記憶のフック

連休明けの朝、駅前のバスターミナルに道路工事の機械が動く音が跳ね返る。液状化によって大きく波打って崩れてしまった煉瓦敷きの舗装を直す工事が、ようやく本格化した。工事のおじさんが、白い息を吐きながら煉瓦を並べている。今一人はかけらを箒で掃いている。

ふと実家の農地の基盤整備工事に来ているおじさんたちを思い出す。通りすがりに聞こえてくる話し言葉は北の国の訛りである。寒空に週末も休みなく働く彼らに、母は午前と午後のお茶を勧めた。うちの自宅の工事ではない。県の補助金事業者に、である。北海道、秋田、岩手。おじさんたちはお茶を勧めた母に、自分たちのことを少しずつ話し始める。遠い宿舎から毎日通っているため、朝早く夕方遅くに仕事が出来ない。稼働時間が限られてしまうため、休憩時間を削って仕事をしている。ここは風が強い。自分たちの故郷よりもここの方が寒いよ。(笑)

肌を刺す冷たい空気と赤ら顔のおじさん。工事現場のおじさんのガハハ笑顔の向こうに、バッキンガム宮殿が見えてきた。名前も職業もほとんど憶えていないが、彼の顔と声、その瞬間はすべて記憶の網に焼き付いている。火を貸してくれないか、とくわえタバコで近づいてきた小柄な四十絡みのおじさんは、英国の地方都市で何かの職工をしていて、家族は地元に残して一人でロンドン観光に来た、と言う。しきりにハンカチで鼻水を拭いている。化繊のウィンドブレーカーの袖口はツルツル。ロンドンに着いて2日目の僕は、まだ学校も始まっていなくてひとりぼっちでヒマだったので、1時間以上このちょっと胡散臭いおじさんと宮殿前の公園を散歩した。公園から街へ入る道すがらのパブに入らないか、と言われたところで、すでにもらわれタバコを3~4本やられていたこともあったと思う。若かった僕はそれ以上このおじさんと付き合う勇気がなかった。別に取られるような金も持っていなかったし、なんら騙されたところで痛くもかゆくもないと今なら思えるのだが、友達と約束があるから、と存在もしない友人のことを話してその場を逃げるように去った。そうか、それじゃ仕方ないね、とパブのドアに手を掛けて僕を見送ったおじさんの寂しげな目を僕はきっと一生忘れない。こうしてことある毎に思い出す。あのおじさんとエールの一杯でも飲んでいたら。やっぱり騙されていたかもしれない。あるいは第二の家族が英国にあったかもしれない。いや、それは大して重要なことではない。

飲み屋とおじさん、といえばハイデルベルクの古ぼけた居酒屋の隣の席に座っていたおじさんがビールをごちそうしてくれて、名刺をもらったことを思い出す。ユースホステル暮らしが長く、生活費が一日10マルク(当時のレートで600円くらい)もないんだぜ、と即席で知り合ったオランダ人と愚痴をこぼしていたのを聞かれていた。紀行ジャーナリストで日本ペンクラブ会員、とあったことだけが記憶に残っている。黒縁の眼鏡をかけていたかな。若かった僕はすぐに名刺を無くし、メールがまだそれほど当たり前ではなかった時代に筆無精で手紙も書かず、名前も顔も話したこともほぼすべて忘れた。だからこれだけネットで人捜しが便利になった時代でも、おじさんを探すことが出来ない。

これらはすべて、記憶の「フック」である。なにかをきっかけにフラッシュバックのように日常的には思いつきもしない、奥底にしまい込まれた古い記憶が蘇ってくる。楽しかった記憶も、苦かった記憶も、全てが自分の細胞分子ひとつひとつの糧になっている。記憶と脳のメカニズムについての講釈は某専門家にお任せするが、僕が言いたいことは、この記憶の「フック」をある種意図的に創ることでいろいろな可能性が開けるかもしれない、ということ。それも象徴的なものを媒介にして、その記憶に関わった人がこの象徴的なものに触れることをきっかけに記憶の再来がもたらされるような。楽しいことだけではない。辛く苦い記憶も。忘れたくない。忘れられたくない。なにかにつけて、あなたのことを、あのときのことを思い出しているよ。みんなの記憶がつながる装置のようなもの。

僕が今日思い出したように、ロンドンで出会った胡散臭いおじさんも、ハイデルベルクで親切にしてくれた日本ペンクラブのおじさんも、僕のことを思い出してくれた日があっただろうか。ふと心が軽く、豊かになる。


コメント

このブログの人気の投稿

桜と物語

読書記録 当たり前が当たり前でなくなること

ラッキーに感謝