空港に妻を送る、デビルズダイクで転ぶ

 年が開け、秋学期の課題であった三本の小論文も無事に提出がなり、松の内も開ける1月7日に妻が一時帰国する予定であったので、自動車を借りてヒースロー空港まで送っていくことにしていた。二人分の片道バス賃に私ひとり分の戻りのバス賃を加えても自動車を借りて燃料費を加えた費用にはわずかに及ばないのであるが、半年間慣れない土地でじっと頑張ってくれた妻に対するささやかな御礼のつもりであった。フォルクスワーゲンのゴルフを借りたつもりなのに、または同等クラスの記載も勿論知っていたが、まさかFIATが出てくるとは思わなかったが。やはりイタリアの車はいまいちである。なぜ職人の国であったであろうイタリアの自動車は細部に魂が宿っていないように感じるのであろうか。単にユーザビリティの違いや、メンテナンスの良し悪しではないような気がするのは私だけだろうか。

車の話は本筋ではなかった。妻を空港まで送っていったのだ。せっかく自由になる足があって、かつこの日は珍しく日中天気が安定していたので、景色の良いところを見てから空港に向かおうということになった。Devil’s Dykeというブライトン北方郊外の小高い丘の上に街から海まで見渡せる展望地があるということを学友から聞いていたので、そこへ向かってみることにした。我が家から車を飛ばせばわずか15分の距離である。道々、真冬であるのにも関わらず青々と茂った牧草を食む白黒の点々が丘陵を覆うように広がる景色は、いつ見ても心が和むものである。またこの展望地の頂上付近には馬を飼う牧場があるようで、自らが今年の干支であることなど知る由もないような顔をして黙々と飼い葉を食べる素直な大きく丸い眼がよっつむっつ並んで、じっとこちらを眺めている。

Devil’s Dykeの頂上付近は明け方まで降っていた雨の影響でひどくぬかるんでいた。ナショナルトラストの管理地であることを示す「駐車料金を払わないと50ポンドの罰金」という看板を横目に、そのぬかるみが目立つ斜面の入り口に差し掛かった私は、あろうことか両足をそのぬかるみに取られてすぐさま2~3mほど滑落し、尻餅をついて転がって、あげく両手を付いてやっとのことで自らの体を重力に逆らわせた。瞬間的にはっと振り返った背後では妻が何ともいえない表情でじっと私を眺めている。次の瞬間には大きな笑い声が聞こえたのであるが、こちらは冷たい泥の中である。上着もズボンも泥にまみれ、このままの姿で空港施設にまかりこそうものなら、一発で空港警察に職務質問を受けることは必定である。一度帰宅して、着替えと洗濯をした後に空港へ改めて向かったのは言うまでもない。

今思えば、厄年の妻のその厄は、私が泥にまみれてDevil’s Dykeで滑ったおかげである意味取り払われたのかもしれない。空港に無事に到着したので日本航空のチェックインカウンターに向かったところ、エコノミークラスの順番待ちはそれなりに並んでいた。ヒースローのチェックインカウンターは手前から奥にエコノミー、ビジネスと並んでいるため、奥のほうの状況は手前からは見えない。プレミアムエコノミークラスを予約していたのだが、それ専用のカウンターがあるのかどうか定かではない。もしあればこの長蛇の列を回避できるのであるが。念のため妻を列の中に残して、カウンターを確認しに向かったところ、専用カウンターが開いていた。列を飛び越してチェックインが出来てよかったと安堵していたところ、さらに地上職員が出してきた搭乗券には大きくCの文字が印字されていた。プレミアムエコノミーで予約したはずですが、と妻が尋ねると地上職員はアップグレードさせていただきました、と答える。咄嗟、妻が私になにか細工をしたのか、と疑いの目を向ける。本当に何もしていない、航空会社の好意だと思うよ、と答える。ひとりで長距離の国際線に乗って日本に帰ることを楽しみにしている反面、心細くもあった妻にとっては、格別のプレゼントだったに違いない。他方で、これに味をしめてビジネスしか乗りたくないなどと言い出さないといいと思っているのであるが、もうすでに遅いかもしれない。


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