イングランドと海、ノルマンディを想う

 クリスマス前から続いた年末年始の休暇も本格的に終了し、今日から世の中は動き始めている。こう書くと休暇中は物事がすべからく止まってしまっていたような気がするが、根元からぶった切られた哀れなもみの木や一度に数百、数千という数で屠殺されて商品棚に並んでいく鶏や七面鳥の消費はむしろ加速し、帰省や観光に向かう人々の交通機関への殺到も日ごろよりも高まるのがこの休暇の期間である。休暇開けに「世の中」が動き始める、という表現もある意味で一面的であるという自覚を13年目にして会社勤めという「世の中」のルーティンのひとつから解き放たれたいま改めて持つのである。

世の中が休暇中であったこの数週間、私は毎朝決まった時間にオフィスに出勤するという十数続いた「世の中」の義務を免除される代わりに、日々一単語、一センテンス、一パラグラフを積み重ねていく作業を地道に続けていたのであった。もとより会社勤めが日常であったときから「一年の計は元旦にあり」といったある種の「年末年始リセット主義」からはいささか縁遠かった私は、しかしながら「計」を一切持ち合わせずに生きることではなく、都度、日常の中で「計」を立て、「実行」し、そして「推敲」するというルーティンを回してきたのかもしれない。

さて、毎朝窓から見える海である。夏の間は妻と毎夕のように海岸の遊歩道を散歩し、眺めてきた海はここのところ荒れることも多く、白波を立てた大きなうねりがドドーンと打ち寄せる日も珍しくない。この英国南部の海岸線にある街に暮らし始めてから、この海岸線というものに英国人(イングランド人)が寄せるセンチメントに度々触れる機会があった。例を挙げれば「イングランド人と海」というタイトルのドキュメンタリーシリーズがBBCによって制作され放映されるほどである。

多くの人が既知のように、いまイングランドと呼ばれるこの地はその歴史の中で繰り返し南東の大陸や北方からの侵略を受けてきた。一面的なものの見方を排除するために本筋とは外れるが敢えて付言すれば、そのイングランドと呼ばれる地に住まっていた人々も度々他者を侵略してきた経験を持っているのではあるが、ともあれ、空高く旗幟を掲げたノルマン人のロングシップがこの海岸線を埋め尽くし、櫂の音を合わせて湾を進んでくる情景は、時に穏やかに輝く銀鏡のように、時に浜を激しく叩きつける神鎚のように今日私たちの目の前に在り続けている海の前に立つ私の目にありありと浮かぶのである。

目の前にある海を隔てたあちら側からこの海岸にやってきた人々のことを考えていたら、ふとその後の歴史の中で幾度となくこちら側からあちら側へと繰り出して行った人々も大勢いたことに想いが移る。強力なロングボウを引っさげたエドワード黒太子の一隊に代表されるイングランド人が、捕らえられた自軍の捕虜が敵方のフランス人から弓が二度と引けないようにと右手の人差し指と中指を切り落とされるという凄惨な経験をしながらも戦いを続けた百年戦争。近くの歴史では1944年6月6日に連合軍と呼ばれた巨大な軍勢がかつてのノルマン人の故地を襲った史上空前と言われる大上陸作戦があげられよう。

この目の前にある海にかつてやってきた人々が出発した地、そしてこの目の前にある海を越えてその地へ向かった人々の航跡。そんなことを考えるうちに、そこには私の最も愛する洋酒のひとつであるカルバドスというリンゴ酒の名産地があることがつとに思い出されたので、ふとわずかなすきまの時間を縫ってかの地を訪ねてみようかと思い立った。私が住む街から電車で30分ほど東へ向かったニューヘイブン港から、ノルマンディの玄関口のひとつであるディエップ港へフェリーの定期路線が就航している。海を眺めながら得た想像の旅路に、なんとも空路は似合わない。いかんとしてもここは海路であろう。

カルバドス県に点在するリンゴ畑やそこからかつての上陸作戦において戦略的要衝のひとつとされたカーンという街を経て件の上陸地点までをつなぐ道路の地図を眺めながら、旅の計画を構想した。海岸線に近いところにいくつか往時の資料を収める博物館や資料館が点在していることも見知った。市の行政が運営する比較的大規模なところもあれば、個人が設置した小さな施設もあるようだ。便利なものでグーグルマップのストリートビューを活用すれば、まるでいまその場にいるかのように、地図の上で旅が出来る。ふと海岸線から数十メートル程度の断崖の中腹だろうか、明らかに人工的な創造を思わせる四角い構造物が地図上を滑る私の目を止めた。ふたつ、みっつ、よっつ。海岸線と並行に、等間隔に並ぶこの四角い建造物がなんであるかはすぐに想像がついた。トーチカである。1944年6月6日にこの海岸線を守備していたドイツ軍の兵士は、このトーチカに守られて海から押し寄せる連合軍を撃退しようと戦ったのである。

私たちが見聞きするノルマンディの、そして欧州戦線で戦ったドイツ人は、画面の奥のほうに小さく映りながら連合軍の兵士が放った弾丸に倒されるか、屈強なティーガー戦車の後ろにくっついて腰を低くしながら市街戦に向かってくる歩兵隊か、あるいはジープやトラックに乗って転戦していく連合軍部隊の横目を、降伏して武装解除され、蟻のように列をなしてただ黙々と歩いていく捕虜の姿として描かれている。そんなドイツ兵を苦心し犠牲を払いながらも駆逐し、欧州をドイツの侵略から解放する連合軍兵士は英雄として描かれる。しかしながらこのトーチカである。写真を見るだけで、そこに篭って押し寄せる何万という大軍を目の前にしながら指の震えを抑え、息を潜めて明日の命を信じることすら放棄したであろう年若き機関銃兵の姿は、誰かの想像に描かれたことがあるだろうか。

否、ヒロイズムがいずれの側にも描かれなくてはならない、ということではない。そして若きドイツ機関銃兵の哀れな末路だけがフォーカスされれば、また一面的なヒロイズムの描写に陥る可能性が高い。いずれの側においてもヒロイズムの存在と膨張が、やがて訪れたつかの間の平和の中で戦争というものの真実を忘却のかなたへと追いやり、戦争という行為をコンテンツ化し、終いには消費の対象にしてしまう。一面的な表現や事物へのアプローチは、確かに人々の歓心を買う。分かりやすく、感情の移入がされやすく、従ってそういう物語は売れる。しかしながら私も経験していないから偉そうなことはいえないけれど、実際の戦争はそのものがビジネスである側面は多分にあるが、決してエンターテイメントではない。そして当たり前のことであるが、そこに関わる多くの人々の情景は、一面的なアプローチでは決して表すことが出来ない。

そんなことを考えていたら、ノルマンディに行くのは、もう少し暖かくなって、天気が良いころを目指そうと思いなおしていた。


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