この一週間で考えたこと(3)



今回の会議に参加されたASEAN各国のみなさんからは一様に震災を受けた日本に対する
同情と親愛のメッセージをいただきました。
少なからず日本にきたことのある方々ばかりで、なかには2年住んでいたという人もいたりと、みなさん知日派ばかりということもあるとは思いますが。
また世界中の友人知人から次々と安否を気遣うメールやSNSへのメッセージが届きました。

金曜日に始まり、週末もなくベトナムに飛んできて慌しく過ぎ去っていった時間が、ようやく
このあたりから私の思考に寄り添ってくれるようになったことに気がつきました。未だ
よく整理できていないので、完全な文章にならず以下のような書き方になってしまうのが
残念なのですが、いずれ再整理することを念頭に頭の中のたな卸しという意味もあって
ここに記そうと思います。


(1)「当事者」とは
今回の震災は「日本」で発生し、私は「日本人」なので彼らから見た私は「当事者」である。
だから多くの温かい言葉や励ましのメッセージや安否を問う連絡がどしどし来る。
他方で、私は東京に暮らし、家財こそ少々被災(高かったグラスが割れた程度です・・・)
したが家や家族はいたって無事で、日常生活を維持することになんら支障がない。私たち
日本人からすれば本当の「当事者」は私のようなものではなく、より過酷な現実に身を
おいている大勢の人々である、という認識が当然のものとしてある。
この「当事者」をめぐる感覚のズレは、もしかすると我々が今後何かが起こった際、どこかの
誰かにメッセージを発信するときにも多々意識をするべきポイントかもしれない、ということに
今回改めて思い至った。
要点はふたつである。ひとつは当事者でない者はあくまで当事者足り得ないということを
十二分に認識すべきということ。いまひとつは海外における日本のメディアによる日本
からの情報発信がほとんどないということ。特に後者の影響は甚だしい。NHKワールドは
特に途上国では一般の人々が接することが出来る媒体ではなく、したがって彼らが知る
ことのできる情報源はおのずと日本以外のメディアになる。海外メディアは「日本(全部)」
が大変だと報じるから彼らは「日本人(全部)」が大変だ、という理解になる。だから
日本に子供がいるような人に余計な心労を強いる。東京は今のところセーフティなのにも
関わらず、だ。

(2)死生観について
日本人同士で食事をしていたときの会話の中で、今回のような危機に直面したときに
どのような状態でこれに臨むべきか、といった話題になった。
誰もが死ぬのは怖い。できれば死にたくないし、家族を守りたい。それは当たり前のこと。
それでも抗いようのない事態になったときに、どう腹を括るか。そのときになってはじめて
どうこう考え始めたのではきっと遅いし腹は括れない。日常から如何に存分に生き、
いざ来る時のために精神を鍛錬し、さっと腹を括れる準備を怠らない、有事にこそ働く
(つまりノーブレスオブリージュに通ずる)という理想を昔の人は「武士道」に込めたの
ではないか、と私は言った。葉隠には「武士道とは死ぬことと見つけたり」とあり、それが
切腹の美学だとか言う人がいるがまったく分かっていない。生きることと死ぬことが
同義となるくらい死生観を突き詰めて考え抜く精神鍛錬をすることが肝要であると説いて
いるのであって、死ぬことそのものが武士道の最終到達点なのでは全くない。
だから武士道を貫徹するのであれば、義のない死に対しては彼らは徹底的に抗うはず
である。そこに生と死の同義はないから。
ある女性が「武士道は男性のものだから女性の私には理解できない」と言った。私は
その場では反論しなかったが、当時の「武士道」は男性だけのものではきっとない。
(本を書いた人は男性であるが、それは時代の世相そのものであり男女の違いはない。
もちろん階層間にわたって共有されていたとは考えにくいが)
「武士道」を理解出来ないのはジェンダーの問題ではなく、ジェネレーションの問題である。
私は男性だが武士道を正しく理解しかつ実践できるかといわれれば答えはYESではない。
つまり男性だから理解でき女性だから理解できないのではなく、時代の変遷が理解を
阻んでいるという整理のほうが論理的である。時代の変遷とは、この160年あまりの間に
日本に起こった諸々の現代史そのものである。敢えてここでは触れないが、有意の方には
お分かりいただけると思う。

