江戸城の眺め

 久方ぶりにパレスホテルから江戸城を眺めていた時にふと思ったこと。

ここはかつて江戸城であり、宮城となり、そして皇居となったところ。

そこで意外にも人生で初めて東御苑に入ってみた。皇居初体験。徳川家が入府した頃に庶民がお参りしていた日枝神社が城域に入ってしまうので、わざわざ外へ移したことなんて知りませんでした。ここから想像できることは、江戸の民は日枝神社は崇拝しても、城の主を拝むことはしていなくて、支配者の住む場所としてのこの場所を御城と呼んでいただけなのかもしれない。

その後この場所が宮城に変わると、宮城遥拝といって拝むようになる。先日亡くなった祖父も講談社で出征式をやった後に同期みんなで二重橋に遥拝に行ったと言っていた。最近日本のニュースで見た、神宮外苑の植樹に日本中から(おそらくみんな自腹で)土地土地の樹木名木が送られてきたエピソードなんかも、この宮城の主への崇拝感をひしひしと感じる。

時代が下って皇居と変わっても、その主を一眼見ようと年始の一般参賀などには万を超える人が集まっているけれど、個人的にはそれは宮城時代の崇拝とは違って、敬意とでもいうような感覚なんだろうなと思う。

そんなふうに時代が変わり、呼び名が変わっても、この場所にあり続けてきたものはなんだろうかなと考えると、なんとなくそれは権威とでもいうものなのかなと思う。人びとに影響を与え、その社会を陰に日向に形作っていくモノというような。ということは権威は時代によって、人びとに移ろいゆくものでもあるということ。

自分が生きている社会はどのように形作られているのかということに、常に思いを致して生きることは大切だなと。

ロシアの上を飛ぶのが危ないというので予定の便が欠航し、1日遅れで少し南寄りの航路で再びイスラエルへ参ります。





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