからずあるものだけれど、いつでも、いつまでも嬉しい。理屈抜きの人間の優しさ、可能性、あらゆる距離やハードルを超えてあり得るセンスオブワンダーから導かれる関係性に触れると、嬉しいのである。

その夜、ビルに教えてもらったちょっとした盛り場のようになっている街場の酒場で酒を飲んでいたら、土地の若者数人にからまれた。ウェストハイランドの片田舎の街に僕の顔は目立つ。アフリカ系も、インド系も、中華系すらめったにみないリアルな田舎町である。とっさにからまれたと思ったのだけれど、気を取り直してみると珍奇なものを棒でつっつきにきたあどけない少年の顔をした青年たちであった。彼らの土地がどれだけ美しいか、宿屋のオヤジさんにどれだけよくしてもらっているか、なんでスコットランドに来たのかというようなことをちょろりと話しはじめると、そのうちの一人の好奇の目の中に興味のまなざしが宿った。生まれてからこのかた街とその周辺の地域から出たことがない若者たちに、僕がどんな世界から来た存在なのかを伝えることは難しいだろうか。ニッポンという、名前だけしか聞いたことのない遠い国から来た目の前のエイリアンを、どう理解したらいいだろうかというまなざしが向かってくる。好奇は興味に変わる。この、理解しようと身を乗り出してきてくれる人たちに、僕たちはどうやって僕たちのことを伝えたらいいのか。そんなことを考えながら、僕が彼らに話していたのは、ニッポンの田舎のことだった。ニッポンにも田舎があるのか。ニッポンジンは田舎をバカにしないのか。するやつもいるけどね、というと苦い笑いが音になってパブのマホガニーの壁に沸き立つ。でもお前は違うんだろう?じゃあ友達になれるな。都会にも田舎がある、というちょっとややこしい話は、敢えてしないでおいた。宿に戻ると、キッチンのドアの向こうから、ビルが笑顔でウィンクしていた。

「インヴァラレイはいいところだっただろう?」


インヴァラレイの「中心街」にあるホテルのパブ。左側はなんとホテルのシェフ。仕事が終わったからと飲んでるらしい。


インヴァラレイの街に面した入り江の最深部。まるで湖のように鏡面の輝き。

ビルの宿、ニュートンホール。この前の道はけっこう交通量がある。

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