(3)意識の移ろいについて
昨日、日比谷線が止まってしまったので六本木一丁目の本社から南北線で目黒まで出て
そこから自宅まで歩いた。「逍遥」、「散策」とはよく言ったもので、人間歩いているときに
不思議と考えがすうーっと浮かんでくる。小雨にけむる夕方のハノイの街を歩いていたときに浮かんだ意識の移ろいが、実は再燃した。
私はこの局面に際して、なぜそれほど自分の生や身の安全に執着が湧かないのかが
とても不思議だった。ふと、バケツリレーをするだけなら専門知識も経験もいらないのだから
原発の保全業務に志願できるのか、とさえ頭をよぎった。
どうしてこのような思いが頭をよぎるのか。これは1945年当時のあの感覚そのままでは
ないか。否、そこに「日本のために」とか「家族を守るために」といったヒロイックな感覚が
乗っかって来なかったのが正直なところで、これがとても不思議なのである。

私には「人生をかけてどうしても為さねばならないこと」というのが実はない。そして今現在
自分の生きてきた人生に満足している。もちろん今後もこの愉快で楽しい人生が続いて
くれたらそれは大変歓迎すべきことだが、やんごとなき事情でもうそろそろ終わる、と
言われても、そうですか、それならまあしょうがないですね、という感じである。子供が
いないから?家族が悲しむ?そうかもしれない。おそらくそうだろう。でも正直なところ
そうなのだから仕方がない。厭世的?いやそうではない。自暴自棄にもなっていないし
やる気もある。ちゃんと仕事もしているし中長期のプランもバッチリ練っている。だから
この意識の移ろいが不思議なのである。目の前に熊が現れたら?たぶん全力で
逃げる。そういうことじゃないのである。ゲリラに銃を突きつけられたら?必死に命乞いを
するだろう。そういうことじゃないのである。

実証的に因果関係が証明できていないので、感覚的な物言いにしか過ぎないのだが、
高等教育と職業を含む社会的選択肢の間には正の相関があるように思う。
教育が十分でなくかつ社会的選択肢が限定的である状況において人間はただ己の
目の前にあるものに身を委ねるしかない。あるいは教育が十分であっても社会的選択肢が
限定的であった時代では蛙の子は蛙であったはずである。但し蛙になる!という人生の
目標はしっかりしている。他方で教育が十分でなくしかし社会的選択肢が多いという設定は、考えにくい。
翻って現代に我々が生きる社会は高度な教育が多くの人に施され、結果として高度な教育を受けた人間には社会的選択肢も無数にその眼前に広がる。そこで「己の為すべきこと」を
見出し、これを昇華していくことは生易しいことではない。立派な方々がどうかは知らないが
はっきりいって私自身はそれに成功していない。口先ではいろいろともっともらしいことを
言っているが、そんなものははったりかハリボテである。
それでも生きていかねばならない。ハリボテを作るのがうまくなると、いささか楽しくなるし。
上述のように私が満足し、かつ願わくば今後も続いてほしいと思う人生とはこのハリボテ
作りに他ならない。

教育の充実や人生選択の自由を「豊かさ」のひとつと捉えるのであれば、いったいその
豊かさの先にあるものはなにか。ハリボテ作りではない人生を送るためにはなにが
必要か。私は個人的には古典や素養に立ち戻ることを選択しようとしている。それでも
まだハリボテ作りは終わらずちょっと色塗りがうまくなる程度かもしれないが、まぁ
仕方がない。このような思考に囚われるというのもまた教育の為す産物であるから。
そしてそもそもまだ幸い時間があれば、だが。


ベトナムから日本に戻る日に、アジアの方々から「本当に日本に帰るのか?」と聞かれた。
日本を離れる航空便が満席であるのに対して、日本に向かう機内は閑散としていた。
心の底から日本に帰ることについてなんらの迷いも戸惑いもなく、自然と「日本に帰ります」
と答えた。


コメント

  1. 海外における日本のメディアによる日本からの情報発信がほとんどない・・・これが現在進行中の各国政府の日本からの過剰な退避勧告につながっている大きな一因かもしれませんね。日本人は自らの情報発信のあり方を考え直す時期に来ていますね。これまではうちわ(国内)で適宜やっていても支障がありませんでしたが、今後のグローバル展開を考えると日本からの情報発信は急務ですね。また「武士道」の件、わたしも同じことを考えていました。日本の武士道につながる考え方は500年以上前から仏教の考え方をベースにはぐくまれてきているような気がします。あの織田信長でさえこんな言葉を残しているようです。「必死に生きてこそ、その生涯は光を放つ」 ライフワーク探しの人生のたびはわたくしも同じです。イチローやマークザッカーバーグはうらやましいですね。

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