選挙制度について思うこと

選挙の季節です。

投票日当日は外出で投票に行かれないので、期日前投票をしようと思っています。
選挙区は東京7区。前回2005年の選挙でトップ当選した現職自民党松本氏と「小選挙区」は次点で敗れ「比例復活」した民主党ミスター年金長妻氏の事実上一騎打ち区であります。(前回選挙では両候補が10万票以上の得票をしたのに対し三位だった共産党候補はわずか2万票の得票に留まりました。)長妻氏は前々回2003年の選挙では小選挙区で勝利しましたが、前回は「郵政解散選挙」だったので、自民党候補が競り勝ったわけです。

周知のとおり、小選挙区制とは一選挙区から一名の当選者を選ぶ選挙方式のことです。この制度のメリットとデメリットは表裏一体でしょうか。一名しか当選することができないために、得票が拮抗した場合次点候補に投じられた票は全て死票になる反面、たとえば有権者が与党に対して不信任を表明したい場合は最大野党の候補に票を寄せ込むことによってその意志を投票結果に反映しやすい(与党の候補を落とすことができる)点が有権者にとっては利点でしょうか。しかし有権者がその意志をできるだけ政治に反映させたいと思えば思うほど、政権担当党へ票が集中し、少数議席政党は選択されにくいことも考えられ、結果として二大政党制になりやすい、といったことが挙げられます。この流れを是正するために政党名を記して投票し、その得票割合をもって議席を配分する比例代表制を並立させているということでしょう。民主党などがマニフェストに掲げる議員定数削減を狙いとした比例定数の削減に共産党などが反対しているのはこのためです。

さて、そもそも衆議院議員は元貴族院の参議院とは異なり、民意を直接的に反映して国政に携わる役割があるとされているとはいえ、「国会」議員なのですから一地域、一セクターの利害のみを訴求する存在であってはならず、広く国家のことを考え行動すべき立場ではないでしょうか。従って「地盤」とか「地元」という発想が出てくること自体が本来はおかしいのかも、と感じます。
「落下傘候補」。かくいう鳩山民主党代表もそうですが、その選挙区のある土地で生まれ育ったり、地縁血縁のない土地を選んで立候補する候補のことを指します。その理由は様々でしょうが、政治家あるいは政治家になろうとする人は、小選挙区比例代表並立制の選挙制度の中で、どこの選挙区から立候補するか選択することが理論的に可能であり実際にそうしている人が少なくありません。落下傘候補のことをとやかく言うつもりは全くなく、むしろ地縁血縁、世襲のしがらみにとらわれない選挙のあり方を考えれば大いにアリだと思います。全部落下傘、地盤地元禁止!でもいいくらいです。

ここで課題は、私たち有権者の側にあると思います。確かに私たちは憲法で認められた居住移転の自由がありますから、一部の区域を除いて日本国中どこでも好きなところに住むことができます。つまり解釈によっては「選挙区を選んでいる」と言えなくもありません。しかしたとえ「選挙区」を選べたとしても、その選挙でその選挙区に誰が立候補するのか、を選べるわけでは当然ありません。自らが居住する地域に割り当てられた選挙区に立候補した候補者のうちから「誰か」に投票をするしか選択肢がない、ということになります。たとえば異なる選挙区に自らの理念に共感できる候補者がいたとしても、小選挙区制ではその候補に投票することはできません。政党に公認されている、あるいは推薦されている候補であれば、比例代表の投票でヘッジすることは出来る、という意見もあろうかと思いますが、ややすっきりしないと思う人がいたとしても不思議ではありません。

二大政党制が進むと、個の政治家よりも政党としての取り組みが注目され評価されるから、誰を選ぶよりもどの政党を選ぶか、ということになるので小選挙区制は「どこの政党の候補か」をみて投票すればいいじゃないか、といわれればそれまでですが、候補者本人は個人のマニフェストをもって訴えているわけでそれはほっとけ、という乱暴な話にもつながるわけです。ここはひとつ「小選挙区越境可能制」とか「全国どこでも投票可能制」など検討の余地があるように思えます。でもそうか、越境投票を可能にするなら選挙区自体に意味がなくなるのか。じゃ全国区。参議院が都道府県レベルなわけですからもうちょっとがんばれば出来そうな気もします。きっとだれでも地理的なオリジンはあるから、「地盤」はなくせても「地元」はなくならないかもしれないのですが、たとえば沖縄から立候補した人の主張に北海道の人が共感して投票する、ということが制度上可能になるとインターリージョナルな物事が進むような気もしたりします。

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