桜on三陸プロジェクト 第1回東北視察報告②

仙台の夜は更けていきますが、語り出したら止まらないうちの田中と畠山さんの勢いに引っ張られ、「○すけ」さんの息子さんが切り盛りする二号店「○たけ」さんへ。http://www.w-marutake.com/ かつて地元の酒造で蔵人として修行されていたという息子さん、酒の話をさせたらこれまた止まらない・・・。板長の親方も笑顔がステキなナイスガイ。田中の十年来の心友も加わって語らいは深夜まで続きました。「○たけ」さん、本当に素晴らしい居酒屋さんです。東京にあったらマジメに毎週通いたくなるくらい。もちろん仙台に行ったらMUSTですよ。みなさん。

ちょうど「○たけ」さんの目の前にあった某ホテルに意外にも空室があったので、飛び込みで宿泊して大浴場で足を伸ばすことが出来ました。こうして翌日の早朝から宮城県の沿岸部へ入っていったのです。

BeeBQで親しくなった石巻の青年をシェルパに迎え、僕たちは払暁の杜の都を車で出発しました。田中の心友が快くマイカーを提供してくれました。仙台市内を抜けて一路北東へ。泉中央から東へ折れて多賀城から塩竃に入る頃には、周囲の景色が変わってくることに気がつきます。石巻の青年が後部座席から、ところどころの町並みをみて「ここは6mはきましたね」と津波の被害状況を淡々と語ります。日本三景で知られる松島の街も、海沿いの観光地にある土産物店などはいまだ復旧していない店舗も散見されました。なにより日曜日にも関わらず、観光バスの一台も走っていない景色は元旅行業界の人間である吉田としてはとても奇異に映りました。10年近く前に来たときの賑わいと一変してしまっていることが、なんとも言葉になりません。

瑞巌寺にお参りしました。不思議なことに、海からの高さはさほどでないにも関わらず、山門もほぼ無傷で残り、境内のこけむす杉林も健在。静寂につつまれた、バガボンドの世界に出てきそうな空間がほんの少し離れているだけのはずの海岸線の景色と完全に隔絶しているように感じました。こういうときに人間は聖域のようなものをきっと感じるんでしょう。

石巻の青年いわく、松島界隈でも例えば利府町の海岸線(そのときは赤沼という地区を走っていました)にはほとんど津波の被害がないところがあるとのこと。理由は沖に「百景」をつくる大小の島々が浮かび天然の防波堤の役割をしているから。なるほど赤沼の海岸からは水平線がとぎれとぎれになるほど島々が見えるのです。

「石巻へ行く前に」。
青年が鳴瀬川と吉田川を渡る鉄橋の手前を直進するように言いました。左へ折れて橋を渡れば石巻市街へと国道45号線が続くところです。

「野蒜」という名前のちいさな海沿いの集落は完全に壊滅していました。点在する家々の一階部分はほとんどが破壊され、二階部分がきれいに残っている家は希少です。駅の構内にまで津波で運ばれた砂が堆積。線路が延々と埋まるほど。「これでもだいぶ片付いたんですよ。自衛隊とボランティアが毎日作業して」と青年。確かに折れた信号機や交通標識がきちんと並べて路肩に整頓されている様は、異様でありながら整然として清々しささえ覚えてしまう、といったら不謹慎でしょうか。ご苦労された方々の営為の後を敬意を持って見た率直な感想です。海沿いのかつて公園であったような空き地に廃棄物が堆く積まれている場所がありました。アジアの途上国で廃棄物投棄や処理の現場をだいぶ見てきた吉田ですが、その量には驚きを隠せませんでした。そしてあらゆるモノが混然と、ただ積まれていく景色。「分別が大変なんだそうです」と青年。

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