犬の糞、下肥、ぼっとん便所

 イギリスに来て半年が過ぎ、夏から秋、そして冬と三つ目の季節を迎えているわけだが、この間ずっと、正確には外出するときはいつも気にかけないと危険で仕方がないことがある。ドアが自動ロックなので鍵を持ってでないと締め出される。その通り。雨が頻繁に降ったり止んだりするので、濡れては困る衣服をめったに着られない。その通り。否、その危険はいつも足元にある。家の前の歩道から海沿いのプロムナード、公園の芝生、商店街の通路。それはありとあらゆる場所にポトリと落ちていて、油断している人の足元を地雷のように脅かしている。犬のフンである。

この国で、多くの犬は非常によく訓練されていて、リードをつけないままでも飼い主の指示をよく守り、人や他の動物に危害を与えることなく整然と歩いている。(もちろん少ないながら例外もいる)しかしながら当たり前のことながらどんなに訓練された犬であっても「出るものは出る」。そしてどんなに訓練された犬でも「いまここではフンをするな、家まで我慢しろ」という指示はおそらく通じない。従って犬は思い思いの場所でフンをする。あちらこちらに「犬のフンは持ち帰るように」と書かれた看板が掲げられ、「Dog Waste」と書かれたそれ専用のゴミ箱が置かれている。しかしながら、それにも関わらず多くの飼い主は犬のフンを拾って持ち帰ったり、わざわざ専用にあつらえられたゴミ箱に捨てたりしない。おのずと、道端から公園から遊歩道から芝生に至るまで街中は犬のフンを踏んづけるリスクに常に晒されている。

ふと、ここのところdog wasteならぬhuman wasteなるものをDevelopmentの文脈で散見する。要するに開発途上国における人糞の農業肥料使用に関するテーマであるが、適切に処理されていない人糞を肥料に使用することによる消化器系の病気や伝染病の蔓延といった衛生上の問題がある一方で、肥料が購入できない貧困層にとって農業収穫量を上げ食糧供給を担保し得るひとつの手段として人糞使用を考えるべきとするポジティブな見解もある。「適切な処理」を実現するためには、おそらくなんらかの装置や設備を用意し、人為的にバクテリアなどの分解者を混入して正常発酵を促すような科学的に管理された手法を中心とする開発事業として、人糞を適切、安全かつ異臭、汚水などの公害を発生させないプロセスをもって「無害化」した上で肥料として使用する、というプログラムが組成されるであろうことは想像に難くない。

そこで思い起こすのは、「下肥」である。かつて江戸は世界有数の大都市であったことは良く知られている。100万とも言われる人口を抱えた都市におけるhuman wasteの管理は大きな問題であったであろう。近代的な上下水道が整備されるはるか昔に、しかしながらときの政府は、都市近郊の農民に「下肥権」なる人糞の汲み取りの権利を割り当てて与え、彼らに定期的に汲み取りをすることを許可していた。都市から郊外の農村に移された人糞は、そこで発酵させた後に肥料として使用されていた。汚物を排水溝や河川に垂れ流しにすることを防ぎ都市衛生問題に対処するとともに農業生産性の向上に資することを目指した政策が存在した。下肥の汲み取りは多摩川をはさんだ東京南部と神奈川県の川崎市近隣では昭和に入る頃まで行われていたという話も聞いたことがある。(誰だった忘れたが、彼の少年時代の昭和初期、もしかしたら戦後かもしれない、に父親か親戚のおじさんについて川をわたり、世田谷だか目黒あたりの下肥を汲み取りに行くのがとてもみじめで辛かったという自伝のような昔話を見聞きしたことがある)

思えば私が少年時代をすごした実家は、下水道が整備されていない土地にあったため、トイレの真下の地下に汲み取り槽が埋め込まれていて、そこに貯まった糞尿を定期的に清掃局の汲み取り車(バキュームカー)がやってきて吸い取っていく、いわゆる「ぼっとん便所」であった。それほど大昔ではない。1980年代~90年代のことである。ハイカラになりたかった何軒かの近隣住民は自宅の便器を汲み取り槽に直結した「ぼっとん」から水洗式に替えて、見た目は都会と同じ水洗トイレのようにしていたが、その後も完全下水道の整備は遅れたため、汲み取り槽を合併浄化槽に置換するなどしていた。浄化槽を各戸に設置するためにはおそらく公費から補助が出ていたと思われ、それなりの負担であったはずであるが、人口が周密でない地域に完全下水道を整備するよりは安価で、かつ汲み取り車と処理施設の運用よりも効率的であったと思われる。各戸の合併浄化槽で浄化されれば一般下水道で流せるのであるから。汲み取り槽は承知の通り人糞をそのまま槽の中に溜めておき、汲み取り車がそれを吸い取ってもっていくのであるが、それはそれは臭いのするものであった。外遊びをしているかたわら畑地の向こうから汲み取り車がやってくるのが見えようものなら、鼻と口とを手で覆って遠くへ逃げるのが近所の子ども達の常であったし、日常的なトイレの使用に際しても、当然のことながら臭気は汲み取り槽から上へ上がってくるのである。とはいいながら、当時は近隣に畜産業を営む家などもあり、「田舎の香水」と揶揄して呼んでいた家畜のフンの特有の臭いも当たり前であったから、いまよりは臭いに寛容な生活であったのではないかとも思われる。

道端の犬のフンからだいぶん話が「拡散」したが、とりあえず犬のフンは持って帰ろうよ、ということです。英国人のみなさん。ときたまだれかの足に直撃を食らわせたであろう「輩」を見かけるけれど、みなさんその直撃を食らった靴のまま、家に帰って床を歩くわけですよね。これは文化の多様性といったことで片付けてはいけない、むしろ一般的な衛生観念の欠如だと思いますがいかがか。


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